北大東島 雑感 | 猿の残日録

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いろんなことがあるが、人生短いから前だけを見たほうがいいですよ。江原啓之 今宵の格言

北大東島で、いいなあと感じたことは

ハト、カラス、ヘビがいない

(ハブもいない)

 

ニワトリを飼ってる家も(今は)ないそう

  理由は、世話の手間、騒音、臭い

  卵の価格は運ばれてくる離島価格だから高いそう

 

グランドゴルフの後の懇親会(食事会)で聞いた話で

 

北大東島の家は、屋根はトタン、周囲はコンクリ

すべてコンクリだと沖縄本島から運ぶから高くなるそう

(ちょっとどういう家かイメージわかなかったのです)

 

ハマユウホテルの近くの建物は立派なコンクリで(資料館だったり)

民家は少し離れたところに見えたが

見て回らなかったから、カーナビ役で地図見ていたから知らない

 

 

ここから回想

 

那覇の昔の家は、藁ぶき屋根で、台風のたびに飛ばされるから琉球瓦になり

コンクリじゃないから白アリ被害に薬剤で長年耐えてる

その隣に、トタン屋根の家も同じ敷地にある (コンクリではない木造)

 

トタン屋根の家が台風には1番強いと大工のおじさんから8年前に聞いた

倒れる前には予兆があるから逃げだせばいい

何回か揺れる いきなり倒れない

 

屋根が重くないから被害が少ない

実際、その大工のおじさんの家はとても粗末な家だそうで

人の家ばかり作ったり修理したりして、自分の家は後回しなのかそのまま

 

 

 

11:22   室内 24℃ 47%  2月3日(日)

 

1週間前の日曜日、微熱で37度台だった

1晩しっかり寝て平熱36度台に戻して

北大東島旅行中は気にならず元気

戻って来てからの 水木は37度台で、厚着してずっと寝て退屈

2月1日(金)の朝にようやく平熱に戻りました

 

微熱37度台の時は、鼻、のどあたりが変なので

インフルエンザになった去年の経験から体温計を20分に1回はかり

高くても38度前半でとまるのを確認

 

インフルエンザは、すぅ~っと39度、40度を超えていくから

ジェットコースターみたい

今年はそれはなかった

 

平熱に戻った今も、油断して普段のように

ペラペラ長袖1枚だと37度台の微熱になる心配で

ヒートテックの薄い肌着の上にヒートテックウルトラウォーム防寒インナー

2枚も着てると、もう平熱の今は、とにかく暑い

 

食欲は胃が多少弱っているからか、少し食べて終わり

 

 

2月13日から2泊3日で、多良間島行くつもりが催行中止

 

黒糖づくりのイベントは県民に魅力ないでしょう

他の日程で満員だったのか、キャンセル多く出たらしい

中央ツーリストに払い込むのは中止してと電話あったり

島あっちぃ事務局 大変なのはわかるけれど

HPでお知らせ更新もいまだに間に合わず

少ない力で多くを回すのは限界を感じた

 

行きたい時に、離島は高い物と普通に支払って旅行するのが離島かなと

 

 

 

沖縄本島にいるから離島への費用だけですむが

離島の人が他の離島へ旅行に行くには、けっこうかかると知りました

 

 

実際、北大東島のJAに勤めていたおじさんも南大東島には

ほとんど出かけない

行くのは2か月に1回、沖縄本島 子や孫に会ったり買い物

1回で2・30万散財とか

世帯収入が沖縄県でトップレベルの北と南の大東島だから

愛知で言う田原町のメロン農家みたいなイメージで聞いていたから

大変だとは思わなかったが

(フェリーなら安いし)

 

北大東島の利用できる土地はすべて農業などに利用してるから

移住者が住む空き家もないらしく

 

1番問題なのは後継者問題 というところで

スーパーが実質JAしかない田舎で住むのは楽しいのですかと

聞いても答えはなく、他のおじさんには聞かなかったが

 

帰る日のガイド役のとうまさんは、JAの店が無くなると困るから

高くても店で買うものを決めて、その価格は気にならなくなってるそう

JAにない物は、ネットで購入すると言っていたが

離島は沖縄本島とちがい高額な送料だったりする場合が一般的

北と南の大東島はまだ飛び抜けた収入があるから

ネットあれば厳しい環境条件を気にせず生活できるのかなと思う

 

 

高校で島を出るから、戻って来るのは(少ない) と言われるが

 

久米島では、高校中退とかで戻ってきてしまうのは

自分で炊事洗濯などの自活できない子と言っていた

 

それとちがって、外の世界を見てしまうと

北大東島に戻ってこない のかな

 

 

島出身の20代の農業従事者が浦添の高校での教え子で

(元教師は今回のツアー参加者)

4年前にも会ったそうで、今回のツアーでも小さいじゃがいも沢山もらってきました

 

この元教師の親は、沖縄本島出身、戦争で復員27才

(戦後すぐは教員がいないから) 北大東でいきなり校長

その後、子供が男女12人生まれ この元教師は5男だった

 

 

 

島に住みたい人は戻って来るのかなと

住める数が限られる

島民の数は10年間で北は微増、南は微減らしい

移住者の住むところもないのだから

観光はまだこれからの島だから

色々、特殊な環境だった島だから

興味深いです

(私の内地の郷里も似たようなものですが)

 

 

コンテナが海岸に置かれていて、佐川急便は配達する人がいないから

めいめいが暗証番号を回してあけて持っていく

ヤマトとゆうパックは配達してくれるがコンテナにも来れるみたいな話

島民はみんな気性まで知り合っているから物は無くならないそうです

(それは私の内地郷里でも同じでしたが、

内地は離島じゃないから外から人が来るね)