スタートラインが見えた。
2000年の冬、僕は珍しく諦めなかった。
何もしないままコンビを解散した後、僕に残っていたのは
せっかくだから人前でネタを試してみたいという気持ちと
携帯電話のiモードでむりやりパソコン用のページを調べて見つけた
(昔は大変だったのだ)アフロシアターのネタ見せ情報だけだった。
やりたいことだけはやる、という性格だった僕は簡単にピン芸人になることを決めた。
短い時間だったけれど、コンビというものは練習のためのスケジュール合わせが面倒だった。
何より練習に使ったカラオケボックスはいつも僕のおごりだった。
こんな些細なことをはっきり覚えてしまう僕にコンビは向かないのだった。
ひとりでやることを決めた僕に最初に立ちはだかった壁はネタ作りだった。
ピン芸人にはコンビの時のような普遍的なお手本がないのだ。
(お手本通りに作ったところでおもしろくないネタが出来るだけなのだが)
漫談、は無理だった。
僕はその年、たまたま地元の成人式の代表のスピーチに選ばれて
区長や新成人数百名や実の父母の前でよせばいいのに最初にボケて、
シーンとなった会場で、膝の震えが止まらないまま残りを
最後までしゃべりきったというトラウマがある。
そんな経験があって、それでよくお笑いをやろうだなんて
思えたものだが、とにかく漫談は同じことになりそうだから無理。
スケッチブックネタ、これも無理だ。
小学校一年生の時の通信簿で図工に1をもらい、親が通わせたお絵かき教室が宗教がらみで
「この子には悪魔が憑いているので祓ってあげる」と言われた嫌な記憶がある僕だ。
そんなトラウマのデパートのような僕には絵が描けない、というか思い出したくもない。
一発ギャグはまったく思いつかない、一人コントはなんとなく嫌だ。
そんなことを考えて、結局なにも作らない日々が何日も続いた。
このまま諦めるのは嫌だったけれど、実際には諦めているのと同然だった。
ネタ見せ一週間前、ぼーっとシャワーを浴びながら同じように
ネタ作りのことを考えていたら、ぼこっと音が立つほど急に
頭の中に大きなアイディアの欠片が浮かび上がってきた。
この方法なら作れると思ってから、いままで休んでいた頭が全力で働き出した。
それからはもう、驚くほどあっという間にネタの骨子が出来上がったのだった。
次の日、ネタ見せの予約のために劇場に電話をかけた。
電話に出た女性の方は、緊張した僕にやさしく応対をしてくれた。
ネタ見せ日の確認、時間、僕の名前、スムーズに会話が進んでいたが、芸名を聞かれて汗が噴き出した。
コンビの時と対照的に、まったく決めていなかったのだ。
本名はなんとなく嫌だったので芸名にしたかったけれど、いまは考える時間がない。
とりあえず、その時やる予定だったネタがラジカセに吹き込んだ自分の声と
漫才をするというものだったので、とりあえず「ラジカセでいいです」と答えた。
それから6年間、ずっとラジカセのままだとは思わなかった。
こうして僕の初めてのネタ見せが決まった。
2000年の12月14日。
忠臣蔵で有名な討ち入りの日だ。
そんなどうでもいい偶然でもうれしかった僕は、当日のためにせっせとネタを作っていた。
討ち入りに参加した家臣は全員切腹を命じられたことも知らず、僕はわくわくしていたのだった。
■どんなことでもずっと考え続けていればひらめく瞬間は必ずくるぞ。
■ピンの人は忘れずに芸名を考えておこう。
何もしないままコンビを解散した後、僕に残っていたのは
せっかくだから人前でネタを試してみたいという気持ちと
携帯電話のiモードでむりやりパソコン用のページを調べて見つけた
(昔は大変だったのだ)アフロシアターのネタ見せ情報だけだった。
やりたいことだけはやる、という性格だった僕は簡単にピン芸人になることを決めた。
短い時間だったけれど、コンビというものは練習のためのスケジュール合わせが面倒だった。
何より練習に使ったカラオケボックスはいつも僕のおごりだった。
こんな些細なことをはっきり覚えてしまう僕にコンビは向かないのだった。
ひとりでやることを決めた僕に最初に立ちはだかった壁はネタ作りだった。
ピン芸人にはコンビの時のような普遍的なお手本がないのだ。
(お手本通りに作ったところでおもしろくないネタが出来るだけなのだが)
漫談、は無理だった。
僕はその年、たまたま地元の成人式の代表のスピーチに選ばれて
区長や新成人数百名や実の父母の前でよせばいいのに最初にボケて、
シーンとなった会場で、膝の震えが止まらないまま残りを
最後までしゃべりきったというトラウマがある。
そんな経験があって、それでよくお笑いをやろうだなんて
思えたものだが、とにかく漫談は同じことになりそうだから無理。
スケッチブックネタ、これも無理だ。
小学校一年生の時の通信簿で図工に1をもらい、親が通わせたお絵かき教室が宗教がらみで
「この子には悪魔が憑いているので祓ってあげる」と言われた嫌な記憶がある僕だ。
そんなトラウマのデパートのような僕には絵が描けない、というか思い出したくもない。
一発ギャグはまったく思いつかない、一人コントはなんとなく嫌だ。
そんなことを考えて、結局なにも作らない日々が何日も続いた。
このまま諦めるのは嫌だったけれど、実際には諦めているのと同然だった。
ネタ見せ一週間前、ぼーっとシャワーを浴びながら同じように
ネタ作りのことを考えていたら、ぼこっと音が立つほど急に
頭の中に大きなアイディアの欠片が浮かび上がってきた。
この方法なら作れると思ってから、いままで休んでいた頭が全力で働き出した。
それからはもう、驚くほどあっという間にネタの骨子が出来上がったのだった。
次の日、ネタ見せの予約のために劇場に電話をかけた。
電話に出た女性の方は、緊張した僕にやさしく応対をしてくれた。
ネタ見せ日の確認、時間、僕の名前、スムーズに会話が進んでいたが、芸名を聞かれて汗が噴き出した。
コンビの時と対照的に、まったく決めていなかったのだ。
本名はなんとなく嫌だったので芸名にしたかったけれど、いまは考える時間がない。
とりあえず、その時やる予定だったネタがラジカセに吹き込んだ自分の声と
漫才をするというものだったので、とりあえず「ラジカセでいいです」と答えた。
それから6年間、ずっとラジカセのままだとは思わなかった。
こうして僕の初めてのネタ見せが決まった。
2000年の12月14日。
忠臣蔵で有名な討ち入りの日だ。
そんなどうでもいい偶然でもうれしかった僕は、当日のためにせっせとネタを作っていた。
討ち入りに参加した家臣は全員切腹を命じられたことも知らず、僕はわくわくしていたのだった。
■どんなことでもずっと考え続けていればひらめく瞬間は必ずくるぞ。
■ピンの人は忘れずに芸名を考えておこう。
小さなコンビのメロディ。
2000年の秋、僕はお笑いコンビを組んでいた。
バイト仲間とコンビを組んだのはいいけれど、他の人たちと同様に
「これから何をしたらいいのか」がわからなかった僕たちは、
これまたお笑いを目指したての人たちと同じように、コンビ名を考えていた。
ネタを作るでもなく、ネタ見せをしてくれるところを探すわけでもなく
まずコンビ名をじっくり考えてしまうあたりが前途多難だと思う。
ファミレスで行われた、そんなこの世のものとは思えないほど
どうでもいい会議の結果、せっかく男と女なのだから我々のコンビ名は
「赤い糸」を連想させるようなものにしよう、ということになった。
相方、と言うと恥ずかしくて動悸が収まらなくなるのだが、
その相方というものだった女が「なら英訳しよう」と提案した。
そうか、それはいいなと僕も賛成したのだけど、いくら考えても
「赤い糸」を英語でどう言えばいいのかさっぱりわからない。
そもそも「糸」がわからなかった僕たちは、自分たちの頭の悪さに
ショックを受けつつ、「ロープだろ、きっと」と半ば投げやりに会議を終えた。
こうして自称お笑い芸人「レッドロープ」が誕生したのだった。
名前を決めたあと、リーダーだった僕はさっそくネタを書いた。
伊達にジョビジョバに憧れていないのだ。
過去に誰に見せるでもないノートに漫才を書いたことだってある。
ボクシングを習ったことが無い人でも我流でシャドーは出来る。
(試合でぼっこぼこにされるけれど)
575さえ守れば誰でも俳句を詠める。
(おーいお茶に入選されることすら絶対にないけれど)
おもしろくなくてもよければ誰だってネタは書けるのである。
残念なことは、当時は自分でおもしろいと思っていたことだ。
(プロの最低条件は、他人を意識できるか、かも知れない)
(知っていても出来なかったと思う)
それから僕たちは、他にすることもなかったのでネタの練習をした。
公園は恥ずかしいので、いつもカラオケボックスだった。
毎回、途中から歌うことに夢中になっていた。
当時のネタ、とは言えないような漫才のことは一カ所だけ覚えている。
テーマは「異性を感じる瞬間」で、例えば運転中、車庫入れか何かで
車をバックさせる時、後ろを振り向いて距離感を確かめながら
彼が自然に左手を助手席の背もたれにそえた瞬間がドキッとする、
という話になる。
じゃあやってみよう、と僕。
右手でハンドルをつかむふりをしつつ、ギアを変えてバックへ。
そのまま振り返り、左手をそっと助手席の女の方へ延ばし、
そのまま延ばし続けて照れる女の顔面を鷲掴みにする、というもの。
何も言えない。
やっていたことは仕方がない。
そんな悪ふざけな毎日を繰り返し続けていくうちに冬になり、
ようやくアフロシアターのネタ見せに行く決心をした僕が
相手に日程を知らせに行くと、何故か女は妙に真剣な顔をしていた。
同棲中の彼氏の子供が出来た、と言われた。
2000年12月、こうしてレッドロープは寿退社により解散したのだった。
■何もしないまま終わるお笑いコンビはたくさんいるぞ。
■カラオケボックスはちっともネタの練習にならない。
バイト仲間とコンビを組んだのはいいけれど、他の人たちと同様に
「これから何をしたらいいのか」がわからなかった僕たちは、
これまたお笑いを目指したての人たちと同じように、コンビ名を考えていた。
ネタを作るでもなく、ネタ見せをしてくれるところを探すわけでもなく
まずコンビ名をじっくり考えてしまうあたりが前途多難だと思う。
ファミレスで行われた、そんなこの世のものとは思えないほど
どうでもいい会議の結果、せっかく男と女なのだから我々のコンビ名は
「赤い糸」を連想させるようなものにしよう、ということになった。
相方、と言うと恥ずかしくて動悸が収まらなくなるのだが、
その相方というものだった女が「なら英訳しよう」と提案した。
そうか、それはいいなと僕も賛成したのだけど、いくら考えても
「赤い糸」を英語でどう言えばいいのかさっぱりわからない。
そもそも「糸」がわからなかった僕たちは、自分たちの頭の悪さに
ショックを受けつつ、「ロープだろ、きっと」と半ば投げやりに会議を終えた。
こうして自称お笑い芸人「レッドロープ」が誕生したのだった。
名前を決めたあと、リーダーだった僕はさっそくネタを書いた。
伊達にジョビジョバに憧れていないのだ。
過去に誰に見せるでもないノートに漫才を書いたことだってある。
ボクシングを習ったことが無い人でも我流でシャドーは出来る。
(試合でぼっこぼこにされるけれど)
575さえ守れば誰でも俳句を詠める。
(おーいお茶に入選されることすら絶対にないけれど)
おもしろくなくてもよければ誰だってネタは書けるのである。
残念なことは、当時は自分でおもしろいと思っていたことだ。
(プロの最低条件は、他人を意識できるか、かも知れない)
(知っていても出来なかったと思う)
それから僕たちは、他にすることもなかったのでネタの練習をした。
公園は恥ずかしいので、いつもカラオケボックスだった。
毎回、途中から歌うことに夢中になっていた。
当時のネタ、とは言えないような漫才のことは一カ所だけ覚えている。
テーマは「異性を感じる瞬間」で、例えば運転中、車庫入れか何かで
車をバックさせる時、後ろを振り向いて距離感を確かめながら
彼が自然に左手を助手席の背もたれにそえた瞬間がドキッとする、
という話になる。
じゃあやってみよう、と僕。
右手でハンドルをつかむふりをしつつ、ギアを変えてバックへ。
そのまま振り返り、左手をそっと助手席の女の方へ延ばし、
そのまま延ばし続けて照れる女の顔面を鷲掴みにする、というもの。
何も言えない。
やっていたことは仕方がない。
そんな悪ふざけな毎日を繰り返し続けていくうちに冬になり、
ようやくアフロシアターのネタ見せに行く決心をした僕が
相手に日程を知らせに行くと、何故か女は妙に真剣な顔をしていた。
同棲中の彼氏の子供が出来た、と言われた。
2000年12月、こうしてレッドロープは寿退社により解散したのだった。
■何もしないまま終わるお笑いコンビはたくさんいるぞ。
■カラオケボックスはちっともネタの練習にならない。
お笑いファンあるある、そしてコンビ結成。
2000年の秋、僕はいろいろと痛かった。
それから僕はせっせとアフロシアターに通うようになった。
自分で言うのもなんだけれど純粋な僕は、お笑いライブに通いたての人が
ついついやってしまうことをほぼすべてやっていたような気がする。
・同じライブにしか行かない。
※初心者で他のライブを知らない。
※チラシを見ても行かない。
※そのライブの番外編、とかにも行かない。
・MCに「○○という方、手をあげてー」と言われても挙げない。
※恥ずかしいから。
※「○○の方は拍手をしてください」ならできる。
※自然に手を挙げられる人がうらやましい。
・アンケートを必要以上にちゃんと書く。
※もう、びっしりというレベル。
※そしてネタの批判は決して書かない。
※自信が無いし、それにばれたら怖いから。
・芸人さんがした話を「知り合いが言ってたけど」と人に話す。
※恥ずかしいけどしてました。
※僕は結構痛いタイプ。
※一番お笑いを目指しちゃいけないタイプ。
・「○月○日、◇◇でバイトがあります」という芸人さんの告知を真に受ける。
※ちょっと見に行ってみようかと思う。
※やばいな自分。相当やばい。
まだまだあるけれど、このままだとただのお笑いファン入門になってしまうので省く。
ともかくあの頃の僕がアフロシアターというライブを楽しんでいたのは確かだった。
そんな僕がどうしてお笑いファンのまま生きて行かなかったのかというと、
秋も深まる頃、以前、同じバイトをしていてよく遊んでいた女の子に
突然「コンビを組んで欲しい」とお願いされたからなのだった。
生涯で二度しか経験が無いのだけど、お笑いのコンビを組む時というのは恥ずかしいものである。
異性に愛の告白をするのなら照れや緊張もいいスパイスになるけれど、
お笑いのコンビはお互いが照れていても緊張していても気持ちが悪いだけだ。
それなのに、照れたり緊張したりせずにはいられない。
頼む方は真面目な顔をしているし、頼まれた方の僕は
「どうして僕なの?」とか「他にいい人がいるんじゃない?」などなど、
恋に臆病な痛い女の子が言いそうなことしか言わないし、
なんだかもう、人類は1999年に滅んだ方が良かったんじゃないかと
思えるような光景がそこにはあったのだった。
で、僕はすんなりOKをした。
理由もなにも、子供の頃から漠然とお笑いをやると思っていたからだった。
たけし軍団やダウンタウンファミリーに憧れて入りたかったからだった。
もっと言うとジョビジョバに入りたかったからだった。
さらに過去をえぐると、猿岩石に憧れてヒッチハイクで北海道まで行ってしまう程だったからだった。
つまりは馬鹿だったのである。
■コンビを組みたいのなら、あの恥ずかしさは避けて通れないぞ。
■僕みたいな人はちょっと諦めた方がいいかもしれない。
それから僕はせっせとアフロシアターに通うようになった。
自分で言うのもなんだけれど純粋な僕は、お笑いライブに通いたての人が
ついついやってしまうことをほぼすべてやっていたような気がする。
・同じライブにしか行かない。
※初心者で他のライブを知らない。
※チラシを見ても行かない。
※そのライブの番外編、とかにも行かない。
・MCに「○○という方、手をあげてー」と言われても挙げない。
※恥ずかしいから。
※「○○の方は拍手をしてください」ならできる。
※自然に手を挙げられる人がうらやましい。
・アンケートを必要以上にちゃんと書く。
※もう、びっしりというレベル。
※そしてネタの批判は決して書かない。
※自信が無いし、それにばれたら怖いから。
・芸人さんがした話を「知り合いが言ってたけど」と人に話す。
※恥ずかしいけどしてました。
※僕は結構痛いタイプ。
※一番お笑いを目指しちゃいけないタイプ。
・「○月○日、◇◇でバイトがあります」という芸人さんの告知を真に受ける。
※ちょっと見に行ってみようかと思う。
※やばいな自分。相当やばい。
まだまだあるけれど、このままだとただのお笑いファン入門になってしまうので省く。
ともかくあの頃の僕がアフロシアターというライブを楽しんでいたのは確かだった。
そんな僕がどうしてお笑いファンのまま生きて行かなかったのかというと、
秋も深まる頃、以前、同じバイトをしていてよく遊んでいた女の子に
突然「コンビを組んで欲しい」とお願いされたからなのだった。
生涯で二度しか経験が無いのだけど、お笑いのコンビを組む時というのは恥ずかしいものである。
異性に愛の告白をするのなら照れや緊張もいいスパイスになるけれど、
お笑いのコンビはお互いが照れていても緊張していても気持ちが悪いだけだ。
それなのに、照れたり緊張したりせずにはいられない。
頼む方は真面目な顔をしているし、頼まれた方の僕は
「どうして僕なの?」とか「他にいい人がいるんじゃない?」などなど、
恋に臆病な痛い女の子が言いそうなことしか言わないし、
なんだかもう、人類は1999年に滅んだ方が良かったんじゃないかと
思えるような光景がそこにはあったのだった。
で、僕はすんなりOKをした。
理由もなにも、子供の頃から漠然とお笑いをやると思っていたからだった。
たけし軍団やダウンタウンファミリーに憧れて入りたかったからだった。
もっと言うとジョビジョバに入りたかったからだった。
さらに過去をえぐると、猿岩石に憧れてヒッチハイクで北海道まで行ってしまう程だったからだった。
つまりは馬鹿だったのである。
■コンビを組みたいのなら、あの恥ずかしさは避けて通れないぞ。
■僕みたいな人はちょっと諦めた方がいいかもしれない。
