絶叫 (光文社文庫) 絶叫 (光文社文庫)
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『火車』(宮部みゆきさん)と『白夜行』(東野圭吾さん)の21世紀バージョンと言えそうな、絶望的で切ない犯罪小説でした。

 それでいながら上記両作品よりも、はるかにリアルな痛みを皮膚感覚と内臓感覚にもたらします。

 

『火車』と『白夜行』が発表された頃にはすでにバブル景気は終わってましたが、当時はまだ、不況を肌で実感しながら読んだ人は少なかったかも。両作とも、バブル景気の副作用をストーリーに組み込んでいたのでなおさら。

多くの読者は両作品のヒロインを、「自分が住む世界とは違う、自分よりも苦しい状況に置かれた架空の人物」と頭のなかで位置づけ、安心して物語を楽しめたと思われます。

つまりは自分よりも不幸なヒロインたちに同情や哀れみを感じつつ、その同情や哀れみは優越感と表裏一体だった可能性が高い。

 

対して『絶叫』が発表されたのは、終わりのない不況を多くの人が肌で認識するようになって久しい2014年。

『火車』や『白夜行』を読んだ人たちも、『絶叫』の平凡なヒロインが人間離れした犯罪魔へと変身せざるを得なかったプロセスを、絵空事としてとらえることはおろか、他人事としてとらえることもできなかったはず。

 

『絶叫』を恐ろしい作品たらしめているのは、経済不況という時代背景だけが理由ではない。

いつの時代も変わらない人間の本能に根ざした残酷さが、不況との相乗効果でヒロインを変貌させたストーリーであるため、「明日は我が身」の言葉を常に意識させます。

『火車』や『白夜行』では、物語の外にいる読者がヒロインたちに対し「可哀想な女性」と優越感をいだけたのに対し、『絶叫』のヒロインに優越感をいだくのは、物語の中にいる登場人物たち。

それら登場人物たちは物語の中にいながら、同時に現実世界における私たちの周りにいてもおかしくないリアリティをそなえてます。

 

あるいは私をふくめた読者たちこそが、私やその他の読者たちの身近にいて、なおかつ私やその他の読者たちよりも立場の弱い人たちにとって、『絶叫』のヒロインを絶望のどん底へと叩き落し、悪魔のような犯罪者へと変貌させた登場人物たちと相似形の存在であってもおかしくはない。

恐ろしいのは、私をふくめた多くの者たちは、自分より立場の弱い人たちからすれば残酷な存在であったとしても、それを自覚することがほとんどないということ。

 

 特に印象的だったのはまず、ヒロインの母親。

人並み以上の美貌に恵まれたせいか、あるいはそれとは別の理由のせいかは分かりませんが、“母親”としての立場よりも“女”という属性に固執し、娘に対してすら“自分と同じ女”としてライバルあつかいし、美貌やそれにともなう異性とのめぐり合い、社会での成功度や経済力など、あらゆる事柄において優越感をいだき、あるいは嫉妬する。

 

次に、ヒロインと一度は結婚した初恋の相手と、その両親。

妊娠できなかったヒロインに離婚を迫り、妊娠した不倫相手との再婚を選び、その後はヒロインの境遇を心配する素振りをまったく見せない。

今まさに話題になっている言葉を借りれば、「生産性がない」などという残酷な理由でヒロインを人間あつかいしない。

 

さらには、ヒロインに犯罪実行への決意をさせた元ホストのヒモ男。

自分の能力不足や怠惰さから目をそらすべく、中国や韓国への憎悪と優越感をネット掲示板に書きなぐるネトウヨと化したのは必然だったのかも。

自信やプライドを自分のなかに見いだせず、それでいながら自信やプライドを培うための努力を起こせるだけの勤勉さを発揮できない者は、赤の他人である、自分とはまったく別人である日本人の偉業を自分自身の偉業であると錯覚しないことには、終わりの見えない不況による不安感に精神が押しつぶされてしまうのかも。

その手のタイプの者は、現実世界では接点のない中国人や韓国人への暴言をネットで吐き散らすだけでは飽き足らず、身近にいる自分より弱い者への有形力を行使しがちであることも、ヒロインが容赦のない暴力にさらされるシーンで表現されてます。

 

「明日は我が身」と思わせるのは、ヒロインの置かれた境遇だけではない。 

 ヒロインを虐げるすべての登場人物たちが、「俺もこんな人間にならないよう、気をつけないと」と、私に思わせました。