大切な仲間が旅立ちました。 | ひなさんのブログ

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メンズ&レディースヘアーサロンleaf(リーフ)
静岡市駿河区高松
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本日は私の懺悔と願いを皆さんにメッセージします。
 
実は私は小さな頃から病弱で虚弱体質でした。1歳の時、ただの風邪から肺炎になり、7日間高熱にうなされたようですが、奇跡的に命を吹き返しまた。
 
しかしその後、食が細くてガリガリ体質。心臓に欠陥があったので、肌の色は真っ黒。まるで土人のようでした。
 
そこで付いたあだ名は「ケニア」です。(今ではプヨプロしてますが・・・)
 
小学校から中学三年までいじめられ、ずっと一人ぼっちでした。
 
唯一お花や木のおじいさんとお話しするのが日課。そんな子供時代でした。
 
人嫌いになり、花の精たちとばかり話している内に、自分が人間でいることが嫌になりました。
 
両親は私を自分の所有物のように扱い、進路は全て親が決まました。
 
無理やり銀行に入社。社会人一年生になっても同性から、女性先輩から仕打ちを受けながら、毎日一人居残り、つらく汚い仕事(トイレ掃除やDCカードをしまう地道な仕事)を残されていました。
 
私が配属された支店は繁華街の有名なお店。本店よりもエリートな人たちばかりがいるお店に入ってしまった。配属は会社が決めるので、まさかここに入るなんて思いもよらず・・・
 
お陰でこの時に私の腹が据わりました。
 
人嫌いは銀行行員にとって致命傷です。ついに私は決断しました。
人嫌いを克服するため、19歳からソシアルダンスを習い始めたのです。男性と組んで踊らなければならない世界。とても嫌だったけれど、銀行で働くには、男性恐怖症も直さなきゃと思いましたし、競技会に出れば嫌でもアピールしなければならない。もうそれしかないと思いました。
 
アマチュアで競技会に出ている内にようやく人前で笑えるようになりました。
勝つことが楽しくなり、競争心が芽生えました。そしてプロの道を目指し、プロ資格を取りました。もちろん競技プロではなく、レッスンプロの道を目指しました。さすがにプロとして教室を持ち、過酷な肉体強化は考えませんでした。
 
いつか自分の生徒を外部で教えられたらいいな・・・心が閉ざされてしまった人や、笑えなくなった人、年に勝ちたい人などをグループレッスン出来たらいいな・・・
 
そんな気持ちでプロ資格を取りました。東京で有名な教室でプロ試験を取る無謀な計画。とても難しい試験でした。あがり症の私には奇跡でした。
 
さて、銀行に入り半年でエリート店に一番そぐわない私は、他の上司の方が見ていてくださって、私を新規立ち上げの自宅の近くの支店に転勤させてくれるように支店長に頼んでくれたらしいのです。
 
異例中の異例で半年で転勤。私は自宅から自転車で5分の新規店オープン行員として、何の力もないのに配属してもらえました。
 
そしてついに窓口へ!笑顔が出るようになりました。
 
新しいお店を作ることはとても勉強になりました。初めから何もできないので、気が楽でした。
私の入った銀行は時代の先端を見通す銀行でしたので、この先の時代にきっと銀行の冷戦時代が来ることを予測。
 
一人三役を要求され、三種類の仕事が誰が居なくても困らないように、人員削減されても回るように仕込まれました。
 
そんな鍛えてもらう仕事をさせてもらえました。
 
でも振り返れば、一番自分を変えてくれたのがソシアルダンスだったのです。その中でも競技会という闘いの世界でした。
 
技術が高いわけでもなく、ただ笑顔でアピールすることが当時の人嫌いの私には一番の良薬でした。
 
私はダンスの中で特に「ラテン」が大好きでした。民族的な自由な踊り、あまりにもずっとひっついて踊るモダン(ワルツやタンゴなどの、長い丈のドレスで優雅に踊るダンス)とは違い、ラテン(サンバ、ルンバ、チャチャチャなど)は自由な動きができるのが好きでした。
 
そして、ラテンダンスは今も続けています。その中で私の生徒さんたちがいます。
もう何年続けているのかな。少ないながらも・・・9名の生徒さんがいます。
 
その中で、つい先日、大切な私の仲間が一人あの世に旅経ちました。
その方とはもう10年以上のお付き合いでした。
私のセミナーにも出てくれて、美容のお客様で、ダンスまで習いに来てくれて・・・
一緒に神社にお参りにいったり、神事にいったり・・・
 
その方はガンの再発でお亡くなりになりました。でも末期の痛みを経験する前に、私の作ったマンダラのお守りを渡して二日後に亡くなりました。
 
もうだいぶ前から肺に水がたまり、咳が止まらず、一時は肺炎を併発してしまいましたが持ちこたえ、酸素ボンベを持ちながらの生活をしていたのです。
 
そして、一か月くらい前、酸素ボンベを持ち込みながら私のお店に娘さんに連れられて、髪をカットしに来てくれました。
 
いつも担当は娘なのに・・・なぜか彼女は私にお願いしてくれました。
 
「抗がん剤治療始めると、髪が抜けちゃうから、抜けた時用のカツラを頼んでもらおうかな・・・」
 
そんな一言が今でも頭に残って離れません。
 
肺に水がたまるという症状はもう助からないという記し・・・
 
でも私も彼女も奇跡を信じていました。
 
今年の元旦明けに、私は彼女のために曼荼羅のお守りを書きました。
 
以前皆さんにお伝えしたことを覚えていますか?
 
肉親以外の方のお守りは書かないでください。その人のすべてを受けてしまいます。身内なら血縁関係なので当たり前ですが、他人は危険なのでやめてください。
 
という内容の注意を書かせてもらいました。
 
しかし、彼女のために私はあえて受けてもいいと思い、書かせてもらいました。
 
それは以前、彼女の依頼で神事を受け、藤枝や島田の神社の殆どを周り、祈りったことを今でも感謝しているからです。
 
事任(ことのまま)八幡宮の元宮の奥の山に入り、その山頂で祈っていた時、土の中から江戸時代のものなのか、「寛永通宝」の古銭が浮き出てきました。土付きで・・・
 
それを手に取り、昔はここが祈りの場所だったんだと確認したことがありました。
その古銭は今でも私の神棚にあります。
 
彼女は「こんなことってあるんだね。私、目で見えない世界を信じるよ!今日は一緒に神社をお参り出来て幸せです。ありがとう!」
 
と言ってようやく信じてくれたのですが・・・
 
私の過去の生活(間違った結婚)をしてしまったことから、完璧な私だと思い込んだ彼女でしたので、霊感がある私がこんな人と再婚するなんて信じられ無くなった。なぜ私は変な異性につかまるの?
 
という意見を何度も私にぶつけてきました。その度に「私は完璧な人間じゃないよ。失敗しながら学ぶんだよ。それから霊感なんて無いんだよ。私は経験して学ぶタイプなんだよ。」
 
そう説明してきましたが、なぜか通じませんでした。
 
あの時の私は人に納得させる人間性がない、ただの着ぐるみを来た偽導き人だったんです。
 
あの時に彼女は他の強い力を持ったカリスマ性のある団体に引き込まれて行きました。
ビジネスで一花咲かせたい、主婦だけじゃなくて自分の力を家族に認めてもらいたい。
著名な先生などのセミナーに出たり、聞いたり、学ぶう内に、私の素朴な「完璧じゃない方がいい」的な考えから離れていってしまいました。
 
きっと彼女だけじゃなくて、他にも私が完璧な人だと思い込んでいた人たちがいたはずです。
結婚して徐々にみんな離れて行きました。
 
でも、私は結婚という一般的な女性の幸せは追う事はやめました。
以前の私は、精神世界にも現実社会でも尊敬できる人を夫に持つ、支える素晴らしい妻を演じていました。
 
でも実際にその人のことを尊敬していない自分がいました。価値観そのものにずれを感じました。
はじめになぜ気が付かなかったのか・・・とよく言われました。
 
でも、人は出会いというものを通し、因縁を解消しなければ消えない想いもあるのです。
そしてその想いに終止符が打たれた時、もう二度と出会わない人になり、未来永劫その種の学びはすることはありません。
 
人の出会いは自分が引き寄せるものです。以前の私は、亭主関白という夫とはどういう人なのか、また良き妻とはどういう妻なのかを知りたかったのです。
 
また、大将でいたい人、それも最強の個人主義者を体験したかったのでしょう。
早起きをして大学院のレポートを書いて、お弁当作って、静岡駅まで送迎して、夕食準備、その間に美容業、カルチャースクールの資料作り・・・
何よりも亭主を一番にしなければならない生活に身も心も疲れ切っていました。
 
そんな時、彼女の心の叫び、疑問に答えてあげられなかったのです。
 
私のセミナーに出る度に、その団体から違うことを言われ、迷い出した咳込んでいる彼女を見ていて、ついに私は心を鬼にして
 
「その団体の人と縁を切る?それとも切れない?」
 
と彼女に問いかけました。
 
でも彼女は
「その人たちはそんな人たちじゃないから。とても切れない。」
 
その団体の裏でどれほどのビジネスが成立しているのか知っていた私でしたが、既に心は支配されていました。
 
「もしビジネスだけの団体なら、なぜ宇宙の話なんて出るの?切れないのならもう私のセミナーは来ないで。でもね、美容には来て。それだけでも繋がっているから。私のセミナーに出ていると、このままではあなたが迷ってしまう。あなたの今すべきことは働くことじゃない。家族との大切な時間でしょ。お願い、目を覚まして!」
 
 
しかし、彼女は私から切られたと思い込んでしまいました。
 
美容でダンスで繋がっていることを伝えたはずが、誤解されてしまいました。
 
私は他の数人の人に私の真意を伝えてもらいたいと頼みました。
彼女の従妹の方にも連絡しましたが残念ながら誤解されたままでした。。。
一番説得して欲しい人でした・・・彼女は信頼していたのですから。
 
その後別の人に頼んで協力してくれたのは、彼女の親友と、私の両親の友人の娘さんでした。
 
お二人の力を借りて、無事に彼女の迷った心は帰ってきました。
私にメールでごめんなさい、ありがとう!ようやく気が付きました!と・・・
 
こういう経緯で曼荼羅のお守りを作りました。
 
お守りはギリギリ間に合いました。渡して三日後でした。
苦しまずあの世へ旅立ってくれました。
 
でも私は自分が許せません。私の過去、間違った結婚によって誤解させてしまった、不信感を抱かせてしまった私の過去を決して拭い去ることはできません。
 
だからこそ、彼女が渡してくれた曼荼羅の代金は、東寺に奉納してきました。空海に、大日如来に懺悔してきました。
 
それが30日でした。
 
出る時、静岡で虹が出て、京都について雨が止み、東寺の上だけ晴れながら霧雨が!
狐の嫁入りの天気でした。そしてとても暖かい日でした。
 
金剛界曼荼羅図の配置に並んでいた講堂に入り、金剛界の智拳印を結んだ大日如来の前に立ち、小声で彼女の名を出し、彼女の御魂を極楽浄土へあげてもらうように頼みました。
 
また、私の過去の過ちを赦してもらいたいと願いました。
同時に、これからの誓いをしてきました。
 
高野山で学んだ真言密教を、空海の理念と共に万民安泰に向けて、密教を伝道することを誓いました。
 
私にできることは、算命・天源術という密教から出ている鑑定を究めることと、空海の目指した神仏融合の密教の世界観を広げるお手伝いをすることです。
 
先ずは手始めに奈良あたりから始めましょうか・・・
 
「太子の謎を解け!」と言われた10年以上前の言葉の意味が今なら解ける!
 
「太子」とは「大師」でもある…蘇我氏の仕掛けた大王作戦ももうすぐ消える・・・
トランプ政権を生んだものも同じ大王の匂いがするぞ~
 
「和を以て尊しとす」
 
とは、神仏融合の世界観ですから同時に密教でもありますね。
東寺には手水舎があります。
東寺は真言密教の根本道場なのです。
 
事実、空海な丹生明神として、イブキドヌシとワカヒメを丹生津比咩神社にお祭りしたのです。
それはイコール、空海は『ほつまつたゑ』を知っていたことになります。
 
このお二人は和歌山県に縁が深い、守り神なのです。それが狩場明神と、連れていた白と黒の二匹の犬が空海を導いたという伝説になっています。
 
犬ではなく、イブキドヌシは黄泉の月の夜で息吹を放つ「黒の神」としての精神世界の魔を祓う闘いの神の象徴として、ワカヒメは昼間の太陽のように天照大御神の姉「白の神」の肉体のパワーの象徴の光として登場しています。
 
伝説を『ほつまつたゑ』で読むと見えてきます。
 
どうかこのブログを見て、彼女の御魂に心を合わせて下さる方がいますことを・・・
 
そして私の過去への懺悔と共に、これから先の祈りは今までにない責任と自分に決して負けない意志(不二:ふに)の精神を誓います!
 
今後も失敗だらけの私ですが、敢えて見せながら失敗しながら経験しながら、皆さんに信頼されるように彼女の分も生きていきます。
 
もう二度と、SOSのサインを見逃さず、その都度その人に寄り添い、語り合って意見をぶつけ合って逃げないで傍観者にならないで進むことを彼女の御魂にも空海さんにも誓ってきました。
 
私のありったけの想いの半分も書けませんでしたが、なんだか瓊瓊杵尊さんの想いが伝わってきたような気がします。
 
今度はきっと書ける!私なりの浦島太郎が・・・
 
フタカミ(伊弉諾・伊弉冉)と神武天皇誕生までの話がこれでようやく繋がりそうです。
 
待っていてくださいね!