入院中における考察、
入院中また、俺は例によって「思想家」チックな色んな考察を得続けて居た。それら得られた考察はどれも、非常に「ユニーク」(=独特な)であり、そしてそういう機会で無い限り達せられない多くの「返事」を心で得、とても貴重な機会となった。結構珍しい症例だそうで、でも世界中でも一般的な菌でもあって、そんなスタンスだったのだそうだ。もう少し症状が進んでいたら、その菌が臓器か脳にも拠点を作ってしまい、死亡例もそこそこあるようで、タイミング的には結構「絶妙なタイミング」で入院を果たせたっぽかった。根気を持って原因の究明にあたり続けてくださった主治医さんには、一生頭が上がらぬ「恩」を俺は頂いてしまった。もう返しようがない規模の恩だ。ところが・・・・、今回ここでも「あどん」は幼さの程をガッツリ露呈してしまい、「負け組」である俺の生き様、何もせずただ院内でベッドで横になり続けるその30分,1時間、の連続が、自分のその後に及ぼす爪痕(「無収入」な期間のこと)、も我慢まですることが出来ず、焦って挙げ句に俺は最後「無断で勝手に病院を脱走」という形で「退院」とした。※告知は一応は、したけど。そして、にも関わらず、こんな幼稚なアクションに対してさえも病院は温情豊かに心配をしてくださり、事情を経緯をすっかり述べ終えてあとは理解も示して下さり、子供な「あどん」に対しての神対応、大人の対応を、病院全体として取ってくださった。形としては「円満退院」、そしてその後の病状に関しても常に相談をしてきてほしい、という素晴らしい姿勢だった。何と言うもったいない有り難い姿勢であろう・・・。そして、上記が「基本」であり、「すべて」であり、それ以外のことでは決して「無い」、という点をまず大前提として、また別な点を考えついた点を書こう、と思う・・・。***************************今回、9月前半~2週間程度の入院を体験して始めて学んだ・感じたんだけど、「負け組」ってのは、わずか2週間、自分のリアを離れるだけで、経済的な窮地に陥るのだという点。しかもそれが結構「取り返しの付かない強さの窮地」になり得てしまうのだ、という点。今月俺はまだ「一度も仕事をしておらず」、そして給与の締めである「20日」がもう目前となっている。つまり俺は来月、給料「ゼロ!」で生活をせねばならない。電気代や水道代、その他インフラ関連の費用、そして当然10月ずっとの食費、それらも「ゼロ」なのだ。俺はそれを自覚してからかなり心で「焦燥」を持ってしまい、もちっと気持ちで「良い意味で図太く」在れれば良かったものを・・、何人かの病院関係者さんたちにも、それら現状を自分なりに訴えて、早く退院させてほしい旨を、何度か説明してきたつもりだった、が、、結果としては、「足りなかった」・・・今回の病院は、1つ1つの医療に際してとても念を入れる慎重な姿勢を持っておられて、そのおかげさまで今回の肺病も見つけて頂いたのだが、姿勢が基本「病気なんだし仕方ないよね。完治するまで十分以上念入りに時間掛けますが、これもとても大事な姿勢なのです」ってポリシーをしっかり維持しておられ、俺が窮状をそれなり訴えたつもりだったが全然まだ弱く、その「リア充スタイル」での治療ポリシーを結果として譲って下さらなかった、「まだ、出れませんよ??、仕方ないですよ??」俺は常々、世では、「リア充と負け組の間には、どうしても超えられぬ高い壁があり、そのせいでお互いを理解や共感等をし合うことがどうしても「不可能」なのだ」といつも言ってきてるが、舞台が「病院」という場所でもやはり「同じだ」ということを身を以て体験をした・・リア充サイドとしては別に悪気も一切無く、それどころか逆にむしろ善意120%!!を持って治療や応対に関わって下さるのだけど、やはり「無理」なのだを悟った。負け組の窮状ってのは、彼らには所詮「おとぎ話」であって、現実問題として「顔が青ざめるほどの震え」までは、彼らは「起こせない」・・・、とても悲しい点ではあるけど、でも、これを別にひねくれる形でも無い上で「踏まえておく」というのは、とても大事なことだ、と学んだ。「勇気」と「誠実さ」が必要な度量だ。ニュースでよく、己のリアがままならぬ事を「人のせい」にしたり、周囲をうらやみ尚且つ「妬み」までしてしまって法を超えるような「仕出かし」をしてしまう弱い人間たちの話を多く聞くが、俺はソイツらと負けぬレベルの「負け組」ではあるが、絶対にそういう連中のお仲間には入りたくない、己が負けてるのは「自分の度量ゆえ」であって、誰のせいにも決してしてはならず、自分だけで背負うことが一番大事な十字架なのだ。人に背負ってもらうってのが一番情けないことだ。これもいつもそう考える。自分だけで背負ってこそ、その人は「輝く」のだ。「人として、どうよ??」これが俺の一番の「価値観」であって、世で生きる上で「至上!!」のものであり、これ以上のモノは世には「存在しない!」が俺の道徳観、価値観、社会観。この点での徹底を、下手すりゃリア充なくせに達成が出来ないって話を「兵庫県」あたりでも聞いてきてるし、「自民党」あたりもてんこ盛りにして話題作ってくれてるし、これらは俺は「とてつもなく情けない姿勢だ」と心の底から軽蔑もするし、絶対にこれは譲る気は起こしたくない。※しょっちゅう「愚痴る」上に今回も「脱走」しちゃったけど・・・、****************************そしてもう1つ学んだ点、俺は結果として病院を「脱走」って形になった。でも「あどん」当人としては全くそういう気は無く、正々堂々と誠を自分なりにギリギリを越えるまで尽くしてあと、胸を張って病院を出たつもりでいる。そのあと院のほうで連絡を取ってくださり、俺の姿勢に対しても温情もって話を聞いてくださってそのあと、「理解」をすっかりしてもらえた。いつも俺が言っている点、「人、ってのは、出張るべき時には、出張れないようでは駄目だ」、って話、脱走ってのは滅多に無い事例だそうで、周囲に話をしても「あどん」らしいなぁ、、またやらかしたんかえ、、おめぇはほんっと・・・、と、でも今回、俺がここまで覇気を見せたからこそ、事情を詳しく聞こうとして頂けたのだ、という考えはしっかり俺は持っていて、もし、、俺が弱気でそういう行動を出来ず、大人しく病室でグズるだけで終わっていたら、その「リア充と負け組の間にある「壁」!!」に関する問題提起は、全く出来ず!で終わっていたに違いない、ともこれも確信をしている。すげぇな、俺、、、ただ、こういう思い切ったアクションの断行?(ってか俺本人は、そんなデカいアクションとは全く思えてない・・)、に関しては、社会性、道徳、そして当然「法律の範囲内」、その枠に「厳重に収まっている」ことが絶対条件!だ。少しでもはみ出ていては駄目だ。ここを外してでのアクションってのは、絶対に!周囲から理解は得られ得ない。そんなアクションは「やるだけ「無駄」」だ。バカバカしい。絶対にすべきでは無い。この点もよく、賢さを持って吟味し続け続け続け、、、るべき!だし、そしてもう1つ、その間俺はずっと「負け」を続けた。つまり、自分の収入も危機になることすら「ゆずってあげて」、病院の都合に4,5日程度、合わせ続けたのだ。そしてその後でなお、詳細は省くけど「連休、という「医療」とかなり外れた場所での自分の都合」を相手が先にそれを持ってきた、そこまで「待ってから」、俺は行動を始まった。だから「誰からも責められない」で終わったのだ。そして俺は「コソコソする理由は1つも俺には無い」と確信を得てからだったので、前日に、脱走の「告知」もした。前日のうちに数名に俺は、「明日俺、病院出て行っちゃいますかんね??、そしてこれはこういう事由があってどうしても俺には必要なことですし、絶対にせにゃならんことなのですから」、と。そしてわざと、暗いウチでなく、明るくなって夜明けのあと、「誰からも周囲にそれと分かるように」っていう時間帯を選んで病院を出たんだけど、そやって告知をした上に、そうやって明るくなってから動いたのに、誰も俺を止めなかった、ってのは、「この時点でおそらく、理解を得られていた」だろうと思った。自意識過剰な感じ方だろうけどね。要は、「人は、出張るべき時には、出張れないようでは「駄目!」だ」、こういうタイミングってのが、どんな人にも「必ず」ある。恐れてはいけない。ただじ前もっての道徳の枠内かどうかの吟味はしつくす!!ことが絶対条件。そしてこれも俺はいつも言う、「まずは、負け続けろ」、こういうのも、社会に於いての「駆け引き」のコツだ。最初は負け続けること。そうすることで相手は必ず「図に乗る」から、それを待ってから、主張を始まること、この順番を護って最後に、道徳的に誰が観てもな「正論」を主張すれば、相手は図に乗った自分が居るせいで、こっちに対して「言い訳ができない」、、、これは生きる「コツ」の1つだよ。ただしあまり「多用」はせぬ方が良い。どうしても必要な時だけに限ること。なぜなら「類は友を呼ぶ」、似たような姑息さをもつ人間しか、周囲に残らなくなるから、だ。***************************************話いきなり逸れるけど兵庫県知事さん、あの人の「周囲」には、今、どんな「人間性」を持つ人たちが残っているのだろうか、TVでみるともう「死んだ魚の眼」しかしてない、あの知事の周囲に・・・、「叱る人が一切周囲からいなくなる」ことの怖さ、恐ろしさ、これを俺は彼からまた、学んでいるところだ。※「都知事」に関してもう似た教訓を多く得ている。俺は絶対に「死んだ魚のような目」で生き続けたいとは想わない。人として一番「だらしない生き方」だ。心は常に全うで広く晴れやかに、これは「1円すら掛けずに出来ること」であると同時に「普通レベルの人には「絶対に出来ないこと」」でもある。この点を追求して生きる、というのは実は「とても楽しい」と俺はいつも感じる。さて、今週も下手すりゃ家でずっと療養だけで終わるかも知れぬ、っていう今、例によって「徹夜」チックになってる、ってか「なった」けど※もう3時。話のついででこれも書くけど、俺は今回の自民総裁選は「全く!、関心が無い」あの「ポスター」みたかい???そして、立候補者数も確認したかい??あのポスターに、今回の総裁に立候補してる人「ひとりでも」映ってるだろうか??そして、都知事選の二番煎じがもうバレバレの「過去最多の立候補者数」、この党、「どこまで国民を「バカ!」にしてるんだろう」をすごい分かるような2つの「しっぽ」派手さで国民を「騙せる」と信じて疑わぬ、党全体として示すあの幼稚&姑息さ、隠すどころか堂々と国民に晒してくる事態、、これ「どう」よ、、「人として」。心の底から軽蔑だ。そして被害者が2名、石破さんと、小泉さんだ。「出来レース」に過ぎぬのだし、誰が当選するかど~せもう「決めている」はずで、つまりこの2名は「必ず落ちる」し、石破さんは多分、今回以降はもう、総裁に立候補は「せぬ」だろう、この二人は可哀想だ。ただ進次郎さんは「立候補をしたという前歴を持つこと」が一番の意図なのだから、落ちたとしても想定の範囲内。これはこれで俺は、彼のことは希望を持てる。俺は立憲の総裁選のほうに遥かに高い関心を持っている・・・んだけど・・・・「なんで、みんなで一緒に同じとこに行くの???」これはすごい「ガッカリで」まるで子どもの「電車ごっこ」だよ。まだまだ立憲は政権は取れぬのだろうな、も洞察できてしまって、非常~~~~にガッカリ、であります。今後どうなっていくか、ってのはすごい希望は持っています。黒いポスター出してくるバカ集団のほうじゃなく、後者の方、ね。