今日は義母の月命日。

義母が好きそうな色合いの花を供えた。





義母はあっけなく

本当にあっけなく旅立った。






義母は入院でまた歩けなくなったので、

リハビリ病院に転院していた。



先月、月初に主人に電話が来て
飲み物とお金持ってきて、と言ってきて、
(あぁ、持ち込み禁止をまた忘れてるよ)
と思ったのに。
退院後の計画をするため
リハビリ状況を見学に行く予定だったのに。

まさか二度と帰ってこないとは。




義母からの電話の数日後、
担当医から連絡を受けた。
「心不全を起こして
肺に水が溜まっており、
誤嚥性肺炎にもなっているため、
リハビリはいったん中断して
治療に専念します。
ただ、排尿が極端に少なくなっていて、
万が一があり得るかもしれません。」

そして、その2日後の深夜、
義母は危篤状態に陥る。



「声がけに反応しなくなり、
呼吸が大変弱っています。
お会いされますか。」



夫と駆けつけ、
「お義母さん、
お義母さんが大好きな干し柿、
冷凍してとってあるからね、
退院したら一緒に食べようね」

私は、義母ががんばろうと思うような
声がけをした。
手を握って。

たとえ反応できなくても
私たちが来ていることは伝わるはず。
耳は聞こえているはず。




翌日に面会に行った時には
微熱状態で心拍数も早く、
手がかなりむくんできていた。
(あ、義母は逝ってしまう)
直感的に思った。

主人に
「覚悟した方がいいと思う」と話した。


だからさらにその翌日、
私は息子を連れて面会に行った。
本来なら中学生は面会NGだが、
ちょっとだけ会わせてもらえた。



そして。
その深夜3時ごろ、
病院から電話が来たのだ。



義弟家族に連絡して
始発で会いに来てもらい、
1人ずつ交代で最後の付き添いをした。


夕方、義母は私たち子どもが見守る中、
旅立って行った。



私の人生で看取ることは初めてだったけど、
なぜか怖くはなかった。
それよりも義母が旅立ちを怖がる気がして、
ずっと手を握っていた。

ドラマのようにパタっとはならない。
いつの間にか、だった。

あんな直感、当たらなければいいのに。





それからは怒涛のような日々だった。

義母は家族葬で送り出した。
花が大好きな人だったので、
たくさんのお花を飾って。
「私のお母さんになってくれてありがとう」
という手紙を添えて。
義母が食べたがっていた干し柿と一緒に。




義母が旅立ってからひと月。
思っていた以上にダメージが重い。
主人はもっとずっと深いダメージだろう。


もっと義母にやってあげられることが
あったのではないか。
もっと早くにウチにおいで、と言ってたら
ここまで体が
ボロボロになっていなかったのではないか。
考えてももう取り返しがつかないのに
グルグル考えてしまう。



義母の姉から
「最後にあなたたちと一緒に暮らせて
大切にしてもらえて、
きっと幸せだったと思う。
本当にありがとうね。」
と言われた。

義母もそう思ってくれているだろうか。