私が好きな欧米の映画監督は、ポール・ヴァーホーヴェンとジョン・カーペンター。

この二人には色々と共通点がありますが、日本がバブル景気に沸いていた頃、資本主義経済体制を痛烈に風刺するSF映画を撮ったこともそのひとつ。

ヴァーホーヴェンは『ロボコップ』を、カーペンターは『ゼイリブ』を。

制作されてから30年が経つ『ゼイリブ』がHDリマスターバージョンで公開されたため、我慢できず先日観に行きました。

 

『ゼイリブ』上映中の映画館、ユジク阿佐ヶ谷

 

劇場に行くのを我慢できなかったのは、一度はスクリーンで観たかったことがひとつ。

もうひとつは、ポスターがどうしても欲しかったこと。

の画像の一番左、1988年アメリカ版を買いました。

 

 

さらにもうひとつの理由は、私同様に劇場まで観にくる『ゼイリブ』ファンがどんな人たちなのか、この目で確かめたかったこと。

その結果は・・・

夫婦とおぼしい五十代くらいの男女、

カップルとおぼしい二十歳前後の大学生風男女、

小さい男の子を連れた白人男性、

二人連れのマダム風の女性

知的で上品そうな30代くらいのOL風の女性など、

バラエティ豊か。

 

女性が多いことが、私にはとにかく意外でした。

 

監督が『遊星からの物体X』で有名なジョン・カーペンター、

主演はロディ・パイパー(本業は俳優ではなく、WWEで活躍したプロレスラー

であることだけでも明らかなとおり、

『ゼイリブ』は偏差値低めの中学生男子の脳内妄想を映像化したような、お下劣なB級SFアクション映画にジャンル分けされます

 

それでいながら、あの筑紫哲也さんが生前、「これは優れた社会派作品だ」と絶賛したことでも有名(なのか?)。

 

主人公のネイダがある特殊なサングラスをかけて街を歩き、「資本主義経済体制の真実」に気づくシーンは、私がこれまで観たあらゆる映画のなかでも最高の面白さ!

このシーンをスクリーンで観ることができただけでも大満足。

ネイダは特殊サングラスのレンズを通し、企業の広告看板、新聞や雑誌に、庶民を洗脳するためのサブリミナルの仕掛けがほどこされていることに気づきます。

「消費しろ」

「考えるな」

「テレビを観ろ」

「従え」

「妊娠し、(子どもを)生産せよ」(これってまるで、「LGBTの人たちには生産性がない」発言を三十年前に予想したかのよう)。

さらには紙幣にすら、「これはお前の神だ」というサブリミナルの仕掛けが!

(なかには「8時間働き、8時間を娯楽に費やし、8時間眠れ」というのもありましたが、これは日本の現状と比較すると「おいおい、ずいぶん優しいじゃねえか」と突っ込みたくもなります)。

 

「この世の真実」を知ってしまったネイダは、自分や友人、友人の家族らをエイリアン(現実世界における富裕層の象徴)への隷属状態から解放するために行動を起こしますが、そこからの展開がジョン・カーペンター監督、ロディ・パイパー主演作品としての面目躍如!

IQ低めな行動で観客たちにカタルシスをもたらします。

 

特に最高なのが、友人のフランクとケンカするシーン。

言葉のやり取りはそこそこに、6分か7分ほども続く物理力の応酬へと展開。

アスファルト舗装の路上でバックドロップやサイドスープレックスといった大技を本気で繰りだす光景それ自体はもちろんのこと、その動機が「おまえもこのサングラスをかけろ!」であることであるためなおさら、いい歳こいた大人どうしの激闘を滑稽に思わせてしまいます!

このシーン、私はもう何度もDVDで観ていたにもかかわらず、劇場で声をだして笑ってしまいました。

 

こんな映画があの筑紫哲也さんに絶賛されたなんて、野球やサッカーの試合結果とならび、プロレスの試合結果が一般紙のスポーツ欄で報道されるのと同じレベルの快挙かも。

 

 

その後の展開にも突っ込みどころが満載ですが、エイリアンが自分の惑星と地球とのあいだを行き来するのに使うテレポーテーション技術に関する説明が、「何でも、レンズの原理を応用してるんだそうだ」のひと言で済まされるところがツボでした。

 

「中学生男子の脳内妄想を映像化した作品」と私が言ってはばからない理由がラストシーンでも明らかになりますが、それ以上に私が『ゼイリブ』を愛してやまない理由は、ラストシーンの手前。

子どもやお年寄り、女性に優しい主人公ネイダが感情にとらわれることなく、自分のすべきことを、それがどんなに精神的苦痛をともなうことであっても淡々と実行。

この意志の強さ、最高です。

 

この『ゼイリブ』だけでなく、『ニューヨーク1997』とその続編である『エスケープ・フロム・LA』などの作品でも、ジョン・カーペンターはアメリカの絶望的な近未来を想像し描いてます。

そのため「アメリカ嫌いな監督」と評されることも多いそうですが、私は逆だと思います。

自分が生まれ育ったアメリカを愛しているからこそ、自国権力への抵抗心が旺盛なのでしょう。

 

「私はアメリカのファンにはなれなかった」とオランダにもどったポール・ヴァーホーヴェンとの違いは、作中主人公の造形から明らかだと思ってます。

『ロボコップ』のラストシーンでは、主人公のマーフィーが軍需企業の社長に従順な「飼い犬」と換言できる“ロボット”に成り下がってしまったことが明らかになる点、ヴァーホーヴェンらしいシニカルさが表れてました。

『ゼイリブ』の主人公であるネイダ、『ニューヨーク1997』と『エスケープ・フロム・LA』のスネークは、権力への抵抗心に殉じる覚悟を捨てない点、カーペンターがアメリカ国民の良心に対する信頼を捨てきることができないことが表れていると思います。

 

劇場のチケットとグッズを売っているエリアの壁には、『ゼイリブ』に登場するエイリアンのイラストが描かれていて、興奮してしまいました。

 

なお、当日券は下の画像の通りで、記念品度が高いです。