西田幾多郎さんの言葉は、難解な哲学の殻をまといながらも、その奥底には人間として生きる者すべてに向けた、驚くほどあたたかく力強いまなざしがあります。愛は統一を求むる情であるというこの一言もまた、単なる抽象的な概念ではなく、人生の苦しみや迷いのただ中に立つ私たちに、確かな方向を示してくれる灯のような言葉です。とりわけ、これから社会に出て、多くの葛藤や挫折と向き合っていく若い人たちにとって、この言葉は生き方そのものを問い直す深い示唆を含んでいます。私たちは日常の中で、愛という言葉をあまりにも軽く使いがちです。好きであること、好意を持つこと、あるいは誰かに尽くすことを愛と呼ぶこともあるでしょう。しかし西田幾多郎さんが語る愛は、そうした感情の一部を指しているのではありません。愛とは統一を求める情であるという言葉には、人と人、人と社会、人と自然、さらには自分自身の内面にある分裂や矛盾を、一つに結び合わせようとする根源的な働きが込められています。愛とは、ばらばらになりがちな世界を、そのままにしておけないという切実な願いであり、分断を越えて一つになろうとする心の動きなのです。若い時代というのは、自分と他者、自分の理想と現実、自分の弱さと強さが激しくぶつかり合う時期です。周囲と比べて劣っていると感じたり、理解されない孤独に苦しんだり、自分は何者なのかと自問し続けたりします。その中で人はしばしば、世界を敵のように感じ、自分を守るために心を閉ざそうとします。しかし西田幾多郎さんの言葉は、そうした分断の姿勢に静かに問いを投げかけます。本当の愛とは、相手を排除することでも、自分だけを守ることでもなく、違いを含んだまま一つになろうとする情なのだと。統一を求めるということは、相手を自分の思い通りに支配することではありません。むしろ、相手の存在をそのまま認め、自分とは異なる考えや価値観を持つ相手と共に在ろうとする姿勢です。そこには勇気が必要です。なぜなら、人と本当に向き合うということは、自分の弱さや未熟さとも向き合うことになるからです。愛とは、安らぎだけをもたらす甘い感情ではなく、時に痛みを伴いながらも、分かれたものを結び直そうとする強い意志なのです。この考え方は、逆境に立ち向かう力とも深く結びついています。人生において困難が訪れたとき、人は世界とのつながりを断ち切りたくなることがあります。どうせ分かってもらえない、努力しても無駄だと感じ、孤立の殻に閉じこもってしまうのです。しかし愛が統一を求める情であるならば、苦しみの中にあってもなお、人や世界とのつながりを取り戻そうとする方向に心を向けることが、真の意味での生きる力になると言えるでしょう。若い人たちにとって、失敗や挫折は避けられないものです。理想を抱くからこそ、現実との落差に傷つきます。そのとき、自分は価値のない存在だと感じてしまうこともあるでしょう。しかし西田幾多郎さんの哲学は、そうした断絶の感覚を乗り越える道を示しています。自分の弱さも含めて、自分自身と統一しようとすること。過去の失敗も、今の未熟さも切り捨てるのではなく、それらを抱えたまま前へ進もうとすること。それもまた愛の一つのかたちなのです。愛は他者に向かうだけでなく、自分自身に向かうものでもあります。自分を責め続け、否定し続ける心は、内なる分裂を深めるだけです。愛が統一を求める情であるならば、自分自身の中にある矛盾や葛藤を、敵として排除するのではなく、理解し、受け止め、一つにまとめていくことが大切になります。その過程で人は少しずつ、揺るがない軸を育てていくのです。また、この言葉は社会との関わり方についても大切な示唆を与えてくれます。現代社会は、意見の違いや立場の差によって、簡単に分断が生まれやすい時代です。自分と違う考えを持つ人を否定し、遠ざけることは簡単ですが、それでは統一には至りません。愛が統一を求める情であるならば、対立の中にあっても、相手を理解しようとする姿勢を失わないことが、未来を切り開く力になります。これは決して理想論ではなく、現実を生き抜くための実践的な知恵です。若い日本人がこれからの時代を生きるうえで、知識や技術だけでなく、こうした心のあり方がますます重要になります。成果や効率が重視される社会の中で、人は自分の価値を数字や評価で測りがちです。しかし西田幾多郎さんの言葉は、もっと根源的なところに目を向けるよう促します。人と人が、世界と自分が、ばらばらにならずに結び合おうとするその情こそが、人間を人間たらしめるのだと。愛は目に見えるものではありません。しかし統一を求める情としての愛は、私たちの態度や選択の中に確かに現れます。困難な状況でも他者とのつながりを信じようとする心。違いを恐れず、理解しようと歩み寄る姿勢。自分自身を見捨てず、成長の途上にある存在として受け入れる覚悟。それら一つ一つが、愛の具体的なかたちです。西田幾多郎さんのこの言葉は、派手な励ましを与えるものではありません。しかし静かに、深く、長く心に残り、人生の節目節目で思い出される力を持っています。迷ったとき、孤独を感じたとき、対立に疲れたとき、この言葉は再び私たちを結び直す方向へと導いてくれるでしょう。愛とは何かと問い続けることは、生きることそのものを問い続けることなのです。このような深い洞察を通して、人間の本質と向き合い、後の世代にまで届く言葉を残してくださった西田幾多郎さんに、心からの感謝を捧げたいと思います。ありがとうございました。