「説教」




この言葉をネガティブな感情で捉えてる人がほとんどでしょう。



ただ、説教を辞書で引くとトップで書いてあることは
〝宗教の教えを口頭で民衆に説くこと〟とあります。




元々は、宗教の教えを請いたい人が宗教の教えを伝えたい人から教えてもらうという、需要と供給がウルトラマッチした状態を言うんだなと知りました。



宗教の教えを請いたい人とは、好きな先生が教えてる科目でいい成績を上げようと必死に授業を聞いている女子高生みたいなもんでしょう。




だから、両者が幸せなことはうかがえます。




ただ、説教の意味の2番目は〝目上のものが堅苦しい教えを説くこと〟ともあります。堅苦しいって言ってもうてる時点でもうネガティブな話じゃないですか?おっさんがウザいこと言うことるって話じゃないですか。





ぼくが最近恐ろしいのは、この説教ver.2の誘惑なんですよね。



どういうことかと言うと、




「気になる女の子がいるんですが、どーしようなあと思うんすよね〜。自分からいってフラられても腹立つしなあ。まあどっちでもいいかなと思うんですよね〜」と言って、ジントニックを飲んでる男子に対して、





まず、ジントニックのグラスを奪い、指を突っ込んで乱暴にライムだけを取り出して、彼の目の前でライムの皮側をギュッ畳んで目に皮汁を飛ばして「痛っ!」と言った時に、「痛いのか!そんな痛み大したことねーよ!気になる女がいるならいけよ!振られても痛みはライムの皮汁ぐらいやぞ!」って叫び!





そうになるけど、






「お代わりいる?♡」って聞いてるんですよね。






とまあ叫んでないけど、叫びそうになった内容がいわゆる「説教」やと思うんですよ。






そしてぼくは昼間はコーチングをしてるんですが、コーチングはその人がやりたいことを質問で聞いていくような形で、説教ver.2とは日本とブラジルくらい距離感があるんですよ。





コーチングはその人がやりたいことはその人しかわからないっていうスタンスなんで。こっちが何か教えるって訳じゃないんですよ。





だから、コーチングをしてる身としては、説教を抑えてたつもりだったんですよ。




でもね。。エネルギッシュな人って朝まで生テレビ風の本音トークをガッツリ仕掛けてくるんですよね。




ぼくが相手の話を聞こうとしても「あなたはどう思うの?」をきっちり聞いてくる。あおられもします。そうするとこっちもアドレナリン上がってコーチングも味噌もクソも無くなってきて、説教もはるかに超えて気づいたら







絶叫






してるんですよね。






コーチを名乗ってなる者としてこれが実に後味が悪くて。。凹むことが多かったんですよね。





ただね。。この前もそんなアドレナリン全開みたいな状態になったんですけどね。しばらく転勤で会われへんけど最後に飲みに来ましたっていう若者にね。。
「金城さんが真剣に喋ってくれるからずっと来てました。バーなんかなんぼでもあるけど、安くもないけどずっと来てたのはそれが理由です」って言われたんですよね。




断言できるんですが、それを聞いてぼくは笑ってたんですよ。





ただ、心は











豪泣





でしたよね。。





あーそうなんかーと気づきました。普段から感情抑えすぎると良くないこともあるんやなあと。




やから、ぶつかる時は感情出してぶつかろうと。




それがある相手にとっては礼儀やなと気づきました。




だから、これからは絶叫はしないけど、





節叫(節度をもって叫ぶ)




のパターンでいきます。





変な店の変なオーナーですがこれからもよろしくお願いします。