先生。 

私が中学三年生のとき、担任をしてくださったあなたは、あの頃、確か三十代半ばだったと記憶しています。 

現在、私は四十二歳になりました。 

今あらためて振り返ると、あなたはとてもとても良い先生でした。 

けれど、あの頃の私は、多感で未熟で、先生の「生徒一人ひとりの内面にまで目を向けようとするまなざし」を、正直なところ煩わしく感じていたのです。

毎日のように私たちの表情や言葉に気を配り、声をかけてくださるその優しさに、まるで心の境界線を踏み越えられるような、居心地の悪ささえ覚えていました。

今思えば、それはすべて私の幼さゆえでした。

どうかお許しください。


ある日、先生は「クラス全員の似顔絵を描く」と言って、私たちを一人ずつ呼び出し、丁寧に絵を描いてくださいましたね。

どの絵も特徴をよく捉えていて、温かみのある、可愛らしいイラストでした。 

けれど私は、自分の似顔絵を描かれること自体が嫌でたまらず、きっと不機嫌な表情で椅子に座っていたと思います。

そして卒業と同時に、いただいた似顔絵を「なんかイヤだ」と感じて、捨ててしまいました。


それから数年後、先生の訃報が届きました。

自死でした。

別の中学校へ異動された後、生徒との関係に悩まれていたと聞きます。

ご自宅で一人、命を絶たれたと新聞で知りました。

友人かご家族に宛てた手紙には、「もうあの中学校には行かんつもりです」と書かれていた、と。


あのとき、私は先生が描いてくれた似顔絵を捨てなければよかったと、深く後悔しました。

あの絵こそが、先生がどれほど生徒一人ひとりに真摯に向き合っておられたかの証だったのです。

そして、それほどまでに心を尽くしてくださったがゆえに、先生は苦しまれていたのだと気づきました。


ごめんなさい。

心から、そう思います。

今なら、わかるのです。

どうして、あの頃もう少し素直になれなかったのか。

どうして、あのとき「ありがとう」と言えなかったのか。

今や私は、先生が生きておられた年齢を越えてしまいました。

けれど、先生はもう、この世にはいないのですね。

先生は、いったいどこへ行かれたのでしょうか。


二十年近くが経とうとしている今も、私は先生の笑顔を、声を、はっきりと思い出せます。

これほどまでに鮮やかに甦るのに、その身体はもうこの世にない。

そう思うたび、胸が締めつけられます。

先生を思い出すと、いつも心に浮かぶ問いがあります。

「人はいつか死ぬのに、なぜ生きるのだろう」

まるで思春期の頃のような問いが、今になって私を捉えて離しません。


若い頃の私は、無鉄砲な勢いと、根拠のない自信に満ちていました。

人生は輝く舞台で、自分はその主役。

照明を浴び、満員の観客の拍手を受けながら、ただまっすぐに前を向いていました。

そんな日々が、永遠に続くと信じて疑わなかったのです。

けれど今、私はその舞台を降り、誰もいない静かな部屋で、一人脚本を書くように生きています。

これは喩えですが、まさにそんな心境です。


けれど、不思議なことに、今のほうが「生きている」と実感するのです。

むしろ、かつての人生は本編が始まる前の、ほんのプロローグだったのではないかと思えるほどに。

それはきっと、今ようやく、自分自身の内面にまっすぐに向き合えるようになったからでしょう。

だからこそ、あの頃の先生のまなざしが、今の私にはより一層深く、胸に沁みるのです。


先生、本当にありがとうございました。