公演までに図書館で妖怪について調べました。春頃には実感なかったけど夏が近づくにつれお盆シーズンの妖怪舞台への期待感が高まっていったよ。
いつものように図書館の古い書籍で調べたので最近の研究では新たな説が発表されているかもですが、僕なりに調べた妖怪と舞台の感想です。
今回も嬉しかった上演台本の販売。年月が経過すると朧気な記憶になってしまう作品の思い出が台詞を読み直すと頭の中に景色が甦ってきます。
今年はゴブさんといっしょも!運SADAも楽しみで!なんて話していたのに半年ぶりの観劇になってしまいました。劇団員になり蒼田聖樹初の本公演主演。そしてゴブさんのマクベス。どうしてもこの本公演は外せませんでした。
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九尾の呪いにかかった鬼太郎でなければ勝てたのか!?いや!頭脳戦になったら…それでも善戦するだろうと思わせる紅孩児。炎を撒き散らしたり常に戦闘モードの妖怪も格好良かったよ。
紅孩児の武器は原田ケイカの操っていた長槍と藤堂リンが命を落とした大石リオンの長槍を思い出したよ。
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ハム奇妙ではコミカルでオニレイジでは可愛い乙姫。毎回色々なお顔が見られて嬉しいのです。
10年前と6年前を思いだし最後にマクベスと対峙するのはカラス天狗だと思っていました。
牛魔王が匿っていたカラス天狗。何もかも忘れてしまったような姿は昨年のオフィーリアを思い出したよ。
10年前のこのシーン。当時マルコムポジションだった女の子は失意の底を偽り妖怪ウオッチを踊っていました。10年経って妖怪とマクベスのコラボが観られるなんて不思議な感覚でした。
10年変えていないTwitterのアイコン。
『私の気持ちは死んでいない!日本妖怪の世界を取り戻すよ!』と語るカラス天狗を見ていたらプロレス版マクベスやらゴブさんに初めて声を掛けさせてもらった時の事やら色々思い出しました。
本公演常連さんのようなお二人のお顔が今回も拝見出来て嬉しかったです。
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『♪エロイムエッサイム♪さあバランガバランガ呪文を唱えよう』
開演前会場に流れる悪魔くんのテーマ曲。
何年ぶりかに聴いたのにこれを書いている今もメロディーが頭から消えません。
剣を持つマクベスを撮りたくてお願いしたら見つからず諦めかけた所に飛び込んできたメフィストの杖。
優しい鬼太郎に剣は不要だよと、メフィストの声が聞こえたようでした。
公演中も公演後のチェキ会でも。メフィストはマクベス鬼太郎を守ってくれているようでした。
『♪地獄のナイフが♪きみを狙っている~』悪魔くんのこんな歌詞も。
『♪奇跡を呼ぶのは♪心をつないだ仲間さ~』僕にはメフィストのテーマ曲に聴こえていたよ。
裏切られ命を落とすのに九尾との決戦では力を貸しに飛んでくる鬼太郎の親友。
これがアマビエに教えるはずだった夜を駆ける魔法だったのかも?
妖怪風のメイクも格好良くて!!西洋妖怪なのに鬼太郎の世界観にも違和感なく溶け込んで見えたよ。
本公演でまた一人素敵な役者さんを拝見出来て嬉しかったです。
今度は妖怪ではないお顔のハラグチさんにも会えたらいいな。
メフィストに仕えるアマビエ。その姿を飾れば万病が治る有難い妖怪。
妖ビエの姿を飾ればあまりの可愛いさにドキドキが止まらず恋の病に落ちるでしょう。
霊ビエの姿を飾ればあまりのセクシーさにドキドキが止まらず血圧が上がるでしょう。
病が治るのか何なのかよくわかりませんが!二人のアマビエに恋しました!!
そんな二人に慕われるメフィストが羨ましかったよ。
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ゲゲゲのマクベスとタイトルが発表されてから妖怪の事を調べたよ。
もちろんゲゲゲの鬼太郎も。砂かけ婆と子泣き爺は出るだろうな、ねずみ男も勉強しておかなきゃという予想は見事に外れてしまいました。
子泣き爺は山へ芝刈りに砂かけ婆は川へ洗濯に行き難を逃れたのだろうと思っていたらまさかの九尾の猫ちゃんたちに目玉のオヤジ諸共やられていました。しかもお仲間と呼ばれ名前すら登場しないなんて。
公演時間の関係で泣く泣くカットされたのだろうお仲間たちと九尾の猫ちゃんたちの妖怪史に残る激闘を僕は勝手に想像します。
Round1。砂かけ婆は猫ちゃんたちに砂をかけまくります!!しかし哀しいかなその攻撃には驚かす以外の攻撃能力はなく追い詰められます。
Round2。子泣き爺は抱きかかえてくれるのをひたすら待ちますが猫ちゃんたちに爺ちゃんを抱く考えなど毛頭なく攻め手を失いこちらも追い詰められます。
FinalRound。ぬりかべは弁慶が義経を守ったように仲間たちを守るべく猫ちゃんたちの前に立ち塞がりますが最後は討ち取られ、それを見て一目散に逃げ出すねずみ男は猫又の江里奈さんとまいまいに食われたのでしょう。
栃木県那須町にある殺生石が再び割れ、閉じ込められていた九尾の狐の怨念が飛び出したのが全ての始まりなのでは?そんな想像もしながら観てたよ。
九尾が治めていた那須地方。鳥取よりは下という台詞には水木先生には九尾のどんな力も敵わないというように聞こえたよ。
まいまいの舞台復帰作品。劇団新劇団の本公演で観られて嬉しかったよ。
幕部須凶子が結婚してママになるなんて!ぶっこみの時には想像もしませんでした。いつか成長したチビちゃんがマナ拳での王子作製のジャミマスクを被り三代目ジャミを名乗るのか!?
みぶまほ3での王子作製の魔具を手にみぶまほの再演に魔法少女として登場するのか!?
ぶっこみでのまいまいの特攻服を纏い幕部須凶子の娘を演じるのか!?
なんてそんな日を夢見たりしたよ。
今回はお会い出来ませんでしたがまた会おうね!毎日忙しいと思いますが元気でいてね。
今回はお会い出来なかったけどまたお会い出来たら話聞かせてね。
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三匹の猫の妖怪の存在に覚えのある猫娘は予言を信じて扉の向こうへ鬼太郎を誘おうとするけど、初めは猫娘も鬼太郎が王になれば平和な世界がやってくると信じていたと思うよ。
鬼太郎を悪の道へと導く張本人のような印象だけど、猫娘が想像する扉の向こうには平和な景色が広がっていたと思うよ。
鬼太郎が優しすぎると感じていただろう猫娘は、強い王が存在する事で妖怪の世界は平和になると信じていたと感じました。
シェイクスピアはマクベスを書くにあたってイングランドやスコットランドやアイルランドの年代史に影響を受けたとも言われていますが、当時下剋上は珍しい事ではなかったそうです。
弱い王には退いてもらい強い王が国を治めるという猫娘の考えも、決して全悪ではないように感じるよ。
暗殺後鬼太郎が握っていたナイフを奪い王の寝室に向かう猫娘にカラス天狗がかける言葉。
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妖怪とは人間の理解を超えるような奇怪で不思議な力を持つ存在を指すそうです。
妖怪の歴史は古く一世紀初頭には中国の書物に「人知を越えた奇怪な現象」という意味で妖怪という言葉が使われているそうです。
日本では奈良時代の歴史を記録した書物に怪奇現象を示す意味で妖怪という文字が存在します。
妖怪とは当初は現象を示す言葉で使われていたようです。
それが現在では妖怪は不思議な力を持つ存在になった理由としては、日本には古来から万物には霊魂が宿っているという考えがありそれは生き物だけでなく無機物も対象でした。人間にとって正体不明なものほど恐ろしいものはなく、妖怪も説明出来ない恐怖から逃れるために形のない現象から形を持った存在へと具現化されたのではないかと考えられているそうです。
これには人間は自分たちの理解を超えるものを人に伝えるためそれらに形を与える傾向があるからとも考えられているそうです。
妖怪同様幽霊も人間が恐れを抱く対象でした。両者が違う理由は妖怪は多くが生まれながらにして妖怪であるのに対して、幽霊は一度死んだ者が再びこの世に姿を現した存在という点です。
幽霊は血みどろや首なしなどの姿で現れるのに対して、妖怪はおどろおどろしい姿ではあっても血みどろや首なしなど不完全な状態で描かれてはいません。
幽霊は墓場や事故現場や自殺の名所に現れますが、妖怪が現れるのは人里離れた山奥や住人が寝静まった部屋など死とは直結しない場所が多いそうです。
そして幽霊は積極的に人前に現れますが、妖怪は多くは人間が偶然に発見したものであるという点などから両者は違うものと言われているそうです。
理解出来ない超現実的な存在としては神様も存在します。神様の中には妖怪のように人間とはかけ離れた姿で描かれている事も多くあります。
神様と妖怪の違いは信仰の対象であるかどうかで違うようです。この世界は神様によって創られたと信じられており、人間にとって創造主である神様は感謝すべき対象で信仰の対象となる存在というのが一般的な考えですが、妖怪には信仰に繋がるといった話はあまり聞こえてきません。
ですが妖怪は土地土地の風習や慣習に根ざした存在であり、妖怪にまつわる話は神社仏閣に多く残されています。神様と妖怪はコインの裏表のような存在とも考えられているそうです。
かめちゃんの演じた死神。原作では誰にあたるのか気になっていました。
鬼太郎の介錯をする死神。10年前と6年前と違うエンディング。
前二作品は原作のマルコム役が最後にマクベスと対峙し戦いの後に解り合ったけれど、今回は原作通りにマクダフに討たれるマクベス。
ゴブさんが色々アレンジを加えた新作マクベスの一番大きく変わったところに感じました。
カラスに乗って移動する死神。宴では猫娘に鬼太郎への感謝を告げ頭を下げるなどマクベス鬼太郎への尊敬の念も持っていたように見えたよ。
終始腰が痛そうに振る舞うなど、闘いの顔をあまり見せなかった死神が鬼太郎を介錯するラストシーンはより哀しさを感じたよ。
死を司る神。死神が神様なのか僕には分からないけども、人間とはかけ離れた姿で描かれている神様もいるならそれは死神なのかもと考えました。
妖怪と神様がコインの裏表の存在なら、鬼太郎の最後を死神が受け持つのも意味があるように感じたよ。
毎回楽しみな本公演でのゴブさんの選曲。何十年振りかに聴いたWelcome to the jungleに痺れたよ。
『ようこそジャングルへ!気を付けな!オマエがズタボロになるのを見たいのさ!』
改めて歌詞を読むとマクベス鬼太郎への九尾の狐からのメッセージに聞こえました。
三匹の猫が誘う扉の向こうに歩み始めるマクベス鬼太郎。
イントロで背を向け重心を下げ中央で構える姿は後に九尾の猫たちと戦う時のポーズ。
顔は見えなくてもあの後ろ姿が大好きで!!毎公演オープニングからドキドキしてたよ。
見栄を張るどころか中央でアクビをする鬼太郎の顔は戦とは無縁に見えたよ。
冒頭九尾の狐を退治した後も家に戻り横になる鬼太郎。
父さんや仲間たちと平和に暮らすのが理想で戦を好まない鬼太郎は蒼田聖樹と瓜二つに見えたよ。
今年の1月。初の本公演主演に向けての思いを聞きました。
『主演は自分でも作品はみんなのもの』
その時から座組みんなで本公演を成功させたい思いを持ち続けていたように感じたよ。
『妖怪たちが愛おしい。こんな平和がずっと続けばいいのに』そんなポストを見ても九尾の狐さえもマクベス鬼太郎は愛していたんだと思います。
自らを『僕』と名乗る鬼太郎。自らを私と呼んでいた10年前と6年前のマクベスとは違う優しい印象を受けました。
『鬼太郎だから僕です』そうゴブさんは言っていましたが、道を踏み外した後も強さと狂気を感じながらもまだどこかに残る理性のような優しさ。それを蒼田聖樹のマクベスから強く感じました。
シェイクスピア原作の第二幕第三場で鳴らされる城門を激しく叩く音。
この音は王を殺害し心が悪に傾いているマクベスの心を呼び戻す音とも言われていますが、この作品ではそれがフクロウの鳴き声に当たるように感じました。
宴での王の挨拶を聞き暗殺を躊躇う鬼太郎の背中を押す猫娘。ここでフクロウが鳴いて。
暗殺用のナイフを猫娘に渡される前にも聞こえるフクロウの鳴き声。
王を殺害後猫娘に報告する際にも『フクロウがうるさく鳴く!』とフクロウの鳴き声を気にする鬼太郎。
ここまでで止めておけとフクロウが鬼太郎に伝えているようにも聞こえました。
フクロウは妖怪ではないけど、自然界も愛する鬼太郎への忠告の鳴き声にも聞こえたよ。
『死と復讐の時、雷鳴とそのこだまが世界中に鳴り渡る暗い情念のように…』
独白で自らの心中を語る鬼太郎を見ていて気付きました。左目が妖しく光っていると。
左目が隠された鬼太郎ヘアーの中から、それは照明の力ではなく確かに光っていました。
引き返せない道へと足を踏み入れてしまった鬼太郎の中の狂気が左目に宿っているかのように感じました。
紅孩児との決闘前に剣を呼び込む鬼太郎が手を翳すのは左目。
剣など持つ考えもなかった鬼太郎が、左目の狂気の力で剣を呼び込んだように見えたよ。
もう見ることは出来ないだろう蒼田聖樹の鬼太郎ヘアーを記憶に焼き付けました。
『僕は最強になってしまった!』
大友沙季ちゃんの衣装に包まれたマクベス鬼太郎。
その姿は最強に強く!!美しくて!!
蒼田聖樹史上、最高のビジュアルに見えたよ。
『次は何だ!?がしゃどくろでもやって来たか!?』
眠りを失い王とメフィストの亡霊に乱された鬼太郎の心には怨念が集まった巨大なドクロの姿がやって来るように感じたのかも。
妖怪は幽霊にはならないはずが鬼太郎の目には映るぬらりひょんとメフィストの亡霊。
どこまでも九尾の呪いに翻弄される鬼太郎の姿が、九尾の狐の存在をより大きく見せてくれました。
那須高原を動かすような妖怪たちの舞。動くことなど有り得ないと信じ込んでいた鬼太郎がダイダラボッチ…と驚く表情は、驚きだけでなく懐かしさと哀しみを合わせたように見えました。
平和と幸せに包まれていたあの日の宴を思いだしているように見えたよ。
下北沢から一駅。代田駅前広場の公園にあるダイダラボッチの足跡。もしかしたらカラス天狗たちはすぐそこまで来ていたかも?なんて想像もしたよ。
ゴブさんのマクベスで初めて死を迎えるマクベスに会いました。
器用に感じるみーちゃんは制作も裏方も何でもこなしてしまいそうに見えます。
でももっともっと役者としての蒼田聖樹を見たいと思っていたよ。
本公演の主演。いつ任されるんだろうと待っていました。
10年前の5月。初めてお会いしたゴブさんの作品がマクベスでした。
僕の中では今年は特別な10周年。
その年の本公演がマクベス!!そしてみーちゃんが初の本公演主演!!
特別すぎるくらいの思い入れがあったよ。
毎日満席が続く劇場。こんな景色旗揚げ以来初めて。
『万歳マクベス!本公演を大成功に導くお方!』
『万歳マクベス!劇団新劇団をさらなる高みへ導くお方!』
『ゲゲゲのマクベス!みっっっーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーちゃ楽しかった!!!』
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千穐楽後の帰り道。遠くから祭り囃子が聞こえたよ。
妖怪たちの舞もこんな響きなのかなと想像しながらラストシーンを思い出していました。
エンディング。死神の鎌に首をはねられるシーンで暗転する世界。
『妖怪世界の乱れは自然界の乱れ』
死の直前。妖怪の世界に平和が来るか死神に訪ねる鬼太郎。
マクベス鬼太郎は…もう一つの扉の向こうへ旅立ったように感じたよ。
………
目玉のオヤジが窓から顔を出す鬼太郎ハウス。
その上空を飛び回る九尾の狐の尻尾には、目玉のオヤジさんのお仲間たちが楽しそうに乗っていて。
悪戯をしようとする天邪鬼を東北の方言と語尾にパを付け嗜める河童がいて。
王位継承者のカラス天狗と紅孩児はぬらりひょんと牛魔王から眠そうな顔で帝王学を学んでいて。
その隣には二人の木の葉天狗。一人は真面目にメモを取り、一人はチェロを弾いていて。
妖アマビエと霊アマビエの姿が街中に飾られた世界には病も争いもなく永遠の命が保障されていて。
そのために仕事がなくなった死神は腰痛が治って。
鬼太郎ハウスの壁には妖三ツ目が描いた妖怪たちの絵を霊三ツ目と四ツ目から百目たちが飾り付けて。
そんな妖怪たちを幸せな笑顔で眺めながら欠伸をし横になる鬼太郎。
その傍らには猫娘とメフィストがいて。
………
かめちゃんの死神が感謝すべき創造主である神様なら
妖怪たちの真の平和な世界を扉の向こうに創ってくれたかも
『扉の向こうで何かが動く…』
あの鎌で切られたのは鬼太郎の首でなくもうひとつの扉の入り口
そんな未来を想像してみました。
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その中で印象に残った妖怪がいました。
人間にも親切で鉱山で働いたりもするイギリスウェールズ地方の妖怪。
この妖怪が現れると鉱山は栄え、姿が見えなくなると衰退するそうです。
イギリスではコブラナイと呼ばれるこの妖怪の日本での呼び名はゴブリン。
人間には妖怪の姿は見えないはずだけど
ゲゲゲのマクベス公演期間中、この劇場のどこかに…
この妖怪がいたように感じたよ。