日本マクドナルドの社長である、
原田泳幸さんの本で次のようなことが書かれていました。

自分の実家は養鶏場であり、
ひよこの出荷の際、一度に5000羽から一万羽以上出荷します。

明るくなると鶏が騒ぎ、
放し飼いの養鶏場の片隅に鶏達が逃げ込んでしまいます。

重なり合うと下の鶏達が圧死してしまうので、
深夜の2~3時頃に起きて、
暗い時間に作業を進めます。

まずカゴを20段ずつ重ね、
重量を計ります。

そして1つのカゴにつき20羽ずつ詰め込み、
総重量をまた計測して出荷するのですが、
これはまるで風呂桶にスプーンで水を満たすような根気のいる仕事です。

カゴに鶏を詰め込んだ後に、
親父はカゴの外についた鶏の羽根を丁寧に取り払ってから計測を始めます。

私と弟が、
『お父さん、寒いから早くやろうよ。羽根ぐらいじゃ重さだって変わらないよ』

と言うのですが、親父は決まってこう言いました。


『わが家は三度も火災に遭って、家も何もかも燃えた。

でも一つだけ燃えなかった財産がある。

それは人さまからの信用だ。

火災に遭い、一文無しになっても、人さまからの信用があったから、皆が養鶏場の経営を応援してくれたのだ。

信用は人前でつくるものじゃない。

人に見えないところで、できるものだ。』

この文章を読んだ瞬間、
魂が震えました。

これを見て当然だと思う人もいると思いますが、本当に素敵なお父様ですよね。

日本の資産数千万という富裕層200人を対照にしたある統計では、

『誠実さ』

が、最も必要な価値観であると答えた回答者が非常に多かったとのことです。

人は誰もが一人では生きられず、
周囲から様々な形で応援されることで成功をおさめた人が多い為、

信用される為に誠実さというキーワードが重要なんだと思います。

実際、誠実ではないかも?
と、思うような人になかなか100%協力したいとは思えないですものね。

過去、誠実さ…とは対極にあるようなところにいたので、

本当の意味で身につけたい価値観の一つです。




1995年、地元ではすっかり有名になっていた
ラリーに新聞社から取材の依頼が来ました。

ラリーは、匿名を条件に、この新聞社の
取材に応じることにしました。

当時、取材をしたカンザスシティ・スター紙の
マクガイヤー記者によると、
『ラリーも家族も一切表舞台に出ようとしなかった』
ということです。

しかし、新聞で報道されてからというもの、
シークレットサンタの正体への関心はさらに高まりました。

一方、ラリーは多くの人に感謝されるにつれて、
ある人物に会いたいという思いが募っていました。

そして、1999年12月、
ラリーは、ミシシッピー州のトゥペロという小さな町のある男性宅を訪れました。

その男性こそが、シークレットサンタの生みの親だったのです。

28年前の1971年、一文無しだったラリーが落ちていた20ドルに救われた日のこと。


本当の落とし主が現れたら困るので逃げるように店を後にしたラリーは、

我に返って真実に気づきました。

20ドルは、落ちていたものとして男性店員が彼にくれたものだったことに。

男性店員の名はテッド・ホーンといい、
ラリーが訪問して、事情を説明すると当時のことを思い出しました。

ラリーは彼がしてくれたことを
いつか誰かにしようと思ったのだと話しました。

そして、テッドの20ドルがなかったら刑務所に入っていただろうと。

自分の人生を正しい方向に導いてくれたお礼にと、
ラリーはテッドに1万ドル(約120万円)の入った封筒を手渡しました。

受け取れないというテッドに、ラリーは、

『自分が今あるのはあなたのおかげだ』

と言って引きませんでした。

当時テッドは、警察に突き出すのではなく、
自らの過ちに気づき、他人への優しさを知って欲しいと思って20ドルを差し出したのでした。

それをずっと覚えていて、サンタ活動を続けた
ことには頭が下がるとテッドは言います。

テッドは、ラリーから渡された1万ドルを、
近所の病気で困っている人たちや生活に苦しい人たちのために使いました。

テッドにも、人を思いやる気持ちは健在だったのです。

その後、ラリーのサンタ活動は全米に広がりました。

2001年には、世界貿易センタービル爆破事件
のあったニューヨークに行き、
ホームレスや職を失った人を中心に2万5千ドルを
配りました。

2005年には、ハリケーンで壊滅的な被害を
被ったミシシッピ州を中心に7万5千ドルを配り、
27年間で配った総額は150万ドル(約1億5千万円)
になりました。

しかし、2006年、シークレットサンタが
ついにTVカメラの前に現れ、
正体を明かしました。

彼はその年の4月、
食道ガンのため治療しなければ、
1ヶ月生きられないと宣告されたのでした。

正体を明かしたのは、自らの命の宣告を受け、
『身近な人への思いやりを広げて欲しい』
というメッセージを送りたかったからだろうと、
マクガイヤー記者は言います。

そして、その反響は絶大でした。

2日間で7000通もの手紙やメールが彼のもとに届きました。

大半は自分もシークレットサンタになりたいというものでした。

その年のクリスマスも彼は病気を押して
サンタの活動を行いました。

そのお陰で、多くの人が、
笑顔でクリスマスを迎える事ができました。

2007年1月12日、
ラリーは58歳で静かにこの世を去りました。

生前、ラリーは、シークレットサンタ協会を設立
しました。

会員資格は、少なくとも1回、
他人への親切な行為を行うこと。

今でも世界中から登録の申し込みが後を絶たない
ということです。

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ラリーも果てしない心の豊かさを持っているのだと思いますが、

彼の奥さんもとても素敵な心の豊かさを持っていますよね^^



去年から少しずつ実行し始めたことなのですが、

僕自身も様々なものを与えることで少しずつ豊かになりつつあります。


見返りを求めてしまうとちょっと違う話になると思いますが、

自分がして差し上げたことで相手が笑顔になってくれると、

それだけで断然嬉しいですよね。



また素敵なお話を見つけたら不定期でシェアしちゃいます☆



に思いがけなく巡りあいました。


正直少し長いです^^;


いえ、かなり長いと思いますが、とても良い話なので最後までお付き合いくださいm(_ _)m



■シークレットサンタ


1971年11月、23歳のラリー・スチュワートは
会社が倒産し路頭に迷っていました。

空腹に耐えきれず、ついレストランに入って、
取り憑かれたように注文してしまいました。

ラリーは、請求書を出されようやく我に返り、
お金を持っていないことに気づきました。

そして、なんとかその場を取り繕おうと
ポケットの中を探すフリをしながらも、
警察に突き出されても仕方が無いと
覚悟を決めたその時、

一人の男性店員が、ラリーの横でしゃがみこみました。

そして、20ドル札(約2000円)を手にして
立ち上がると

『これ、落ちてましたよ。』

と言ってラリーに手渡しました。

お陰で、ラリーは、会計を済ませることが
できました。

1972年、運良く拾った20ドルの残りを旅費にあてて
ラリーは、違う街に移り住み、警備関係の会社を起こして
懸命に働きました。

その後、会社もなんとか軌道に乗り、
結婚し子供も生まれたラリーは、
幸せな生活を手に入れたかに見えました。

しかし、1977年12月

不況のあおりで会社が倒産し、
再び、ラリーは、その日の食事代にも困るほど
追いつめられてしまいました。

貧しさで追い詰められたでラリーは、
銃を手に銀行に入り、強盗を働きそうになりました。

しかし、銀行でたまたま20ドル札を見た時、
ふと我に返り、以前のレストランでの事を思い出しました。

そして、銀行強盗を思いとどまり、
もう一度、ゼロからのスタートを心に決めたのです。

改心したラリーは1978年、妻の兄からの援助を受け、
セールスマンとして懸命に働き始めました。

しかし、そんな彼に、またしても試練が降りかかります。

1979年12月、会社の経営が思わしくない
ということで、ラリーは解雇されてしまったのです。

ラリーが、もう助けてもらうあてがないと
途方に暮れていた時のこと、

ふと目についた売店に立寄り、
ポップコーンを注文しました。

店員の女性は暗い表情で、
違う商品とおつりをラリーに渡してしまいました。

ラリーは彼女が困っているのだと思い、
おつりの中から20ドル札をプレゼント
しました。

彼女は受け取れないと言いましたが、
ラリーは

『クリスマスプレゼントだよ』

と言って手渡しました。

そう、この日はクリスマスだったのです。

女性は嬉しそうに、ラリーにお礼を言いました。

その笑顔がラリーを明るくしました。

そして、その時、ラリーの頭に、
突拍子も無いあるアイデアが浮びました。

そして、居ても立っても居られなくなり、
そのアイデアを実行し始めたのです。

そのままラリーは銀行に行くと、
なけなしの貯金を引き出し、
白いオーバーオールに、赤い服とベレー帽
という姿で町に出かけました。

そして困っていそうな人や、貧しい人に
20ドル札をクリスマスプレゼントとして
配り始めたのです。

これが、シークレットサンタが誕生した
瞬間でした。

20ドルは大金ではありませんが、
困っている人々にとっては大きな助けとなり、
喜んで 受け取ってもらえました。

家に戻ると、妻から銀行にお金が残っていなかった、
と言われました。

ラリーは、怒って文句を言われるのを覚悟で
『落としてしまった』と答えました。

すると妻は怒るどころか、

『仕方がないわね、でもあなたは幸せそうね。』

と微笑むだけで文句を言いませんでした。

翌年の1980年、ラリーは、
友人と長距離電話の会社を設立し、
懸命に働きました。

そして、その年のクリスマスにも
道に立って人々に現金をプレゼントする
活動を続けました。

そしてその金額は少しずつ多くなっていきました。

不思議なことにシークレットサンタとなって
施しをすればするほど会社の業績が上がり、
長年の切り詰めた生活から抜け出し
家族のために家や新しい車を買えるまでに
なりました。

ラリーの妻も、町中でシークレットサンタの
噂を耳にするようになりました。

彼は家族にも言っていなかったのです。

ラリーは、それからも一年も休むことなく
シークレットサンタの活動を続けました。

そして、9年目の1987年12月、
ついに妻にシークレットサンタがラリーで
あることがわかってしまいました。

すまないと謝るラリーに、妻は

「素敵なことじゃない。
これからはもっと節約して
たくさんの人を助けられるように協力するわ」

と答えました。

以後、家族もラリーの活動を知って
陰から支えることになりました。

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今年一発目めちゃくちゃ感動してしまいました!!


与える者が豊かになる・・・


本当にその通りですよね。


お金ではなく、無償で出来る笑顔や気配り、

ちょっとした優しさが一生それを受けた相手に残すことだって可能なのですから…