突然の訃報
そう話した1〜2ヶ月後のこと
2007年です。
テレビのニュースで友人が事故で亡くなった事が報道されました。
お通夜とお葬式にかけつけました。
「へぇ~悟蓮ちゃんも来てくれてんな」
と呟いた以外は話すこともなく、
お葬式に来ていた人の顔を眺めて意外そうにしていたり、嬉しそうにしていたりしていました。
お葬式が終わった数日後、家に本人が来ました。玄関から入って来なかったので、なんぼ死んでてもそれはないわ〜から始まり
「悟蓮ちゃん、葬式に来てくれてありがとうな。
そやけどびっくりしたでー!
こんなことあるねんな。
あっ!て思ったら
一瞬でこんなことになってん。
ほんまびっくりしたわ(笑)
でもな、オレってちょっと心を改めたやんか。あのクリスマスの事な。それもあって案外、心残りもなくてな。
こんなに未練がないとはオレも意外やってんけどな。
まぁ、悟蓮ちゃんは話せるし、会うとこかなと思ってな。色々教えてくれてありがとうな。」
他にも会社時代の思い出話しなどしました。
最後は、ビュッフェを満腹食べて別れる時のように、あっさり旅立って行きました。拍子抜けするくらいあっさり。
彼の場合は、人に与える喜びと意義に気付く、というのが最後のお題だったのかもしれません。
コンプリートしたから旅立ったのか?
寿命だったから間に合わせたのかは、
定かではありませんが、ある程度の課題が済めば旅立つ人もいるようだ。と考えた出来事でした。
私の意識の変化
事故などの突然死は心残りが非常に強くて、なかなか成仏しにくいものだという固定観念が書き換わりました。
やることやってりゃ
いつでもいいんだ
スタンバイする
満タンの人生にしよう
よく生きて、よく死ぬ
まだ、子供の側にいて世話をしたいという気持ちは強いのです。未だに執着を乗越えていません。
この記事を書くにあたり、当時の事故の記事を検索していました。
友人は享年44歳。私は友人の年齢をとっくに超えています。
あちらでどうしてるのかな。元気にやってるはずだけど。
この友人とのエピソードは、私の人生観を形成する上でひとつの役割を果たしています。
このように、相互に影響し合う。これもまた人間としての味わいだなと思います。