東京五輪のチケット予約に多くの人が集中した。同時に取得をめぐる狂想曲も聞こえてくる。さかのぼって1964年開催時もそうだったのか。徹夜で並んだ話は聞いたが、これほどの騒ぎではなかった気がする。ネット社会ゆえの〝高音〟か。
中二の夏だった。五輪初開催を1年後に控えたちょうど今頃。東海道新幹線は開催に間に合わせようと工事が進んでいた。
体育会系の校長は理解ある人で、時折陸上をやっていた私に「100m競争しよう」と持ち掛けてきた。校長は負けたら、当時30円ほどだった「チキンラーメン」をひと箱(30食)買ってくれた。還暦に近い校長に私が負けるわけもなく、皆でつつく大鍋のラーメンは、腹をすかせた部員にとって一番のごちそうだった。校長の粋なはからいである。
当時私は人一倍やんちゃだが、スポーツに、ついでに勉強にも精を出していた。そんなある日、校長は「来年私はオリンピックの審判員になることが決まった。4月にはこの学校を去る。みんなも一生の思い出に世紀の祭典を見たいだろう。なんとかして五輪のチケットを100枚学校に贈る。その時おまえは3年で、きっとこの学校を仕切っているだろう。行きたい生徒に公平に配分してくれ」と。
翌年9月、学校に100枚のチケットが届いた。陸上、バレーなど様々な競技が入り混じっていた。前校長がどのような手段で100枚ものチケットを入手し、その料金は誰が支払ったのか。中学生の私には知る由もなく、また気にもかけなかった。
全校朝礼で新任校長は胸を張って「100枚のチケットが手に入った。これからその配分を言う。各クラスの学級委員、各部活の部長・副部長、それに校長推薦20名、残り40名を希望する人で抽選する」とまるで自分の手柄のように。
思わず私は頭に血が上り「そんなばかな人選があるものか」と叫んでいた。
「前校長は公平に行きたい人に分けてくれ、と言った。学級委員なんて関係ない、部活もオリンピック種目の部活ならまだしも、文化部は関係ない。まして校長推薦とはなんだー」と。壇上の校長も声を荒げ「今この学校の校長は私だ。前の校長は関係ない」。
「なんだと、ふざけるなー」おもわず私は並んでいた後方から走って朝礼台に駆け寄り、校長を引きずりおろしていた。周囲の先生たちが止めに入る。同時に生徒たちから嬌声が起こった。
「解散!解散!、みんな教室に戻れー」先生が叫ぶ。もみ合う私と校長は先生方に引き離される。「お前は退学だー、停学だー」と、興奮した校長が真っ赤な顔でどなっている。「義務教育に停学も退学もあるかー」とかみつく私。
引きずられるように教室に戻ると、若い先生方が数人集まってきた。叱られるかと思いきや、第一声は意外にも「お前は偉い」「よくやった」「俺なんか二人を止める時に校長にケリ入れたよ」「あの校長には言いたいことが山ほどあった」「首にされるのが怖くて何も言えなかった」などなど、先生たちの日ごろの不満が一気に爆発した。「こうなったら、父兄も加えて校長と戦おう」とはっぱをかけてきた。逆に私の方が冷静になってしまったほどだ。
結果はどうかって。
分が悪い校長が折れて、私はおとがめなしで、日本初開催の五輪を観戦することができた。もちろん抽選に当たって。思えば良き時代だった。