1995年、地元ではすっかり有名になっていた
ラリーに新聞社から取材の依頼が来ました。
ラリーは、匿名を条件に、この新聞社の
取材に応じることにしました。
当時、取材をしたカンザスシティ・スター紙の
マクガイヤー記者によると、
『ラリーも家族も一切表舞台に出ようとしなかった』
ということです。
しかし、新聞で報道されてからというもの、
シークレットサンタの正体への関心はさらに高まりました。
一方、ラリーは多くの人に感謝されるにつれて、
ある人物に会いたいという思いが募っていました。
そして、1999年12月、
ラリーは、ミシシッピー州のトゥペロという小さな町のある男性宅を訪れました。
その男性こそが、シークレットサンタの生みの親だったのです。
28年前の1971年、一文無しだったラリーが落ちていた20ドルに救われた日のこと。
本当の落とし主が現れたら困るので逃げるように店を後にしたラリーは、
我に返って真実に気づきました。
20ドルは、落ちていたものとして男性店員が彼にくれたものだったことに。
男性店員の名はテッド・ホーンといい、
ラリーが訪問して、事情を説明すると当時のことを思い出しました。
ラリーは彼がしてくれたことを
いつか誰かにしようと思ったのだと話しました。
そして、テッドの20ドルがなかったら刑務所に入っていただろうと。
自分の人生を正しい方向に導いてくれたお礼にと、
ラリーはテッドに1万ドル(約120万円)の入った封筒を手渡しました。
受け取れないというテッドに、ラリーは、
『自分が今あるのはあなたのおかげだ』
と言って引きませんでした。
当時テッドは、警察に突き出すのではなく、
自らの過ちに気づき、他人への優しさを知って欲しいと思って20ドルを差し出したのでした。
それをずっと覚えていて、サンタ活動を続けた
ことには頭が下がるとテッドは言います。
テッドは、ラリーから渡された1万ドルを、
近所の病気で困っている人たちや生活に苦しい人たちのために使いました。
テッドにも、人を思いやる気持ちは健在だったのです。
その後、ラリーのサンタ活動は全米に広がりました。
2001年には、世界貿易センタービル爆破事件
のあったニューヨークに行き、
ホームレスや職を失った人を中心に2万5千ドルを
配りました。
2005年には、ハリケーンで壊滅的な被害を
被ったミシシッピ州を中心に7万5千ドルを配り、
27年間で配った総額は150万ドル(約1億5千万円)
になりました。
しかし、2006年、シークレットサンタが
ついにTVカメラの前に現れ、
正体を明かしました。
彼はその年の4月、
食道ガンのため治療しなければ、
1ヶ月生きられないと宣告されたのでした。
正体を明かしたのは、自らの命の宣告を受け、
『身近な人への思いやりを広げて欲しい』
というメッセージを送りたかったからだろうと、
マクガイヤー記者は言います。
そして、その反響は絶大でした。
2日間で7000通もの手紙やメールが彼のもとに届きました。
大半は自分もシークレットサンタになりたいというものでした。
その年のクリスマスも彼は病気を押して
サンタの活動を行いました。
そのお陰で、多くの人が、
笑顔でクリスマスを迎える事ができました。
2007年1月12日、
ラリーは58歳で静かにこの世を去りました。
生前、ラリーは、シークレットサンタ協会を設立
しました。
会員資格は、少なくとも1回、
他人への親切な行為を行うこと。
今でも世界中から登録の申し込みが後を絶たない
ということです。
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ラリーも果てしない心の豊かさを持っているのだと思いますが、
彼の奥さんもとても素敵な心の豊かさを持っていますよね^^
去年から少しずつ実行し始めたことなのですが、
僕自身も様々なものを与えることで少しずつ豊かになりつつあります。
見返りを求めてしまうとちょっと違う話になると思いますが、
自分がして差し上げたことで相手が笑顔になってくれると、
それだけで断然嬉しいですよね。
また素敵なお話を見つけたら不定期でシェアしちゃいます☆