乳癌になったNokonokonyan

乳癌になったNokonokonyan

2013年10月乳癌告知。田舎から東京の病院に通院、治療中。孤独な闘いだけど、50代、諸々をのほほんとお話ししていきたいな。

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見事な三回坊主!? こうなるともう、ね… 三ヶ月か。
イロイロありました。
放射線治療が終了し、今はホルモン剤を飲んでいる。


自宅近くの病院でやれるものと思っていた放射線治療。そうはうまく事が運ばなかった。
結局、ホテル住まいの治療になった。月曜日朝、スーツケースをガラガラさせて都内の病院に向かい、金曜日午後家に帰り、土日家のことをして、また月曜日病院に向かう生活。五週間。
気が付けば子供の夏休みは終わり、スーパームーンも見忘れていた。

抗がん剤投与で身体がボロボロになってしまい、寝たきりの日もあり体力激減。
咽頭癌サバイバーで八十代の父よりもよっぽど老人の様だった。

放射線治療初日、照射を終え、日傘を差しスーツケースをゴロゴロしながら病院を出るも、5分以上歩けず、途中マックでひと休みせずにはホテルにたどり着けなかった。
それでも、二週間目三週間目と少しずつ体力が回復し、とりあえず一般の歩行者と同じ速さで横断歩道を渡り終える事が出来た時には、本当に嬉しかった。見た目は普通の人並みだ、って。

なんてレベルが低いんだろうと自分でも思うが、 抗がん剤投与で生活が一変し、QOLの低下が激しく落ち込むことばかりなので、考え方をチョッと変えて、ハードルはぐっと下げてたくさんの喜びをもって生活しようと思った。というか、そうしないとやってられなかった。


毎朝1500円出してホテルの朝食を食べるわけにはいかない。
三食バランス良くどうやって食べるかが課題だった 。
ファミレス、コンビニ…味覚異常が改善されないまま毎日色々トライしてみた。

食べるものに文句はなくとも、夕食どきは喫煙OKの店ばかりで困った。
禁煙コーナーは名ばかりで、思わぬところから煙がやってくる。
そういえば朝病院へ行く時も、所々にある灰皿ボックスだけの喫煙所には、いつも人が群がっていた。否が応でも煙を吸ってしまう。
雨の日に、ラッキー!今日は大丈夫と思ったら、何と皆傘をさしてタバコを吸っていた。
驚いた。オフィス街(?)とはこういうものかと、思い知らされた。

病院のコンビニで昼食を終えて部屋に帰ると、まだ掃除がなされておらず、フロントと電話のやりとりをして、用事もないのにまた外に出なければならなかったな。
それならとすぐに帰らず、病院の図書コーナーで病気に関する本を読んでいれば時間は過ぎるが、決まって重い気持ちで帰るハメになっていた。
結局、病院のボランティアで用意されている本の中から、推理小説を選んで読み時間を潰す、というのが一番無難というに至った。

お金を払って宿泊するのに、なんでこんな事に気を使わなきゃいけないんだろうと思ったが、気持ち良く対応して貰えた試しがないので、諦めた。
午前中に掃除を終えてくれれば良いだけなのにね。
二回目からは学習してよ!
少し遠くても、ランクアップして別のホテルに変えようかと思ったが、これ以上のワガママは申し訳ないと思い直した。

仕事も持ち込んだ。月末の振り込みも、地元銀行の東京支店まで出掛けて行った。
地下鉄の階段が急で、息も絶え絶え休みながら地上に出た。
同じ日に手術したがん友さんと病院で待ち合わせて、二度食事をした。
都心に住んでいる妹とも、何度か一緒に食事した。
銀座のオーガニックレストランにも行ったが、店員の態度とコストパフォーマンスの低さに、妹は「もう来ない」と言いつつ食べていた。

なんだかあっという間だった。
本来ならもっと有意義に、たくさんのことをして過ごせたはずだが、デパ地下でオーガニックのお弁当を買って帰るぐらいが精一杯だった。

抗がん剤の副作用がまだまだ続いていた。
身体がいうことをきかなかった。
殆んど人と話さなかった。
色々なことが嫌になって、部屋から出たくないこともあった。
少しずつ病院に着く時間が遅くなった。
待合で本を読まず、TVを眺めるようになった。
熟睡できず、ため息で起き上がる日が続いた。

それでも、病院に入りエレベーターで地下へ降りると、放射線科の受付のお嬢さんは席を立ち笑顔で迎えてくれた。
中に入れば看護師さんも笑顔だ。
週に一度の放射線科の医師との会話も楽しかった。
放射線科は皆明るく笑顔が似合うのだ。

照射最終日、受付でも、アナムネとる看護師さんにも、放射線技師さんにも、皆に、
「長い間、お疲れ様でした。今日が最後ですね。」と、笑顔で言われた。
ありがたかった。
この優しさと笑顔に支えられて、毎日なんとか通うことができたのだと思った。
ありがとう。

そうそう、ホテルと病院の間の工事現場のおじさんも。
毎日しっかり顔を見て「足下に気をつけて下さい。」ってにっこりだった。
ありがとう。

五週間関わって下さった全ての方々、ありがとう。
不自由な思いをさせた家族に、ありがとう。