もう梅雨明けかねえ と相棒が言うが、明日は小雨
その後、晴れが続いて、1週間後の金曜日また曇り一時雨 の予報
除湿エアコン入れるリビングと、入れない私の部屋は 3.5℃ 10% ちがう
私は暑いけど、扇風機2台で汗かいて過ごしてます 31℃ 74%
今日は、やよい軒、イオン那覇店 行きました
パルコシティの影響感じず
R58は朝10時、南北それぞれ3km近いパルコ渋滞だったらしい
映画館が3面スクリーンらしい
270°3画面ワイドオープンスクリーン
うちが見るのは、ブームが落ち着いた5ヵ月後の11月くらいだろう
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何のことか知りませんが、98位 何かのまちがいでしょう
寝室のシングルベッド2台を窓際に寄せたら数センチマットレスに開き戸がかかる
1つのドア開閉の時だけ、マットレスを軽く上げるつもり
エアコン使う梅雨明け~11月終わりまでは扉を閉めるが、それ以外は開けたまま
ワイヤレススピーカーか、5m有線スピーカーか、まだ迷う
電気屋さんで見てるが、肝心のTVを見る習慣をこれからつけてから
買おうと思う
それくらい、まだTV見る習慣がないのが問題
パナのワイヤレススピーカーは、「電源On (数秒して) Bluetooh 接続しました」
音声ガイダンスがなんとも間抜けな感じ
うちでは、TVの電源入れたら感知して電源Onしてほしい
20分無信号で電源Offは便利だ
「人は死なない」 ある臨床医による摂理と霊性をめぐる思索
矢作直樹 著 2011.9月
人の「死」に関して、一般的には「歳をとって、八〇歳で死ぬ」というような言い方をしますが
それは「肉体には寿命があり、八〇歳になって肉体は朽ちて無くなる」というほどの意味であり、
それ以上でも以下でもありません。
人の一生は、表面的には寿命の長短や、それぞれが人生の中で負う荷物の大小しか見えないので、
見かけ上不公平、理不尽に思えることは多々あります。
なぜあの人は夭折してしまったのだろう、なぜ生まれながらに重い障害を負ってきてしまったのだろう、善良に生きているのになぜこんなにつらい目に会うのだろう、などと考えてしまうことが誰にでもあるはずです。
けれども、我々の人生の旅は死後も続く、摂理の意思は悠久の生の中で折り合いがつくよう働いている、と考えれば現世での苦しみや悲しみが多少なりとも癒されるのではないでしょうか。
いや、そのように考えないと、矛盾に満ちたようにもみえるこの人生を理解できるものではありません。
人生における様々な失敗や挫折、病気や怪我など自分の身に起こる災厄とは、摂理が個々の人間に、それぞれが自身で責任を負って大切な何かを学ぶために与えた試練なのではないかと私は考えるのです。
この本以外に、色々な本を読むが、そう思わなければやっていけない気がするのです