今年もこの日がやってきました・・・
木村拓也さんの命日です。
2010年4月7日・・・
いつものように出勤の準備をして、テレビを消そうとした瞬間に流れたテロップは・・・
4日前に倒れたキムタクさんの死を告げるものでした。
しばし呆然とし、込み上げてきた哀しみを抑えながら、出勤しました。
あれから、7年が経ったんですね。
時の流れは早いものです。
キムタクさんが倒れた日の事は、今でも覚えています。
テレビのスイッチを入れたら、試合開始時間になっても始まらない試合・・・
騒然となっている球場・・・
流されたVTRが映し出したのは、木村拓也コーチがノック中に倒れるシーン・・・
情報が錯綜するなか、実況では、¥バックホームされたボールが当たって倒れたのでは?」という話しをしていました。
一時的なものだと思っていましたが、その後に流れてきた情報は、意識不明の深刻な容体ということでした。
それでも、しばらくすれば元気な笑顔を見せてくれると思っていました。
しかし・・・
今年も、よみうりVロードを昇った所にあるキムタクさんの手形には、鎮魂の花が供えられてることでしょう。
今の若いファンの方には、キムタクさんの事を知らない方もいらっしゃるんでしょうね。
ユーティリティー・プレイヤーとして、原ジャイアンツのV3を支えた選手でした。
2006年、カープで二軍暮らしをしていた時に、出場機会を求めて移籍を志願。
移籍先を聞いたら、「よりによってジャイアンツかよ」と落胆したとのことでした。
しかし、その年のジャイアンツは、とにかくメンバーが固定できずに、4番のスンちゃんが一人気を吐いていました。
そんな中でのキムタクさんの存在は大きかったです。
キムタクさんについて、皆さんの脳裏に浮かぶのは、伝説のキャッチャー・キムタクだと思います。
あまりにも有名な話なので止めます。
僕が忘れられないのは、2008年の事です。
13.5ゲーム差をひっくり返して優勝した、メークレジェンドとして有名な年ですが、裏を返せば13.5差がつくくらい低迷していたということです。
5月くらいだったと思いますが、当時3番を打ってた小笠原選手が故障でスタメンを外れた試合で、キムタクさんが3番に座りました。
その試合で先制のホームランを打ち、ジャイアンツの勝利に貢献しました。
ヒーローインタビューは、キムタクさんでしたが、いつもの笑顔がありませんでした。
「僕がこの打順にいるということは、チームがどういう状態かというのはわかってる」「ジャイアンツは主力がいないと勝てないと思われたくない」というような言葉を発していました。
試合に勝ったという喜びよりも、チームが低迷している悔しさと、自責の念を感じたインタビューでした。
また、もう一つ思い出すのは、同じ年のホークスとの試合です。
絶好調の杉内選手をうちあぐね、敗北寸前の所で大道選手のホームランで同点に追いつき、延長戦に。
延長12回に勝ち越されて、これまでか思った時に、それまで打てなかったキムタクさんの執念の一打でサヨナラ勝ちをしました。
この時のインタビューでは、「打てずにチームに迷惑をかけてた中で、大道さんが同点ホームランを打ってくれた。大道さんのためにも勝ちたかった。」という言葉に感動しました。
ただ、観戦してる方としたら、終電時間との戦いではありましたが・・・
その試合、キムタクさんのボードを掲げてたら、気づいてくれて、こっちに合図を送って、サインボールを投げてくれました。
ずばり、ストライクでこっちに来たのですが、前にいた野郎がとりやがった・・・
後ろから蹴り落そうかと思った瞬間でした
2009年の日本シリーズのファインプレイも忘れられないですね。
ランナー1、3塁の場面(1塁ランナーは阿部選手)で、バンドを空振りして、阿部選手の盗塁をアシストしました。
その時のコメントが、「当てる事ができるんだから、当てない事もできますよ」でした。
おどけた感じのキムタクさんらしいコメントだなぁと思いました。
まさか、その時に既に引退が決まっていたとは思っても見ませんでした。
ファンから愛されたキムタクさん。
そのキムタクさんを身近な存在にしてくれたのは、ズムサタでしょうね。
宮本さんが出すクイズに毎回正解するキムタクさん。
そして、いつも笑顔を見せてくれたキムタクさん。
引退セレモニーの挨拶の「パパは、がんばったよ」は涙が出ました。
存命だったら、今頃は家族の元に戻って、カープのコーチをしていたんでしょうね。
家に帰ったら、いいパパをしてたんだろうなぁ。
改めて、キムタクさんのご冥福をお祈りいたします。