勝った、負けた・・・。

打った、三振した・・・。

ファインプレーした、暴投した・・・。

打率は、ヒット数は・・・。


こんな結果に固執した言動に終始する
指導者たち。



私は

「そんなもの、子供たちの将来にとって
どれだけ大切なのか

と思います。

私から言わせれば、そんなことはあく
までも「おまけ」。

正直、そんな二の次です。

それらのことって、いずれも過ぎれば
忘れてしまいます。

あくまでも一過性のもの。

残りません。

残らないということは大切なことでは
ないということ。



私はどういう子供を育てたか、どういう
チームを作ったかで指導者が評価さ
れるのだと思います。

それは試合成績ではなく、人間育成と
いうもっと崇高な部分です。



人間的成長がなければ技術など進歩
するはずがありません。

全ては普段の取り組み、すなわちプロ
セスがどうかというところを重視しなけ
ればならないのです。

にもかかわらず、その場のその場の結
果や上手い下手で子供たちを評価する
輩がいるから困ったもの。

私の中では

「将棋の駒教育」

と勝手に名付けていますが、私的に最
も忌み嫌うやり方です怒



将棋をやったことある方はご存知でしょう。

将棋は「捨て駒」といって戦術的に敵に
取らせるための戦法があります。

つまり、自分の勝利のために自爆する
駒が存在するということです。

確かにある意味勝利に貢献する戦力の
一つなのかもしれませんが、低く見られ
ているのは間違いありません。



MFT佐藤さんのブログでも、自分の子
の入っているチームの指導者にこんな
ことを言われた親がいたと書いていた
のを拝見したことがあります。

「おたくの息子を戦力として考えている」

と・・・。



おかしくないですか

当たり前でしょ、そんなこと。

第一、戦力でない子なんているの

誰一人価値のない子なんていない。

価値がないのは、そんなことを平気で
言う指導者、あなたですよ

と言いたくなります怒

そもそも、子供を「使える、使えない」と
いう視点で見ていること自体ありえない。

この世の中、口に出さなくても、言動が
明らかにそういう指導者がいるのも事実。

全ては勝利至上主義による歪んだ価値
観と言わざるを得ません。



うちのチームも過去にいろいろな理由で
辞めていく子がいました。

理由が定かでないケースもありますが、
殆どは大人が関与しているのは否定で
きません。

それは、親であったり指導者であった
り・・・。

子供たちが野球を続けるも続けないも、
関わる大人次第ってところはあろうと思
います。



あるいは、小・中までは野球を続けても、
高校では野球をやらないという子も見受
けられます。

その子の親を思い浮かべると、そういえ
ば、やたら自分の子には厳しかったりし
てたなとかね・・・汗

そういう人って、子供の頃同じような仕打
ちを受けて、コンプレックスを感じている
のような人に多いのかもしれませんね。

私・・・・

私は幸いにして子供の頃そういう経験は
ないですからえへへ…



この世に捨て駒人間などという価値のな
い人間などいない・・・。

もし、いるとしたらそうさせてしまった大人
の責任。

仮に、自分の基準に満たしていないのな
ら満たすように指導すればよかっただけ
のことですから。

全てはそれに関わった大人に全責任が
あるのです。

だから、大人は子供以上に「自己反省」
と「自分磨き」は欠かせないのです。

子供に罰を与えて反省させている場合じ
ゃないのですよかお