題名からはピンとこないですが
300ページ弱のうしろの100ページ読んだだけですが
購入して読んだ方がいい本だなと感じました
私は、7才、22才、35才、49才・・・・
こういった年齢で亡くなった身近な人を思うことがあります
生きるということは何だろうと思うことがあります
この本では、こう書いてあります
あなたも、そしてわたしも、たとえ「いま、ここ」で生を終えたとしても
それは不幸と呼ぶべきものではありません
20歳で終わった生も、90歳で終えた生も、いずれも完結した生であり
幸福な生なのです
「いま、ここ」を真剣に生きていたとしたなら、その刹那はつねに完結したものである
人生における最大の嘘
それは「いま、ここ」を生きないことです
過去を見て、未来を見て
人生全体にうすらぼんやりとした光を当てて
なにか見えたつもりになることです
あなたはこれまで、「いま、ここ」から目を背け、
ありもしない過去と未来ばかりに光を当ててこられた
自分の人生に、かけがえのない刹那に、大いなる嘘をついてこられた
過去も未来も存在しないのですから、いまの話をしましょう
決めるのは、昨日でも明日でもありません
「いま、ここ」です
このあたりを読んでいた頃は、まだよくわからなかったが
うしろから前に逆に読み進めて行ったら
長年、疑問に思っていたことが氷解した
それを書き出すと長くなりすぎるのと、
時間があまり無いのと
この本は読み直す価値があると思うので、
購入するつもりであり
ここは簡単に記録するだけとします
以下、前半をまだまったく読んでいない時点でのメモです
嫌われる勇気
自己啓発の源流「アドラーの教え」
岸見一郎 古賀史健 著
自己啓発の源流「アドラーの教え」
岸見一郎 古賀史健 著
2013年12月 第1刷
2016 5月 第37刷
2016 5月 第37刷
図書館の本だから、実際はもっと増刷されてるはず
本屋さんでは、続編 「幸せになる勇気」を見た
劇薬の哲学問答 とある
これもきっと面白い本だろう
劇薬の哲学問答 とある
これもきっと面白い本だろう
あとがき 古賀史健 より 部分抜粋
人生には、何気なく手に取った一冊の本が、翌朝からの
景色を一変させてしまうような出逢いがあります
1999年の冬、当時20代の”青年”だったわたしは
池袋の書店で幸運にもそんな一冊と出逢うことができました
岸見一郎先生の「アドラー心理学入門」です
景色を一変させてしまうような出逢いがあります
1999年の冬、当時20代の”青年”だったわたしは
池袋の書店で幸運にもそんな一冊と出逢うことができました
岸見一郎先生の「アドラー心理学入門」です
あとがき 岸見一郎 より 部分抜粋
「幸福とはなにか」を探求する幸福論は、
西洋哲学の中心的なテーマであり
私はこの問題について長年考え抜いていたので、
はじめて聞いたアドラー心理学の講演で、
私はこの問題について長年考え抜いていたので、
はじめて聞いたアドラー心理学の講演で、
檀上の講師が
「今日の私の話を聞いた人は、今この瞬間から幸福になれる」
と語るのを聞いて、大きな反発を感じました
「今日の私の話を聞いた人は、今この瞬間から幸福になれる」
と語るのを聞いて、大きな反発を感じました
しかし同時に、「自分自身がどうすれば幸福になれるか」
については深く考えてこなかったことに思いいたり
「幸福になること」自体は意外と簡単なことかもしれない、と
アドラー心理学に興味を覚えたのです
(中略)
アドラーは、
「人間の悩みは、すべて対人関係の悩みである」といっていますが、
どうすれば良い対人関係を築けるかを知らないと
他の人の期待を満たそうとしたり、
他の人の期待を満たそうとしたり、
他の人を傷つけまいとして
主張したいことがあっても伝えることができず
自分が本当にしたいことを断念してしまうことがあります
主張したいことがあっても伝えることができず
自分が本当にしたいことを断念してしまうことがあります
そのような人は、
たしかにまわりの人からの受けはよく、
彼(彼女)らを嫌う人は少ないかもしれませんが、
その代わり、
自分の人生を生きることができないことになるのです
自分の人生を生きることができないことになるのです
ここから感想
奈良の電車の中で読んでいた本です
300ページを切る本ですが、うしろから読みました
あとがき を読んでいて、哲学 というところに興味を持ちました
300ページを切る本ですが、うしろから読みました
あとがき を読んでいて、哲学 というところに興味を持ちました
哲学と並行してアドラー心理学を学ぶことになった著者が
2つの学問を別々に学ぶことにはなりませんでした
と言ってます
対談形式で、わかりやすい本です
電車の中で、さすが関西
「アドラー心理学入門」を読んでる
50代のおじさんがいました
名古屋だとこういう光景はまず見られない
人間の数以上に、何かが、ちがう
50代のおじさんがいました
名古屋だとこういう光景はまず見られない
人間の数以上に、何かが、ちがう
後ろのほうのページだけからですが
すごいなあと思った部分を、さらに抜粋すると
他者貢献とは
「わたし」を捨てて誰かに尽くすことではなく
むしろ「わたし」の価値を実感するためにこそ、なされるものなのです
むしろ「わたし」の価値を実感するためにこそ、なされるものなのです
自己を犠牲にする必要はありません
もっともわかりやすい他者貢献は、仕事でしょう
社会に出て働くこと、あるいは家事をこなすこと
社会に出て働くこと、あるいは家事をこなすこと
労働とは、金銭を稼ぐ手段ではありません
われわれは労働によって他者貢献をなし、共同体にコミットし
「わたしは誰かの役に立っている」ことを実感して
ひいては自らの存在価値を受け入れているのです
もちろん、お金を稼ぐことも大きな要素です
以前あなたが調べてこられた「鋳造された自由」という
ドストエフスキーの言葉が語るように
以前あなたが調べてこられた「鋳造された自由」という
ドストエフスキーの言葉が語るように
しかし、一生かかっても使い切れないほどの資産を抱えた富豪がいます
そして彼らの多くは、いまもなお忙しく働き続けています
なぜ働くのでしょうか?
底抜けに強欲なのでしょうか?
違います
それは他者貢献のためであり
ひいては「ここにいてもいいんだ」という所属感を確認するためなのです
巨万の富を得たのちに慈善活動に尽力する富豪たちもまた
自らの価値を実感して「ここにいてもいいんだ」と確認するために
さまざまな活動をおこなっているのです
仮に、大きな天災に見舞われたとき、原因論的に
「どうしてこんなことになったのか?」と
過去を振り返ることに、どれだけの意味があるでしょうか?
「どうしてこんなことになったのか?」と
過去を振り返ることに、どれだけの意味があるでしょうか?
われわれは困難に見舞われたときにこそ前を見て、
「これからなにができるのか?」を考えるべきなのです
「これからなにができるのか?」を考えるべきなのです
そこでアドラーは、
「一般的な人生の意味はない」と語ったあと
こう続けています
こう続けています
「人生の意味は、あなたが自分自身に与えるものだ」と
(中略)
あなたがどんな刹那を送っていようと、
たとえあなたを嫌う人がいようと、
「他者に貢献するのだ」という導きの星さえ見失わなければ、
迷うことはないし、なにをしてもいい
嫌われる人には嫌われ、自由に生きてかまわない
嫌われる人には嫌われ、自由に生きてかまわない
そして、刹那としての「いま、ここ」を真剣に踊り
真剣に生きましょう
真剣に生きましょう
過去も見ないし、未来も見ない
完結した刹那を、ダンスするように生きるのです
誰かと競争する必要もなく、目的地もいりません
踊っていれば、どこかにたどり着くでしょう
(中略)
「わたし」が変われば「世界」が変わってしまう
世界とは、他の誰かが変えてくれるものではなく
ただ「わたし」によってしか変わりえない ということです
アドラー心理学を知ったわたしの目に映る世界は、
もはやかっての世界ではありません
世界とは、他の誰かが変えてくれるものではなく
ただ「わたし」によってしか変わりえない ということです
アドラー心理学を知ったわたしの目に映る世界は、
もはやかっての世界ではありません