ユニフォーム・コレクションの第3弾は、打撃の神様、赤バットの川上哲治さんです。
現役時代は元より、監督時代も知らない世代です。
でも、なせか身近に感じる方です。
それは・・・ たぶん「巨人の星」の影響でしょう!!
星飛雄馬の背番号が16でしたし。
それでは・・・
こちらも、2007年に5000勝記念で販売されたユニフォームです。
翌年、(ご存命の)永久欠番選手にスポットを当てた、レジェンド・デーが行われ、その際に再販されました。
このユニフォームは再販の時に購入したものです。
再販されなかったら、購入できなかったと思います
ちなみに、私は16という数字が好きです。
先日、黒澤俊夫さんのユニフォーム紹介の時、ネームと背番号のみをアップした画像を使いましたが、このバランスのアップ画像が気に入りました
この背番号16ですが、コーチ、監督時代も変わりませんでした。
1965年シーズンに背番号を77番に変えております。
奇しくも、この年からジャイアンツのV9が始まりました。
ラッキー7が2つある番号という事で、77番を選んだ事が幸運を運んだのかもしれませんね。
川上哲治さんは、もう説明する必要のない方だと思います。
1938年に巨人に入団、以降、実働18年間の現役生活を送りました。
当初は投手で入団しましたが、当時の藤本監督が投手よりも打撃に才を見出し、打者へ転向しました。
全盛期は弾丸ライナーの川上と言われ鋭い打球を放っていましたが、晩年はポップフライがヒットになるケースが多く、テキサスの哲と揶揄されました。
1957年に8年続けていた打率3割が途絶え、「3割を打てなかったら引退」と挑んだ1958年は新人だった長嶋さんに4番を奪わるなど、不本意なシーズンを送り現役を引退しました。
奇しくも、この年がジャイアンツのスター選手が入れ替わった年となり、長嶋さんと川上さんが同時にプレイをした唯一のシーズンとなりました。
ちなみに、史上初の2000本安打を達成したのは川上さんであります。(1953年達成。1946試合での達成は2016年現在でも史上最速記録。)
また「赤バットの川上」という異名は誰しもが知ってると思いますが、1946年シーズンに使用したのみで、翌年から色付きのバットが禁止になりました。打った時にバットの塗料がボールに付着するというのが理由らしいですのですが・・・(この説は自信ないです)
また、川上さんは監督としても優れた成績を残しており、特に1965~1973年の9年連続日本一はV9時代と呼ばれ、今も語り継がれる史上空前の時代でした。
敢えて言わせてもらえば、当時は現在のようにドラフト制が導入された頃で、ドラフト前に高額契約した選手が中心だったということも一因にあると思います。
しかし、日本では馴染みの無かった、緻密なサインプレーなどを導入したりと、日本野球に革命を起こしたのも事実。
実力のある選手と、川上監督の戦術が相まってV9が生まれたのです。
残念ながら、この川上野球は次期監督の長嶋監督に継承されず、常勝ジャイアンツに影を落とすことになりました。
皮肉な事に、川上野球は、ジャイアンツのラインから外された形となった、広岡さん、森さんのジャイアンツOBが率い、80年代に無類の強さを誇ったライオンズに継承される事になりました。
通算成績(打率:.313、打点:1319、本塁打:181、盗塁:220)
それほど足が速くないとの事ですが、盗塁が200を超えているのが意外でした。
また、本塁打が意外に少なく、典型的なアベレージヒッターだった事が伺い知れます。
1965年に野球殿堂入り。