今から1年前の明日、3月11日。

14時46分・・・。

忘れもしません。

いや、忘れてはいけません。

いや、忘れることは決してありません。



私は当日当時刻、自宅でPCの作業中。

揺れは過去に経験したことない想像を
絶するものでした。

このまま家が潰れてしまうのではないか。

恐怖感で、身体が動かなかったことを
覚えています。



揺れが収まった後の家の中はひどいもの。

食器や家電は床に散乱。

あちこちの壁紙には亀裂が。

もちろん直後にはもうライフラインは完全
に断ち切られました。



そして即座につけたラジオから、耳を疑う
言葉が・・・。

「震度7の大地震発生!!」

「大津波が人を呑み込んだ!?」



私的に不幸中の幸いだったのが、住んで
いるところが、岩手でも内陸部という点で
した。



電気が復旧したのは翌日の午後。

TVから流れてくる沿岸一体の町を津波が
呑み込んでいく光景は、にわかに信じが
たいものでした。



近くのコンビニもスーパーも軒並み閉店。

一時的な開店の時間帯には、物資を求め
て並んだりもしました。



沿岸では多数の方が行方不明の大惨事。

そして毎日のように公開される遺体発見
者名簿。

その中には生まれてまもない幼い子供か
らお年寄りまで・・・。

避難所暮らしでまともな生活ができてい
ない沿岸の人たちに比べれば、内陸の
状況なんてましな方。

野球の練習ができるようになったのも震
災のあった2週間後だったのですから。

同じ岩手でも、何事もなかったかのように
野球がやれる状況にあることに、当時は
ありがたさを感じたものでした。



以前私のブログでも紹介した大船渡の
菅原さん。

この菅原さんがMFT佐藤さんのブログに
送った、避難所での壮絶な生活状況を綴
ったコメント。

これを印刷して、去年の練習初めに子供
たちに配布し、読み聞かせ、黙祷してから
練習に入りました。

菅原さんのコメント


何事もなく野球ができることが当たり前の
ことではない。

そういうことを感じて欲しかったのです。



たいへん感銘を受けた、あるブロガー
さんの言葉がありました。

ある方と出会って「幸せになる」は間違
いだと気づいた。

「幸せになる」

のではなく

「幸せであることに気づく」

ということなんだと・・・。


今、この世にこうして生を受けている。

実はそれだけでとっても幸せなことな
んですよ。

だからこそ、そこに感謝の気持ちが必
要なのです。



また、そのブロガーさんから紹介して
いただいた本にはこのようなことが書
かれていました。

お釈迦様は~

中略

「人の生を受くるは難く、限りある身の
今、生命あるは有り難し」

と言いました。



「有難(うなん)」という言い方で

「ありがとう」と感謝することが、

幸せにつながっているのです。



私は教育を職業とする立場の人間で
はありません。

しかし、野球とはいえ子供たちを指導
するコーチの立場にあります。

野球を教えることがコーチの役割。

でも、もっと大切なことを野球を通して
子供たちに伝えていくこと。

それこそが、指導者の本来の役割だ
と思っています。

私は子供たちには優れた感性を磨い
てもらいたいと思っています。



勝った、負けたじゃないんです。

打った、三振したじゃないんです。

勝率、打率、優勝・・・

そんなことどうだっていいじゃありま
せんか。

あるんですよ。

野球より、もっと大切なことが。



私は明日の練習前。

改めて1年前のように、黙祷を捧げ、
さらに菅原さんのコメントを配布し、
子供たちには話しをして聞かせよう。

そう思っています。