もう何年も前、彼女がピアニストとして世間に認知された瞬間をわたしも観ていた。
フジコの生涯を映したテレビのドキュメンタリー。
最初に流れたラ・カンパネラのピアノの音に、釘付けになった。
そして突き動かされるように、コンサートの情報を調べ、出向いたことを覚えている。
同じように、突き動かされた人たちがたくさんいたんだ。
まるで一つの事件のように、世間が騒いだ。
それだけのインパクトがあった。
さっき、Netflixでその後のストーリーや、更に掘り下げられた人生が描かれている作品を観た。
「人生は、時間をかけて私を愛する旅」
これが冒頭のメッセージ![ラブ](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/006.png)
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実にドラマチックな人生だ。
戦後の混乱、人種差別、両親の離別、外国で生まれ、留学し、デビューチャンスのタイミングで聴覚を失ったピアニスト。
音大を卒業してピアニストになっても、観客を呼べるわけではない。
わたしもその端くれだったから、わかることがある。
普通のピアノコンサートは、ピアノを勉強中の学生や、大学の教授や関係者の繋がりでチケットを買う場合が多い。
しかし、フジコのコンサートの観客はちょっと違った。ある意味で素人が溢れていた。
ミスをしてもわからない。かまわない。
楽譜なんて知らない。
ピアノのテクニックを観に来ているんじゃない。
彼女の人生が表現された、あの音を聴きたい。
一つの命を感じたい。
そういう意味で異色だった。
これこそが芸術表現の本質なんだって思わせてくれた。
それを専門家より素人の方が知っているんだなぁ![おねがい](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/005.png)
![おねがい](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/005.png)
過酷な運命に流されるように生きて、
誰にも媚びずに自分流を通し、
愛されないと信じた体験を重ねて嫌いになった自分を氷を溶かすように愛してゆく。
その在り方がまさにピアノの音色となって響く。
死んで天国に行った時、楽しいことばかりで悲しいことがなかったというのは、ちょっとどうかと思う。
センチメンタルなのもいいんじゃない?
おしまいは、フジコのこの言葉![恋の矢](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/033.gif)
![恋の矢](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/033.gif)
そう、センチメンタルなのもいいんだよね![ニヤリ](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/003.png)
![ニヤリ](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/003.png)
ドラマの違いはあれ、誰もが「命」の体験をしている。
そこには、センチメンタルなドラマもある。
憂いを体験したい誘惑がある。
すべて味わいたい尽くしたい、人間だもの![ウインク](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/004.png)
![ウインク](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/004.png)