✱無駄に長くて途中かなり暗い妊娠と出産と育児のおはなし✱
わたしが高校を卒業してすぐに就職したのは、こぢんまりとしたお店だった。
その店のスタッフの中に、10歳年上の妊婦さんがいた。
底抜けに明るくて、大きな声で笑うのが印象的で、仕事を辞めた今でもとても尊敬している先輩。
その先輩は6月には産休に入ると言っていたのだけど、先輩はいつも元気そうで食欲旺盛だったし、テキパキと仕事をこなし、わたしにも引き継ぎを兼ねていろんなことを教えてくれた。
その少し前までわたしの姉も妊婦だったのだけど、姉は遠方に住んでいたため、わたしの中で身近な妊婦さんはその先輩が初めてだったかもしれない。
先輩は産後すぐに会いに行った時も、病室で赤ちゃんを抱いていつもと何ら変わらない笑顔で迎えてくれた。
その後割と早くに復帰され、毎日お店で授乳をしていたのだけど、赤ちゃんに対する先輩はいつも愛に満ち溢れていて、キラキラしたお母さんだった。
その店の関係者やお客様には他にも妊婦さんが何人かいて、その妊婦さん達もみんな元気そうに見受けられたし、また、産まれてきた赤ちゃんに向けられる眼差しは眩しいほどだった。
赤ちゃんを抱っこさせて貰ったり、寝かしつけたりすることも増え、「いいお母さんになるね!」「もうこどもがいるかと思った」なんて言われたりもして。
わたしは調子に乗って、変な自信がついていたのかもしれない(赤ちゃんが外面がいいなんて知らなかったもの!)。
それから約10年後、わたしはその先輩が出産したのと同じくらいの年齢で、第一子を授かった。
わたしも先輩のような、キラキラしたお母さんになれるかな、産まれてくるこどもはきっと可愛いだろうな、産後こどもの首が座ったらあちこちお出かけするぞ!
なんて、そんな風に考えていた。
しかしいざ妊婦生活が始まると、それはわたしの想像していた生活とは180度違うものだった。
ずっと酷い車酔いと二日酔いを繰り返しているような感覚。
お腹が空いてもダメ、食べてもダメ、1日のほとんどをトイレか毛布の中で過ごし、夜中は眠れず、やっと寝れたと思うと吐き気で目が覚め、何度もトイレへ行く、そんな生活。
やっとのことでスーパーへ買い物に行っても、惣菜の匂いで気分が悪くなり、すぐにトイレへ駆け込んだ。
ところが不思議なことに、妊婦健診の時や時々家族や友人と会う時などは割と元気だった。
わたしが見ていたのは安定期後の、体調のいい妊婦さんだったのだと、今更ながら気付く(そりゃそうだ、体調の悪い妊婦さんは外出しないもの!)。
安定期を迎えてやっとつわりが治まった頃には、今度はお腹が苦しくなり、動悸と息切れがしてすぐに歩けなくなるため、思うように外出は出来なかった。
当時は気付かなかったが、あれはお腹が張っていたのだと思う。
お腹が張るというのがピンと来なかったので、健診の時も特に張っていないです、と答えていた。
精神的にもマタニティブルーのような状態になり、毎日言い知れない不安に押しつぶされそうな日々だった。
本当にこのお腹に人間が入っているのだろうか、産まれてきた赤ちゃんを可愛がれるのだろうか、ちゃんと育てられるのだろうか、そもそもわたしみたいなダメ人間がお母さんになれるのか?
夜中にうごめくお腹を見て恐ろしい、と思ったことすらある。
お腹を突き破ってバケモノが出てくる夢もみた。
そしてそんな自分を軽蔑した。
夫は激務で留守が多かったし、実家は祖母の介護があるので頼れない、外出が困難なので友人とも滅多に会えない。
わたしは、孤独を感じていた。
勝手に自分ひとりで、自ら孤独になっていった。
予定日だった4月1日より半月早い3月中旬、わたしは出産した。
産まれてきた我が子は、夫そっくりだった。
病室には入れ替わり立ち替わり、毎日のように家族や友人が訪問してくれたし、ファミリールームだったため夫も泊まり込んでくれたので、わたしは孤独感から解放された。
体はあちこち痛かったが、それでも身軽になったような気がしていた。
6日間の入院を終え、わたしは自宅であるアパートへ戻った。
1日10回以上の授乳、オムツ替え。
オムツ漏れしたり、母乳の吐き戻しで、何度もお着替え。
寝かしつけ。
合間でご飯の準備、洗濯や、簡単な掃除。
元々寝付きが悪かったわたしは、この頃、ほとんど寝ずに過ごしていたように思う。
それでも頑張れたのは、この子を守れるのは、生かせるのは、自分しかいない、自分がやるしかないと、そう思ったからだった。
ほとんど使命のような気持ちで、わたしは子育てをしていた。
その内、わたしはまた、孤独になっていった。
4ヶ月を過ぎ、首が座ってからも、わたしは積極的に外出出来ないでいた。
我が子は、オムツ漏れと母乳の吐き戻しが頻回だった。
運転中に漏れたら?泣き出したら?吐き戻して喉に詰まったら?
もしも、もしも…
そんな風に万が一を不安に思い、どんどんと外出が怖くなった。
こどもは、想像していたより可愛くは思えなかった。
あんなに幸せそうに見えた授乳は、痛みと謎の不快感で苦痛だった。
可愛い!愛しい!幸せ!と思えない自分はおかしいし、母親失格だと思った。
可愛いと、愛しいと思わなければと、何枚も同じアングルの写真を撮り続けた。
1LDKのアパートで、わたしとこどもだけの時間が、わたしを追い詰めた。
ふと鏡を見るとそこにいたのは、あの先輩のようなキラキラしたお母さんではなくて、髪はボサボサでクマだらけで無表情の、疲れ切ったただのおばさんだった。
わたしはどこかで、自分はうまく出来ると思っていた。
赤ちゃんはオムツを替えて授乳して抱っこすれば寝るものだと思っていた。
こんなにもオムツから漏れるなんて思いもしなかった。
こんなにも乳を吐くなんて思いもしなかった。
寝ながら唸り声を上げるなんて知らなかった。
こんなにもこどもの泣き声が辛いなんて思わなかった。
母親があやせば、泣き止むものだと思っていた。
泣き止まなくても、泣き声すら愛しく感じられると思っていた。
産まれた我が子を見れば、自然と母性が溢れて愛せるものだと、そう思っていたのだ。
でもわたしは、そうじゃなかった。
わたしのミスで、気の緩みで、あっさりと命を失うことがある…その責任の重さから、一瞬でも目を離すのが怖くて、毎日緊張の糸が張り詰めていて、それどころじゃなかった。
思えばわたしはこの頃、産後うつになりかけていたのかもしれない。
ドラマコウノドリで高橋メアリージュンさんが演じていたお母さんは、ペルソナに赤ちゃんを置いて飛び降りようとしていた。
わたしには出来ないけど、共感と理解は出来る。
社会から切り離されたような孤独感、もう誰も自分を必要としていないような絶望感。
それでも逃げ出せない、投げ出すことの出来ない、目の前にある小さな命…。
それを、ひとりで背負っている。
優しいはずの、同志のはずの夫は、どこか他人事。
理想の母親像と、現実の自分とのギャップがどんどん広がっていく。
大丈夫、大丈夫と自分に言い聞かせるしか出来ない。
わたしもそんな、似たような精神状態だった。
わたしがいないとこの子は生きていけないという使命感と、赤ちゃんの存在に、わたしは生かされた。
妊娠って
出産って
育児って
当たり前だけど、
思ってたんと、全然違った。
時は過ぎ、子は育つ。
わたしがどんなに母親として不適合者であっても、子は母を愛し、無条件に受け入れてくれる。
そんなこどもを、育て、そして子に育てられていく。
そしてようやく気が付いた。
わたしは、この子を、大切に想っていると。
この春わたしは、もうすぐ4歳と3歳になる大事な大事な息子たちを保育園に預かっていただき、社会復帰する。
いざ離れてしまえば、こんな風にふさぎこんだ日も、自分を追い詰めて辛かった日も、懐かしく感じるのだろう。
そしてその傍にいる大切な存在を、羨ましくすら思うのだろう。
いつか、この文章を読み返して、何深刻ぶってたんだろうもっと気楽にやりゃ良かったのに!なんて、笑っちゃう日が来るかもしれない。
だから、纏まりのない文章だけれども、どうしても今のこの気持ちを書き記しておきたかった。
余談だが、産後思ってたんと違うのは上に書いただけじゃない。
まだまだある。
例えばこんなに尿漏れするなんて思ってなったとか、こんなにケツが痛いなんて思ってなかったとか(笑)

