うっそりと暗いのに明るい、それは真夏の陽射しの中こそりと作られたように秘密めいた匂いのする場所。
ゆっくりと手招きしている影はまるで物の怪のよう。
でもそれが何かは知っているから、その場所まで向かう足取りは軽い。
明日またと、そんな言葉を耳にした瞬間から待ち望んでいた。
細い葉をもつ常緑の木々が目の届く範囲全てを埋め尽くしている森を歩けば、かさかさと足は枯れた落葉を踏み乾いた音を立てる。ふわふわとしていて固い地面を感じないほど降り積もった枯葉は踏みしめるたび淡い香りが鼻をつく。糸杉のような深い森の香りは吸い込むたび頭の中までを浄化していくようだと思った。
もう人の声も車の音も聞えない。
それほど遠くまできたはずはないのに誰もいなくなってしまったかのような静寂が続いて心細くなった頃、手招きするその姿がみえた。
わくわくと早くなる足に急き立てられながらそこへ向かう。
針葉樹の葉の隙間から漏れる日差しはちらちらと明るく時に薄暗く、その姿がある場所ばかり木の下闇はいっそう濃い。
緑の吐き出す酸素が重いほど濃密で、少し上がりかけた胸の鼓動は宥められるどころか窮屈なほどだ。
木の下闇はまるで結界のように張り巡らされ、入ることは叶わないかに思えたがそれはあっさり一跨ぎに受け入れていまや明るい闇を共有することになる。
闇の中はひときは木々の匂いが濃い。
存在を忘れまるで同化していくのではと思えるほどそこは物言わぬ木々だけの世界で、ここへ急いでいた理由すら忘れてしまいそうになるけれどこの空間を所有しているようなもうひとつの姿はすぐ目の前にあった。
忘れてなどいません、なんて心の中で囁くけれど声はひとつも零れてこなくて。
いっそこの木の下闇に取り込まれてその存在を取り巻くものになってしまえたらとぼんやり思った。
ちょっとまえから様子が変だとは思っていたのだ。
どこか夢見心地で、焦点の定まらないうっとりとした目を宙に漂わせては薄く笑う。
おつむ、少し弱いのか?と思いきや、頭脳的にはすこぶる優秀ときているから、紙一重の類なんだろう。あまり親しいとはいえないクラスメイトだが、おれの席から窓を眺めるとちょうどそのライン上で、これまたぼんやり外を見ているこいつに目が行く。
なんてことはないんだが、なんとなく気になる存在ではあった。
それが。今、目の前をふらふら歩いていたあいつが、いきなり消えたのだ。
いや、変だったから。人目を避けるように森に入って行く様子がとても不自然に思えたので、つい後を追ってきてしまったのだ。
緑陰の濃い場所を選るように見え隠れするその姿を、気がつかれないように追いかけるのも一苦労だったのに、いきなりパッと、かき消えてしまった。
その瞬間を、おれは見た。落とし穴は、そこにはないのだ。
おれは一瞬金縛り状態だったけどそんなことをいっている場合じゃない。
あいつが消えた場所まで走った。
そして、落ちた・・・。
そこは胸がつかえるような強烈な木々や落葉、根っこや土などがむせかえる発酵臭をたちのぼらせており、何か幼虫のねぐらのようだった。
どこかにぶつかってやっと転落が終ったとき、目の前の薄暗がりに、あいつがいた。あいつが、なにか黒く大きいものに抱きかかえられ、目を閉じていた。
敵意を秘めた暗黒の瞳が、おれを咎めた。
震えが止まらない。これは邪悪だ!
そのままゆっくりと、あいつを抱いたまま薄れて行く。
連れて行かれてしまうっ!
おれはしゃにむにつかみかかっていた。けれど大きな影に弾き飛ばされ、根っこのようなものに体の自由を奪われ、嗄れた声であいつを呼び続けることしか出来なかった。せめて、目を開けて、気がついてくれっ!
だれか、あいつを助けてくれっ!!
白い閃光が走ったような気がした。
遠くで秋祭りの灯がゆれている。
十の昔に日は落ちて、あたりは暗闇につつまれていた。
どうして何事もなかった風にここにいるのか、とにかく二人とも落ち葉の上で湿気ていた。 「これ、きみの?」
「あ、おれのお守りだ。ひでぇ、ぼろぼろだ。」「・・・ぼくの手に巻きついてた。」「!?」
あれは何だったのか聞きたかったが、とても淋しそうな顔をしていたので、いらぬことを言ってしまった。
「連れて行かれなくてよかったよ。ていうか、おれは邪魔したわけだから怒ってるかも知れないけどさ。」
あいつは不思議そうにおれの顔を眺め、肯定とも否定ともわからない「うん。」を言った。
「変な体験しちゃったぜ。くわばらくわばら。せっかくだから、祭りを流していかないか? りんご飴買おうぜ。」
あいつがにっこり笑った。