ずいぶん前に
髪の毛のの白髪について
どうしようかな?
といったようなことを
かいたかしら??
けっきょくね、
そやまま、
私には
そのまま、がよいみたい。
無理強いし、というか、
髪を染めることは、あわないみたい
だから、そもそも、そのまま
ヘアマニュキュアは
過去にはしたこともあるけれど
結局髪を染めることは一度もしてない
多分、これからも
もちろん他人様に
髪を染めること染めないことを
強要強制することでも無いですし

管理するってことは

管理する側が一番管理されることだって、

ずいぶん前に年配の方から伺ったような気がする。

それは、管理することを間違えると

とんでもないことになるからだというような。

管理するということは、えてして権力とセットだから。

 

自分の姿は鏡をみたって

全身が見えるわけじゃない。

自分のことを指摘される前に

先に相手を指摘というより攻撃してしまったほうが

手っ取り早く優位にたてる。

管理しているという意識にどっぷり勘違いできる。

あたまから、腐る。

 

一昔前は、それくらい我慢しないと大人の対応ではないでしょ、

だったことが、少しずつ風向きが変わってきた気配

me too運動なんて、十年前には絶対考えられなかったと思う。

でもそれでも現実はまだまだ

封建的で男性優位

二十数年前に読んだ

上野千鶴子氏の『家父長制と資本制』を読んだ頃とたいして変化ないように感じる。

もしかしたら、もっと陰湿になってしまっている部分もあるのかもしれない。

ステレオタイプな人間が多数の中では

自立を目指すオンナは煙たかろう。

それは両性から向けられる冷たい視線と陰湿な態度で

嫌というほど思い知らされることになる。

多数に不都合な真実は、ゆがめられた内容で伝播しがちになる。

言ってみれば現代でも村八分はしっかりと機能している、というか

村を会社組織に例えれば、八分どころか十分といっても過言ではなかろう。

しまいに自己責任という「責任」を押し付けるだけで完了する。

原因とか結果とか、どうでもいいってことか。

「戦略」という単語を連発する割に、責任回避をするのが至上命題である気配の人、

つまりそれが「戦略」なのだろう。

数年前に「LEAN IN」も読んだけれど、あれも現実的な感覚はイマヒトツ

何がどうということもないけど。

一時期なんだか「マウンティング」をする、される?とかいう表現があったように

記憶するけど、どこかそれに通じるような気もして・・・。

五歳の幼児が

「きのうぜんぜんできなかったこと これまでまいにちやってきたことを

なおします・・・」と書き残す

頭から腐っていっている中で

しわよせは常に弱い者へ向けられていく