琉球太田焼窯元ブログ館-7-19-1
沖縄タイムスから転載しました。


八重山上布の正確な起源については不明です。現在の八重山上布と思われる赤縞、紺縞上布の名前がはっきり出てくるのは、人頭税が実施されてからです。人頭税は、島民にとって堪え難いものだったと思われます。しかし、その結果、精巧な織物が作られるようになり、今日まで受け継がれています。
明治時代には産地問屋ができて反物が販売されるようになりました。また、
その頃に高機が導入されて、生産量が増えました。