ひとつ前の記事で紹介した深町秋生さんのトークイベントに参加し、「なるほど!」と膝を打ったくだりが。
氏の作品のなかでも最高傑作との呼び声が高い『地獄の犬たち』は、ある韓国映画に感銘を受け、「この映画の続編を、勝手に書きたい!』という衝動に駆られたことが執筆動機になっているとのこと。
その韓国映画を劇場で鑑賞した私ですが、『地獄の犬たち』を読んでいるあいだも、読み終えた後も、さらにはこのブログでレビューを投稿したあとも、件の韓国映画との関連にはまったく気づきませんでした。

トークイベントで「種明かし」を披露されてはじめて、「なるほど、イ・ジョンジェが演じた“イ・ジャソン”は、『地獄の犬たち』のあの登場人物に該当するのか!    『地獄の犬たち』の主人公は、そのせいであれほどの地獄を味わうのか!』と興奮しました。

今回紹介する『ショットガン・ロード』ですが、全体を通しては大藪春彦の全盛期を彷彿とさせる、臨場感あふれるミラクルバイオレンスワールドの連続。
大藪作品のなかでも『ウィンチェスターM70』に最も近い作風であると個人的には思いましたが、決定的に違うのは人物造形。

国家権力への怒りと不信感を執筆動機として一貫させていた大藪春彦は、国会議員や警察組織、警察官への憎悪をもって凄惨なバイオレンス描写を展開していただけでなく、公権力の腐敗を放置している一般国民への軽蔑をも覗かせていました。
そのため大藪作品の主人公たちは、作中に登場する一般市民を銃撃戦やカーチェイスの巻き添えにし、あるいは犯罪現場の目撃者を殺害しても、罪悪感に苛まれることがない。

対して深町秋生が作り上げた主人公たち、生き残ること、愛する者を守ること、さらには愛する者を奪われたことへの怒りを戦いの動機としていながらも、罪なき一般市民に対しては優しい。

大藪『ウィンチェスターM70』の主人公たちが逃げ込んだ漁村で罪なき若いカップルを無慈悲に射殺したのに対し、
深町『ショットガン・ロード』の主人公、身分を偽り潜伏していた漁村で知り合った少年とその母親を守ることこそを、思いだしたくもないはずの殺し合いの世界へ再び身を投じる動機に。

深町さん自身は「男たちのブロマンス」を『ショットガン・ロード』のセールスポイントと考えたえいらっしゃるようですが、私は個人的に、「虐げられた貧しい母子のため、地獄への帰還を甘受する不器用な優しさを捨てられない男」の物語として堪能しました。

冒頭に書いた『地獄の犬たち』同様、『ショットガン・ロード』もまた、ある韓国映画にインスパイアされているのでは?    と私が勝手に思ったくだりがあります。
ウォンビン主演の某作品のクライマックス、「守りたかった少女を守ることができるのか?    それとも、手遅れになってしまったのか?」というヒリヒリするような展開になったのと同様、『ショットガン・ロード』の主人公も絶望と希望の狭間で悲しく戦います。

作者自らがいだく公権力の腐敗への怒りをモチーフやテーマに込めている点において大藪ワールドと共通していながら、
作者自らがいだく女性への敬意、社会的弱者への優しさを主人公に投影しているという点、深町ワールドは屍山血河を築きつつも優しい。