101歳現役医師の死なない生活 | 猿の残日録

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いろんなことがあるが、人生短いから前だけを見たほうがいいですよ。江原啓之 今宵の格言

101歳現役医師の死なない生活

2019年12月 幻冬舎発行
田中旨夫(たなか・よしお)著

沖縄のあかみちクリニックの元院長。101歳の現役医師。医師歴76年。

1918年台湾生まれ。沖縄で42年間医師として患者を診たのち、現在は台湾の「台湾正生婦幼聯合CLINIC」で患者を毎日診ている。






1918年台湾生まれ

医師になったきっかけは、台湾で医師をしていた父のすすめと、何か人の役に立つ仕事に就きたいという強い思いでした

1943年昭和医学専門学校(現・昭和大学)卒業

32歳、肺結核、翌年、強力な抗結核薬が開発され運よく命拾い
左の肺は、結核による胸膜炎で組織が縮み、肺機能、大きさともに半分

学校を卒業してからは台湾で医師をしていましたが、57歳のときに沖縄が深刻な医師不足に悩んでいることを知り、沖縄に居を移しました

沖縄の病院に赴任した当初は、これほど長くいることになるとは思いもしなかったのですが、結果的には足掛け42年間、現地の医療に携わることになりました

89歳、おしっこの色、ひどく黄色が続く
胆管が詰まると濃い黄色のおしっこが出るものですが、どうもそれとは違う

胆石、の症状もないので
沖縄の救急病院でCT検査とエコー検査を受ける
肝臓がんの疑いがあるが、MRIの検査は予約が詰まって、1か月以上先になるという

胆管が詰まったまま1か月以上も放っておくと、大変なことになりかねません

台湾にある国立台湾大学医学院附属病院に行き、友人の副院長の計らいでMRI検査を受けた

肝臓にがんができ、それが胆管に転移、ステージフォー、ほぼ末期

1年前から肝機能の数値に異常を、てっきり前立腺肥大症の薬のせいと考えていた

右肝臓を切除、十二指腸につながる空腸を切って、左肝臓につなげる手術成功

抗がん剤を一切使用することなく、3週間後に退院
退院約1週間後の再診で問題がなかったので、その翌日に日本に帰国
そのまますぐに職場に復帰

89歳という年齢は、体を動かさなければあっという間に衰え、仕事への復帰もままならなくなります

手術と1ヵ月近くの入院生活で、体重は入院前は73キロあったのが、50キロまで落ちていました

もしがんに気づかなければ、私は老衰で亡くなったことになっていたと思います

完治して発症前より元気になる

そして2年ほど前、生まれ故郷の台湾に再び戻って、病院で毎日患者さんを診ています

私は、あと10年は患者さんのために仕事を続けたいと思っています

「何を夢のようなことを」といわれそうですが、私は真面目にそう思っています
「あと10年は頑張るぞ」という思いを、ずっと前から毎日、毎日更新しているのです

つまり、毎朝、心のなかで「あと10年は頑張るぞ」と思うことも、私にとっての習慣なのです


「あと10年」を、「あと1年」にして、それを繰り返してもいいんじゃないですか?
そういわれたこともあります

私にとって気持ちがとても前向きになるのは、どうしても「あと10年」なのです
それが心にもっとも響いて、ワクワクできる目標なのです
目標を持つことで、生きる意欲がふくらむ


生きている間は、人は死を経験することができない
経験できないものについては、あれこれ想像するしかありません
そうするよりほかないものなので、なおさら死はこわいと感じるのかもしれません

確実にわかるのは死が生命を持つものの宿命であり、きわめて自然な現象であるということです

本来自然なことなのに、そこに不安や恐れを抱くのは、地上の生き物のなかでは唯一人間だけです
それは人間が想像力というものを持っているからでしょう
しかし、死はすべての人間が経験する事実にすぎません
そう考えているので、私にとっては死はこわいものではないのです

当り前ですが、生きている間に、死はありません
だから、死ぬまで生きる、それだけのことです


希望と生き甲斐を持って、毎日を精いっぱい生きる
その果てに死があるのでしょうが、私にとって大事なのは、日々の充実した時間の連なりだけです

そして毎日を一生懸命に生きていれば、死が突然来ようとも、悔いは残らないと思っています

死はこわいものではない
死は自然な現象にすぎない


 

 

 

以下は、帯および、目次です

 

 

老いなんかに負けてたまるか!
長生きは「運」ではなく、「習慣」で決まります。

著者は101歳だが、いまだに現役医師として毎日患者さんを診察。
今はスマホでLINEを使いこなし、仕事とプライベートを満喫。
なぜそんなに頭もクリアで、仕事もバリバリこなせるのか。
その秘策をすべて解説。


〈目次〉

はじめに
第1章 〝ちょっとした習慣〟で、100歳を超えても若者並みに動ける!
規則正しい生活こそ元気のキモ
毎日30分の散歩で死ぬまで歩ける体になる
太陽の光を1日15分浴びて認知症やがんを防ぐ
昼寝の習慣をつけて、疲れ知らずになる
毎朝、足腰の柔軟体操をする
体には軽めの運動が一番いい
ねこ背になっていないか、常に意識する
「体によい習慣」を生活に根づかせる

第2章食べ物だけで、体はこんなに変わる!
毎日15種類以上の野菜をとる
野菜をとって体のサビを落とす
ベジタブル・ファーストで脂肪を減らす
粗食ではなく、肉をしっかり食べる
ヨーグルト、チーズなどの発酵食品を欠かさない
果物は少量でも毎日食べる
体の土台となるカルシウムをたくさんとる
老化を防ぐオリーブオイルをとる
週一回、薬膳スープで細胞をよみがえらせる
くつろいでいる時間に緑茶を楽しむ

第3章体に悪いものを徹底してとり除く
甘いものを食べない習慣をつける
中高年は糖質制限をしないほうがいい
塩分を減らして素材を味わう
トランス脂肪酸を含むパン、お菓子、インスタントラーメンは食べない
加工食品を口にしない
水を1日に2リットル飲んで血行促進!

第4章病は「元気で長生き」のきっかけになる!
西洋医学に東洋医学をとり入れた統合医療で成果を上げる
薬では治せなかった病気を治す
病気で死にかかったことに感謝する
89歳で末期がんになるも、完治して発症前より元気に
薬は必要最低限に抑える
未病のサインに気づく
私が見た健康長寿の人の共通点

第5章 100歳を超えても心がワクワクする気の持ち方
「心の健康」は「体の健康」に直結している
体を甘やかすと衰えやすい
いつまでも若々しくいる秘訣
「笑う門には福来る」には科学的な根拠がある
ストレスが少しあるほうが体にいい
何でも「ほどほど」の感覚で暮らす
ボケ防止には脳トレではなく、楽しいことをする
イライラすると損をする
「今日からあと10年は頑張る」という決意を毎日する
死ぬまで未知のことに挑戦する
死はこわいものではない
自分の役割を考える
やるだけのことをやったら、後は運を天にまかせる
「できない」ことより「できる」ことに目を向ける

 

 

医学博士、元あかみちクリニック院長、正生婦幼聯合CLINIC長春部部長。昭和18年9月昭和医専畢業(卒業)。昭和18年10月日本の医師免状を取得。昭和18年11月台北帝国大学医学部(2年間研究を行う)。昭和30年台北市で、産婦人科、腹部外科クリニックを開業。昭和33年クリニックで日夜働く必要があり、自分自身へのホルモン補充療法を開始。この当時、ホルモン補充療法は、欧米でもあまり行われていなかった。昭和50年沖縄に移住。以降時間外に那覇市救急診療所に16年間協力。昭和61年上海中医薬大学研修。北里大学東洋医学総合研究所研修。昭和63年~平成6年琉球大学医学部地域医療研究センターにて、老人医学の第一人者鈴木信教授教指導で超高齢者100歳以上の高脂血症と、いかに免疫を高めて「健康寿命を平均寿命に近づける」を研究。令和元年7月人の手を借りずに生活することができ、仕事もできることを実証するために、現役医師として診療、治療に励むことをあらたに決意