さて、トンキニーズの「ちびまろ」のご縁のあった小島町に入りました。
どこの神社かな?
と思い立ち寄ろうとしたのですが、
(もっと先へ!大石の石まで)
そんな押しの声があったので奥へと車を走らせました。
大石に着くと、そこに由来らしき看板が・・・
赤い看板にはこう書かれていました。
高さ一九メートル、周囲の長さ六〇メートルの
「大石」は、岩質が凝灰角礫岩(ぎょうかいかく
れきがん)と考えられ、安政元年(一八五四)一二月の
安政東海地震で真富士山の中腹から崩れ落ち、
さらに翌年八月の豪雨によりこの場所まで流れ
着いたと言われています。
地域では安産岩として信仰されています。
静岡市教育委員会
これを見る限り、真富士山の岩だと思ってしまいますね。
しかしこの後、それが真富士山の手前にある山から落ちて来たことを知ることになるのです。
大石は安産の神として祀っています。
巨石と小さな岩の間に社を作ったようです。
そしてこの白い立て看板を目にしたことから運命が開きました
白い立て看板には
河内大石の由来にあるとおり巨石は
安政元年、真富士山より流出した。
ここより1.6キロメートル登ったところに発祥の地があります。
(発祥の地?これは行くしかない。)
1.6キロなら歩けないことはないだろうと軽い気持ちで山を登り始めました
途中、軽トラックとすれ違いました。
「こんにちわ~」
と声をかけました。
(農家のご夫婦さんだ。あああ、トラックの荷台でもいいから乗せてもらえないかな~)
(なんて都合の良いことなどありっこないか・・・)
こうして地道に結構な急こう配の山道を歩き続けました。
途中橋の手前で道が二つに分かれているではないか
看板もない。困ったぞ~
左は真富士山方面へ行く道、そのままストレートに行けば登り道。
勘でなぜか真富士山ではない方へ登ってしまいました。
行けども行けども巨石の発祥などなさそうで・・・
山道に蛇の赤ちゃんが苦しそうに微妙に動いて横たわっていました
(ん?これは?もしやイブキドヌシさんの化身?まさか~)
蛇さんをまたいで山を少し歩いていく私・・・
(でもでもさっきの蛇さん気になる。やっぱり何かが違う。引き返そう。)
そして蛇さんの元へ。
お腹を車に踏まれたのかな?目立った外傷はないけど苦しそうに動く小蛇さんに話かけました。
「蛇さん、苦しいところごめん・・・大石の由来を知りたいの。発祥の地はどこ?」
やはり返事があるわけないか・・・
そりゃそうだわ。蛇さんが語るわけないじゃん。
でも、何となく私には「ヤマトタケ」さんが蛇を「イブキドヌシ」の化身だと気が付かずに足を跨いでしまった場面が思い出されました。
そしてさっきの左に曲がる真富士山方面へ行ってみようと思ったのです。
「ありがとう!イブキドヌシさん。あっちの山だったんだね。」
反対の山を登ってしまい、蛇さんとの対話の時間のロスが後で時間調整してくれたことになっていたとは
こうして真富士山方面を登って進んでいくと、なんと行きに追い越された軽トラックが向かって来るではないか
これはもう聞くしかない。
「あの~、この先に巨石の大石の発祥の場所があるって看板をみたのですが、この先ですか?」
するとおじさんが車を降りて質問に答えてくださいました
「ああ、大石か。それはそうだなあ~どうやって説明したらいいかな。
この先に私の茶畑がある。その左方面上を見ると大石の兄弟石があるんだが・・・」
(え?兄弟石?え?大石に兄弟がいたの?)
おじさんは助手席に乗っていた奥さんに声をかけてくださって、なんと山道登りで疲れている私を荷台に乗せてその場所まで案内して下さるそうで・・・
(え?え?え~~~~)
(さっき、荷台に乗りたいなあと心の声で訴えていたのが現実になっちゃっうんだ~)
これはもう驚きしかないっ
さっき荷台に乗せて欲しいなあ・・なんて心に気弱な言葉が浮かんだのが現実になるんだから
笑顔ですっ初めての軽トラ乗車。らくちん・・・
揺れる揺れる・・・でもインディージョーンズの冒険みたいで楽しいよ~
じゃ、じゃじゃ~ん じゃじゃじゃじゃーん・・・(インディーのイントロ)
大石の由来に詳しいおじさんと奥さんは、この両河内で有機栽培(無農薬)のお茶を作っていらっしゃるお二人でした。
これにも待望の待ってました!でした
実は私、大の緑茶好きで、毎日ポットにお茶を入れて仕事中にも、もちろん食事中にも飲んでいるんです。
それも有機栽培のお茶をネットで注文したりしていたのですが、地元で見つけられたらな、と探していたのです。
というわけでその後、おじさんのご先祖さまの導きも関わっていたと確信する出来事もありました。
(少し後におじさんのとてもじ~んとくるお話を載せてあります。)
自然を大切に思う優しい信仰の心が先祖たちから受け継がれていたのですね
ご縁とは本当に素敵なものです。
さて、両河内の巨石大石の本当の由来はこうです
河内の大石という巨石は、安政の大地震の時、山が大きく崩れた。
真富士山から来たのではなく、その手前の山の中腹より上のあたりにあった。
真富士山はこの山のかなり後ろに位置しているので、真富士山の岩ではない。
おじさんの有機の無農薬栽培されている茶畑
その左側にある山がこちら↓
赤い〇が大石の兄弟石
この一つだった岩が離れて、片方だけが崩れて落ちた。
岩は山の土砂に流されて、途中で止まった。
(この時はまだ今の大石のあたりより手前に止まっていた)
そして翌年、豪雨があり、川は濁流となり土石流を起こした。
興津川の支流は氾濫し、水の上に土砂が来て、更にその上に大石という巨岩が乗った。
(え~土石流が滑り台みたいになって、思い巨大な岩を載せて滑ってきた
周囲の長さ六〇メートル、高さ一九メートルの巨大な岩だよ~)
これは一種の神技だとしか思えないそうだ。
おじさん曰く
「人は最先端の技術で川の土砂を流すダムや装置を作っているが、こんな巨石を一夜の内に自然は運び出してしまうんだ。人間なんて、自然から見れば小さな存在なんだ。だから人は自然を粗末にしてはならない。」
この一言に私は自然の重みを感じました。
今の世代に失われている
「自然と共に生きる心」
や
「自然に神が宿っていると思い、当たり前に平和に過ごせたことを感謝して毎日祈る姿勢」
を、この巨石が教えてくれているんですね
川は一般的常識では水が流れる溝ですが、本当はそうではないんではないかと思いました。
川は山の血流であり命の血脈なのだと
だから山は体。木々は体中の骨。草や花は服などの装飾品なのかもってね・・・
おじさんが別れる最後にこう語ってくださいました。
↓
どんなすごい機械でも、一夜にして巨石を土砂の上に乗せて、まるで滑り台のように運ぶことなどできない。
到底、人間には自然のようなパワーはない。
だからこそ自然の聖なる神に祈るんじゃないかな
山に住む動物も木も虫も人間と同じ生き物なのだから、お互いに助け合い自然を守らなければ人も絶える。
命の連鎖を忘れてしまった世の中になった。
自分だけが良くなるようにと生きている人がこんなにも増えたのかと思うと悲しいなあ・・・
この巨石の由来を今日語ることになった出来事は、私にとってまさに奇跡。
嬉しい出会いです。
本当に素敵な方に出会えた。
これもご先祖さまと山と川の神々のお力だと思います。
本当に素敵なご縁を、貴重な時間をありがとうございました
私は心が洗われたようだ。
ご縁とは素晴らしいものですね。
ご縁はお金では買えない。
私はいつも一日に一つ良いことをしようと思って生活しています。
いえいえ、私の方こそです!
そして、おじさんのお父様が庭で見つけた不思議な石についてのお話も貴重なお話なので紹介させていただきます。
お父さんは戦地に行かれました。
激戦が続き、仲間が相次いで亡くなります。死因は感染症もあり、自害もあり・・・
上官との上下関係など激戦では無用。
上官に泣き叫んだそうです。
いつ死んでも構わない。もう死にたい。生きたくない。こんな戦乱の世の中、生きて帰ることなんか無理だと・・・
ある日、飛んできた銃弾の流れ玉がベルトのバックルの金具の部分に当たって、急死に一生を得たそうです。
そしてそのお父様がある日、庭からなにやら光るものを発見。
(この土の下になにかある!)
そう思い、当時中学生だったおじさんが土を掘り出してみると、軽い石が出て来たのです。
周りに付いている土を掃ってみると、それはお地蔵さまだったそうです。
このお地蔵様は、あの巨石と同じ時にここまで流されて来たのでしょう。
これがそのお地蔵さまです。これは今、道福寺の裏にあります。
臨済宗 道福寺(静岡市清水区河内505-3)
おじさんのお父様は三年前に他界。
でもきっとこの日、私に巨石の由来を教えてくださるように導いて下さったのでしょう。
お地蔵さまと巨石は同じ日に災害に遭ったのですから。
そしてなんと、この道福寺の近くにある「二ノ宮神社」の由来を見て更に驚くことになったのです
祭神は二柱あります。
二柱の神を一つにしたのです。
濁流が押し寄せて来た後、壊滅した神社を一つにしたのです。
大地震が起きる前は、この神社の横には川が流れていたそうです。
それが今ではこの横は道。
そして今川になっているところに住居があったそうです。つまり川が道だった。
川と道が逆転してしまったんですね。
自然のパワーは恐ろしい
静岡市清水区河内519 二ノ宮神社の由来↓
この二ノ宮神社の本地「篠原の里」(現在の河内)は、あの「ヤマトタケ」が東国の蝦夷征伐の際、お休みなされた土地でした。
その後、村上天皇の時代の天歴三年(九四九)、藤原道房がこの地を巡視された折、昔、ヤマトタケの祠(小さな社)のあった跡だとお聞きになられ、社を再興し、ヤマトタケと天児屋根命(アマノコヤネ)の二柱をお祀りし、西方には「白髭大明神」を祀ったそうです。
一ノ宮もあったそうですが、今は二つを一つにしたそうです。
とにかくこの村は昔から神々を大切にして来た土地だったのです。
小さな社ですが、祀られている神は凄い力の神々たち
脇にあった石像。
横にも社が。白髭さんかな?
白髭神とは、ニニキネさんのお子さん「サクラギ」です。
神話では海幸さん。
「酢芹:スセリ」という薬草で小児や赤子の毒素を出した功績により、子供の疱瘡を治す神としても祀られています。ここから「スせりの命」とも呼ばれていました。
静岡県の山里には「白髭神社」が数多くありますね。
この神社の「白髭さん」とは、日本神話の「海幸」さんなのです。
今の漢方薬になった薬草の神様です。
若いころは弟の「ウツキネ」(山幸)さんと争ったりしましたが、その後は「ウツキネ」さんの赤子の毒素を薬草と海の赤藻で出してあげたりしたので、兄弟仲良しになりました。
白髭さんは漢方調剤師さんですね。
私の故郷、静岡県には富士山という日本を象徴する山があります。
しかし静岡県は富士山だけではなく、その周辺の山々が存在していて、静岡の土地を守っています。
今、私は「愛鷹山」に非常に重要な神々の神威が眠っていると感じています。
愛鷹山の古代史は、富士文献(徐福文書、富士文書)の中でかなり書き変えられていました。
移住してきた秦の始皇帝の徐福の名を借りたシナ人たちが、さも徐福が富士山周辺に帰化したかのように書いていました。
私は常に思うのです。
真の史実を知るためには、神社巡りを語る人に惑わされてはいけないと・・・
必ずその場で起きた自然変動の記録や、神社の元の歴史と符号しなければ信じてはいけないと。
それ以外は空想、私論でしかないのです。
こうして史実を追及していくと、あたかも古代の神々たちが
「早く本当の功績や事実を明らかにして欲しい。」
「自分たちの威厳を取り戻して欲しい。」
という強い念が私の研究の後押しをしてくれるのを感じます。その結果、史実が書き変えられた裏世界や当時の事情がくっきりと見えて来ます。
それはまるで古代思念を拾い上げ、供養して欲しいために次々と起きた出来事が明らかになるのです。
古代思念には自然災害を大きくしてしまう厄介な作用があります
自然災害はどこにでもやってきます。
どこに住んでいても、古代思念をないがしろにすれば大きなダメージを受けるのです。
しかし過去に起きた災害を教訓にして、人が自然と共存して、山や海の生命サイクルを壊さずに生活して行っている場所は、どんなに大きな災害が起ころうと、住人達の命や生活の場は守られているのです。
ここ奥津川上流にも大地震や水害が襲いましたが、その後反省し、鎮守の氏神を守り、お寺は村の先祖たちを祀り、村中で仲良くして生活しています。
日常飛び交う「おはよう」「ただいま」の挨拶は、私にとっては珍しい光景でした。
でも、近所の子供たちが学校帰りにおじさんに挨拶していくのです。
こういうのって日本中の街中から消えてしまったのでは?
と思いました。
この記事の最後に、おじさんとおばさんが愛情込めて有機無農薬で手間暇かけて作ったお茶を紹介させてください。
食べてもOK!
お茶をたてれば甘いのです。嫌な苦みがありません。
60度くらいのお湯でゆっくり出しす自然のお茶は、とにかくまろやかで優しい味です。
100グラム入り 500円です。(安い!)
HPもなく、ご夫婦二人で作っています。
山里を古代より大切にして来たご先祖をお持ちのお茶農家さんです。
飲んでみたいな、とお思いの方は、
054-395-2858
岩崎製茶
さんまで