
最近、野良犬軍団3グループの中の
「三匹の侍」と名付けたグループと
RIN(凛)君が親交が深まり、心配している。
三匹の侍は、2頭が雄、1頭が牝という兄弟の構成みたいで、
前はもっと多かったように思う。
野良犬たちにとっては飢え、不衛生な食べ物や水、病気、毒蛇ハブ、雨、台風など
過酷でとても長生きできるような生活環境になく、野良犬の寿命は早い。
その3頭の中の牝犬にRIN(凛)君が片想い中で、そのゆくえを心配している。
私が「グランドキャニオン」と名付けた、小山の渓谷っぽい開拓地があり、
そこが三匹の侍のアジトになっている。
かつては、そこはいくつもの野良犬軍団の要塞で、
数年ごとに彼らは姿を消していった悲しいドラマがあった。
この山林原野に地主が重機を入れて、迷路のように重機が通った道が出来ている。
最近のRIN(凛)君は、舗装された林道より、
大地を跳び回る方を選択しているので、
いくつかの野良犬軍団と鉢合わせする確度も高まり、抗争もより激化しつつある。
そうした中で、RIN(凛)君はなぜか三匹の侍とは親交を深めている。
彼らはRIN(凛)君と体型が似ているので、
ハーフなのかクォーターなのかは判らないけど、
琉球犬MIXということが判る。
彼らはキツネみたいで綺麗な犬だね。
雑種の野良犬には見えない上品さも、かもしだしている。
彼らを保護して譲渡会にでも出せば、「家族にしたい」という人も出るはずだけど、
捕まらないだろうし、生まれながら人間に不信感を抱いているのだから、
人にはもう慣れないだろうね。
でも、私は
「RIN(凛)君に同行してるオバア」
と認知されているようで、5mくらいまで近寄るようになってきた。
彼らの琉球犬の血が、RIN(凛)君に親近感を覚えさせているのかもしれないね。
彼らはRIN(凛)君より体格がひと回り小さい。
RIN(凛)君は今年の元旦生まれだから、
彼らは1月とか2月生まれなのかもしれないね。
であれば、先輩のRIN(凛)君を兄貴のように慕うのも有りなのかもしれない。
彼らを保護することは出来ないから、
彼らにも出来るだけ楽しい思いをさせてあげたいことや、
RIN(凛)君も親兄弟と別れていることで、
共に仔犬であれば、じゃれ合う仲間がいたっていいはずだ、と
今のところ黙認している。
そのグランドキャニオンの入口の坂で、
三匹の侍がRIN(凛)君が来るのを待っていたので、動画で撮影してみた。
私と、その坂は約80mも離れているし、デジカメの望遠MAXでの撮影なので、
鮮明ではないし、映像が判りにくいと思うけど、
私は動画はほとんど撮影したことがないので、その点はご容赦ください。
RIN(凛)君は、三匹の侍に歓待され、敬愛され、
なんだか兄貴化して親交を深めている…。困ったね。
「義兄弟」というと、再婚とかで連れ子と実子の
血がつながらないけど兄弟という関係や、
高倉健や菅原文太の映画で出てくる極道の世界で、
盃を飲み分けて契りを結んだ盟友という関係もあるだろうけど、
三匹の侍がRIN(凛)君を慕っている様子は、
「兄貴ぃ~!」
というように見えるので、
日本テレビのTVドラマ「傷だらけの天使」で
水谷豊が萩原健一に対して言うセリフを想い出した。
水谷豊は「太陽に吠えろ」の第1回に出演している。
赤いシャツを着たチンピラのマモルという役で
拳銃でチンピラを殺害してしまう犯人。
最後にマモルは工場跡みたいなところで見つかり、拳銃を持って
マカロニだったかな、刑事に諭されて「拳銃を渡せ」と言われて近づく刑事に
怖くなって発砲して怪我させてしまったんじゃなかったかな。
あまり良い演技ではなかったような記憶がある。
水谷豊は、その後「熱中時代」でブレイクし、
「相棒」の杉下右京役に至り、成功した役者に上りつめた。
「相棒」の杉下右京は、
シャーロックホームズや刑事コロンボを意識した役作りになっているけど、
あまりに長編化しすぎて、ネタがなくなり、私はほとんど観なくなった。
先日、新しい相棒が反町隆史になった初回2時間SPを途中5分ほど観たけど、
反町隆史は良くも悪くも、棘(とげ)がなくなり、魅力が半減した感。
朝食抜きで元気がないような弱々しい感じで昔の威勢良さが消えていた。
そういう役柄なのかもね。
ボソボソ話すのも聞き取りにくかったよ。
前回の右京の相棒は成宮寛貴。
season11~season13まで、予想外に長く続いたけど、
最終回があまりにも不自然というか、
制作側が意外性を意識するあまり、反則を犯してしまった。
右京の相棒は特命係に配属された頃に、
親友の妹の殺人事件に端を発した連続暴行事件に関わり、
犯人を見つけては私刑していた。
それを右京に突き止められて逮捕、懲戒免職になってしまった。
右京さんって、冷静沈着で頭脳明晰じゃなかったんだね?
何年も自身の相棒が犯罪者だったって、まったく気づかなかったんだね?
そんなことも見抜けない右京さんなんて…。
それまで時々、「相棒」は観ていたけど、
その最終回で、すっかり興ざめしてしまった。
日本テレビのTVドラマ「傷だらけの天使」は1974年(昭和49年)の放映。
1974年というと、沖縄返還から2年後で、
その前年の第四次中東戦争によるオイルショックで
エネルギー資源を輸入石油に頼る日本は狂乱物価になり、
戦後初めてマイナス成長になって、高度経済成長が終わった年。
高卒の就職率も50%を割り込み、
大卒では安定した公務員や教員志望者が増え、
外食産業、スーパーなどへ大卒が初めて就職した。
また、解雇された優秀な人材がサービス業に流れ、サービス業が発展した。
不況になると「公務員、教員」志望が増えるよね。
昭和の高度成長時代は、「でもしか先生」といって、
「先生にでもなるか」といった形で教職に就いた先生や、
「先生にしかなれない」といった、先生を嘲(あざわら)う言葉が流行した。
この1974年当時でも十分通用した言葉。
世界同時不況という、経済学では戦後の重要な意味合いを持っている。
1974年の物価は、
・大卒の初任給 8万2629円
・郵便 封書20円、はがき10円
・大手新聞(夕刊セット)月決め1700円
・国鉄 上野-青森間普通旅客運賃3410円
・都バス60円
・ビール160円、かけそば150円
また、この1974年は、
「元日本兵・小野田寛郎がフィリピンのルパング島で戦後30年ぶりに救出」
この2年前、沖縄が返還された1972年に、
グアム島タロホホで横井庄一が発見され帰国していたけど、
発見当時の映像は、髪もヒゲも伸び放題で米軍人に両腕を持たれて立っている姿は
良くいえばルンペン、ふつうの印象では1950年頃メキシコで捕まったという
小宇宙人の有名な写真みたいな感じで、とても元日本兵には見えなかったけど、
対照的に小野田寛郎は軍人らしく態度もキビキビしていた。
1945年8月の終戦を過ぎても、任務解除の命令が届かなかったことから、
小野田元少尉は、部下(島田伍長=1954年戦死、小塚上等兵=1972年戦死)と共に
ルパング島で戦闘を継続、密林で情報収集活動などをしながら、
農家の農産物を盗んで生き抜いていた。
小野田少尉と小塚金七上等兵が現地の警察隊と銃撃戦になり、
小塚上等兵は撃ち殺され、小野田少尉は逃走後、投降、逮捕。
小野田氏は帰国後、小塚金七の実家に焼香に行くが追い返され、
また持ち上げていたマスコミが手のひらを反して小野田批判に出たため、
小野田氏は帰国の半年後に次兄のいるブラジルに移住して
牧場経営を決意し、。帰国後結婚した妻の町枝と共にブラジルに移住し、
10年を経て牧場経営を成功させた。
小野田氏は昨年1月永眠、まさしく偉人といえる。
戦前、東条英機の戦争案に賛成し、A級戦犯となりながら
米国に魂を売って放免になり、その後総理になった売国奴とえらい違い。
「三菱重工ビル爆破事件」
8月30日午後0時45分、東京・丸の内の三菱重工本社正面入り口わきで紙包みが大爆発。
爆風と飛び散ったガラスやコンクリートの破片で8人が死亡、759人が重軽傷を負った。
死傷者の大半は雨あられのように降り注ぐガラス片による通行人だった。
「東アジア反日武装戦線『狼』」と名乗るグループによる犯行。
その後、一連の企業爆破事件へとつながった。
犯人グループは、爆破時刻の8分前に、三菱重工ビル管理室に予告電話をかけていた。
道路や道路に面したビル内の人間を避難させるように繰り返し言ったのに、
電話応対した人がイタ電と勘違いして途中で電話を切ってしまい、
犯人は再度電話をかけ直しするも、また通話中に一方的に電話を切られてしまった。
犯人は会社の受付に電話し、交換手が最後まで爆破通告を聞いたのは爆発4分前で、
被害者を拡大させてしまった。
「幸福行き切符が大流行」
北海道広尾線「幸福駅」の入場券や、
幸福駅までの乗車券が全国的に爆発的なブームになった。
当時は私も持っていたけど、周りはみんな持っていたはず。
1973年3月のNHKの紀行番組「新日本紀行」で、
「幸福への旅~帯広~」として紹介されたことから
一気に知名度が全国区となった。
幸福駅の周りの駅は、このブームに便乗しようと
相次いで幸福駅までの乗車券を増刷、
幸福駅付近の商店まで幸福駅の入場券の販売をするようになった。
幸福駅から2つ帯広駅寄りに愛国駅があり、「愛国駅ー幸福駅」の乗車券が
「愛国から幸福ゆき」という爆発的な人気になった。
私が持っていたのは、初期の幸福駅入場券だけど、
どうやって入手したのか覚えていない。
1974年のブームのピークには「愛の国から幸福へ」(歌:芹洋子)まで登場。
前年(1973年2月まで)には年に7枚前後しか売れなかった「愛国 - 幸福間」の切符が
1974年には300万枚、1973年~1976年の4年間で1000万枚も売れたという。
そういえば、郵送も引き受けていたよね。
幸福駅には、観光客が多数訪れるようになり、
待合室の内外に利用者が名刺や千社札(せんじゃふだ)、使用済みの定期券などを
記念に残すようになったのもこの時から、といわれている。
このブームも広尾線全体の営業改善にはあまり結びつかず、
最末期は一日片道6本という同線の便数の少なさもあって、
この駅を訪れる観光客も、国鉄を利用せず
観光バスやレンタカーを利用することが多く、
同線は1987年(昭和62年)廃止となった。
ブームから8年後の1981年度(昭和56年)の1日乗降客数は13人、
一気に盛り上がって、一気に冷めたってことだね。
「紅茶きのこが大流行」
紅茶や緑茶などに砂糖を加え、
ゲル状の乳酸菌の一種を入れて発酵させたキモい飲み物が大流行した。
私も持っていたし、飲んだこともある。
持っていないとか、飲んだことがないなんていうのは
流行遅れというより非国民的な感じだったよね。
信じて信じて飲むほどご利益(りやく)にかなって効いて、
疑って飲むと効かないどころか副作用が出るという典型の
健康ブームの走りだったよね。
ビンに詰めた茶色の液体、その中に、クラゲのように浮かんだキノコ傘、
それでいてちっとも美味しくない。
これも一気にブームが去ったよね。
若い人は母親に聞いてみて、知ってるはずだよ。
「上野動物園の「おサルの電車」が、動物虐待との抗議を受けて廃止」
昔は、こういうの多かったんだよ。
私は「おサルの電車」って、サルがホントに運転操作してるって信じていた。
実際には、先頭車両の上にサルが乗っていて、
ハンドルっぽいのを持ってよそ見してるだけなんだよね。
子供ながら、つまらんって思ったものさ。
横やりが入って辞めたとしても、しょうがないよね。
「ドリフターズの荒井注が脱退し志村けんが入った」
志村けんというと、今や芸能界の大御所だけど、
当時はドリフの付き人だった。
ドリフターズも子供相手にずいぶん頑張っていたけど、
高齢化して、ネタもスイカを投げるとか、ストリッパーを演じるとか
つまらなくなっていたよね。
仲本工事の両親は沖縄から上京し、彼は東京市渋谷区出身。
都立青山高校では300人中7番目の秀才で、当時体操では東京都で2位と活躍し、
学習院大学政治経済学部を卒業している。
外見では人は判断できないよね。
「巨人軍は永久に不滅です(長島茂雄)」
1974年10月14日、巨人の長島茂雄が後楽園球場で引退試合。
試合後の長島の挨拶で
「私はきょう引退をいたしますが、わが巨人軍は永久に不滅です」
と語り、17年間の選手生活を終えて現役を引退。
グラウンドを1周してファンに別れを告げた。
当時の長島は国民的人気がありTV中継、私も観たよ。
同年11月、巨人軍の監督は、川上哲治から長島茂雄が新監督に。
でも勝率は良くなかったよね。
「かもめのジョナサン」
Jonathan Livingston Seagull(リチャード・バック)の小説を
五木寛之訳でベストセラー。
他のカモメたちが餌をとるためにしか飛ばないのに対して、
飛ぶという行為自体に価値を見出し、食事をするのも忘れて
どこまで低速で飛べるか、どこまで高速で飛べるかを試し、
「骨と羽根だけ」のボロボロの状態になるが、呆れて注意する母に
「自分が空で出来ることは何で、出来ないことは何かを知りたい」
と話し、仲間から変り者扱い。
群れの会議に呼び出され長老から
「カモメはただ餌を食べ可能な限り長生きするために生まれてきた」
と叱責され、群れから追放されてしまう。それでも
「生きることの意味や、より高い目的を発見するカモメこそ責任感がある」
と、信念を貫き通すうちに、2羽の光り輝くカモメが現れる…。
という、ただ流されず、生きる目的、意義を持つべき、という小説。
もちろん、私も読んだよ。
「ノストラダムスの大予言(五島勉)」
1999年7の月に恐怖の大王が来る、といって、
それが核ミサイルの撃ち合いの世界戦争だといって、
人類が滅亡するとあおり、大ベストセラーになったけど、
結局うそっぱちだったよね。
私も、このシリーズ本、2冊買ったんだよね。
1974年は、アニメでは「宇宙戦艦ヤマト(日本テレビ)」が始まり、
邦画では「砂の器(原作・松本清張、出演丹波哲郎、加藤剛、森田健作、島田陽子)」
洋画では「スティング(米)」、「エクソシスト(米)」がヒットした。
邦楽では
結婚するって本当ですか(ダ・カーポ)」
これ、大好きだった。
同棲していた恋人同士が、ちょっとしたことでケンカになり、
彼女は実家に戻った。
彼女は一時的な冷却期間ととらえて、復縁を願っている矢先、
別れて半年後に彼から他の女性と結婚するという手紙が届く。
赤い公衆電話の前で立ち止まり、 彼と話したいことは一杯あるけど電話は出来ない。
彼に未練一杯だけど、彼の幸せを祈る彼女…、
哀しい歌だけど、名曲。
動画見れなくなったら、もし聴きたければYOUTUBEで検索して。
TVドラマ「傷だらけの天使」のあらすじを書くのを忘れていた。
番組では、冒頭、萩原健一がドアップで、コンビーフ缶を開けて、
コンビーフと、こぶし大のトマトにかぶりつき、
180ccの牛乳瓶の紙蓋(かみぶた)を
右手人差し指で豪快に開けてゴクゴクと飲む、
いわば野武士のような下品な食べ方をしていて、
最初は抵抗あったけど、マネしたくなったことがある。
あらすじは、
探偵事務所調査員が事務所の
木暮修(萩原健一)と乾亨(いぬいあきら、水谷豊)が
探偵事務所「綾部情報社」の調査員で、
女社長の命令で、政治家や会社社長に依頼された裏工作をこなしていく、
というSTORY。
亨(あきら)は、リーゼントで頭にはポマードをべったりつけ、
皮ジャンかスカジャンをいつも着用。
ズボンのポケットに両手を突っ込んで、
修に「兄貴ぃ~!」と何度も呼ぶのが印象的で愛らしい。
最終回では、高飛びしようとする修に見放され、
風邪をこじらせて肺炎にかかり、孤独死。
修に一輪車に乗せられ、
東京湾の埋め立て地・夢の島(ゴミの島)に捨てられてしまう、
という悲しい結末だったね。
ま、覚えてる人も少ないか…。