ハイサイ、RIN(凛)ですニコニコ
【円窓(えんそう)で悟りを開いたRIN(凛)君】

「GOD」を並び替えると「DOG」になる。
ということは犬神、つまり「犬は神」ということになる。
RIN(凛)君は、時にサタン化するけど、
キリスト教神学でのサタンは、
「かつては神に仕える御使いだったのが堕天使となり、
ついには地獄の長・悪魔になった」
というのだから、
信長に謀反を起こした明智光秀はサタンということになるだろうし、
実の親を追放した武田信玄や
豊臣五大老でありながら豊臣を滅ぼした徳川家康だってサタンということになる。
広義の意味では、サタンは
神の御使いの中のチンピラ、ワルといってもいいんじゃないかな。
【この土管は雨水を流すための専用なので、汚くはないはず】

大映の映画「大魔神」だって、
埴輪の武人の姿をした巨神「阿羅羯磨(あらかつま)」が、
腐敗した権力者に激怒して、埴輪然とした無表情から一転、
両腕を顔の前で交差させると憤怒の形相の魔神に変身してしまい、
ホントは神なのに、魔人に変身して
大勢の悪い人間たちを残酷に殺しまくってしまう。
その後、魔神は元の神に戻るのだけど、
なんかご都合主義のめでたしめでたしで違和感があったよね。
【あちこち探し回って見つからないと思ったら、こんなとこで涼んでいたんだよね】

なので、サタンだって改心さえすれば、
立派な神の御使いに復帰できるチャンスだってあるはずだ。
女子プロレスでいえば、ヒール軍団の
ダンプ松本やアジャ・コング、ブル中野といった面々が
神社の巫女に転職するようなものさ~。
なので、RIN(凛)君が時にサタンに憑依されて暴れまくるのも、
神の化身と思えば、ガマン出来ないこともないし、
RIN(凛)君は神の使いとして、私を試しているに違いないのだから、
RIN(凛)君がサタン化してる時は、
「もう、いいかげんにして!!」
と怒鳴りつけるのではなく、むしろ
「ありがたや、ありがたや」
と、手をすり合わせて唱えていないといけないんだね。
【後光が差してるようで、お釈迦様みたいなRIN(凛)君】

高僧が揮毫(きごう)、つまり毛筆で半紙に文字や絵を描くのに
一筆で「○」を描くことがよくある。
その「○」は「円相(えんそう)」とよばれる。
円は限りなく循環し続けるので、
円相は「欠けることのない絶対の真理」とか、
始まりも終わりもない○は、「宇宙そのもの」を表すともいわれている。
また、○=円相は「円窓」とも書き「心を写す窓」といわれている。
【円窓の向こうは枯山水じゃなくて枯れ地だよ~】

私の中学校の修学旅行では京都や奈良だったから、
寺社仏閣見学が中心だったけど、
その当時は、今みたいな寺社仏閣や歴史、農学、
漢詩、哲学などにはまったく興味がなく、
無知で無学のバレーボール命という体力女子で、
修学旅行ではあちこち市中引き回しの刑のようにバスで移動し、
あちこちの著名な神社仏閣に行ったのに、
当時の私には「犬に念仏猫に経(きょう)」、
ずいぶんもったいない時間を浪費してしまった。
当時は図書館にも無縁だったし、夏休みや冬休みの宿題だって
最後の日の夜になってから、家族総動員で罵倒に耐えて仕上げていたんだよ。
まあ、その当時お脳を使わなかったから、
今ごろになって少し冴えているのかもね。
【土管の中を行ったり来たり、繰り返すRIN(凛)君】

修学旅行の京都では源光庵(げんこうあん)にも行ったんだよね。
源光庵は1346年、鎌倉幕府の足利尊氏が将軍の時代に
大徳寺の徹翁国師(てっとうこくし)が
隠居所として建てたことが始まりの臨済宗大徳寺派の寺院で、
ここの本堂北側には有名な円窓、四角窓が並んでいた。
見学当時は「フ~ン、これがなにか?」としか思わなかったね、
本当にもったいないことをした。
今だったら、1時間でも2時間でも平穏に見れそうな気がするのに。
【後ろ姿は仔犬っぽく見えるよね~】

円窓は悟りの窓、四角窓は仏教における生老病死の四苦八苦、
いわば迷いや苦しみの窓で、
仏教の二つの両極端の心理を対照させ、
自分と向き合うために意図的に設けられている。
窓の向こうには、お約束の枯山水(かれさんすい)の日本庭園が見える。
本堂の天井には、有名な血天井もあったね。
これも修学旅行当時は見たのに…、
「フ~ン、次どこ行くの?」としか思わなかったんだよね…。
【悟りを開いて、向こう側に出てしまうRIN(凛)君】

血天井とは、簡単に言えば
「1600年(慶長5年)伏見桃山城で、
石田三成に破れた徳川家康の重臣・鳥居元忠らが自刃した時の血染めの床板」
なんだけど、鳥居元忠がどういう人物なのか、とか
関ヶ原の戦いの序盤の大事な場面なので、時代背景とか経緯などの解説を。
こういう話が嫌いな方は、次の画像まで飛ばして下さい。
私のブログは、こういったダラダラ系なので、
興味ない話はどんどん飛ばして下さい。
【私は土管の中に入りたくないから、こういう時は困ってしまうんだよね】

1598年に秀吉が亡くなり、朝鮮半島に攻め込んだ朝鮮出兵など
戦乱の時代はまだまだ継続されていて、
・徳川家康
・前田利家
・毛利輝元
・宇喜多秀家
・上杉景勝
の「豊臣五大老」が政(まつりごと)を運営することになっていたのに、
実際の政務は、
・石田三成(秀吉側近の官僚で武勲はない、かなりの嫌われ者。今でいえば政務官)
・増田長盛(ましたながもり、甲賀忍者で武将というより能吏、諜報が得意)
・浅野長政(三男・長重のひ孫、つまり長政のやしゃごが赤穂浪士事件の長矩)
・前田玄以(まえだげんい、僧侶で武将、典故の才)
・長束正家(ながつかまさいえ、武勲や武運はなく豊臣家の単なる真面目な経理部長)
の「豊臣五奉行」が取り仕切っていた。
琉球犬、沖縄、コーヒー栽培 【現世に戻って来たRIN(凛)君、おかえりなさい!】

秀吉の死後、家康が来るべき覇権の争いの下準備として、
五大老や五奉行に相談することなく婚姻や知行の斡旋などを独断で決めたり、
挑発や揺さぶりなどをするようになり、三成と対立。
五大老 の NO.2 、秀吉の盟友で人徳のある前田利家が、
秀吉の死からわずか半年後に亡くなり、トラブルの仲裁役が不在になった。
三成を中心とする官僚派(文治派)と、合戦で戦う武断派で内部対立が激化、
これが関ヶ原の戦いの主因となっていく。
琉球犬、沖縄、コーヒー栽培 【今朝は小一時間スコールが降った。土管から勢いよく飛び出すRIN(凛)君】

武断派の加藤清正、黒田長政、細川忠興、福島正則、
藤堂高虎、加藤嘉明、浅野幸長の名将7名が結託して
三成暗殺未遂事件を起こし、
三成は家康に仲裁を頼み、以降家康は大阪城で政務を指揮するようになる。
その後、前田利家の後継・前田利長と五奉行 の浅野長政が結託し、
家康暗殺計画が露呈され、浅野長政は失脚。
家康は、計画を主導したという「前田家を討伐する」と出陣の準備に入る。
これ、おそらくヌレギヌというか事件は徳川方のでっち上げだろうね。
この騒動では前田利家 の妻まつ(芳春院)が、自ら徳川家に人質になりに行き、
前田家が徳川家に従う姿勢を見せたため、騒動は回避された。
琉球犬、沖縄、コーヒー栽培 【スコールの後は、一転して快晴になりました!】

1600年の正月には、家康は、全国の諸大名に年賀の挨拶を求めたが、
五大老の上杉景勝だけは断ってしまう。
この前年から 上杉家は各地の浪人を大量に集めたり
前田慶次、山上道及、反町大膳、才道二、北爪大学など札付きの戦争屋を雇ったり
軍備の増強を進め、交通網の整備や領内の城の防備も固めたり、
戦争準備をしているという噂が拡散していた。
家康がこれらの件について釈明せい、と書状を出すと、
景勝の側近・直江兼続が
山本リンダの「どうにもとまらない」の歌詞「噂を信じちゃいけないよ」に加え
「自分だって勝手に婚姻の斡旋などをしていたくせに、
イチャモンつけるなんておかしい」
「前田家をお仕置きしたらしいけど、大層なご威光だね」
「いらぬ噂を真に受けて上杉家に汚名を着せようというのなら、
いつでも兵を出して出迎えてやるから、かかって来たらいいさ」
という挑戦状を、すでに天下を掌握しつつある家康に叩きつけた(直江状)。
この直江状については、景勝が家康のワナにはまったとか、
上杉家と三成がすでに連携していて
家康を誘い出すために挑発したとか、諸説あるものの、
この直江状が関ヶ原の戦いの引き金になったことは確か。
【狂ったように猛烈に穴を掘るRIN(凛)君】

家康 は「上杉家を討伐する」と、大軍を率いて出陣することになった。
大阪城には徳川派が一時的に不在になり、
三成は名将の誉れ高い大谷吉継(皮膚がただれるハンセン病を患う、

当時は不治の病)や五奉行の増田長盛、豊臣家の重臣で三成の友人・小西行長、
五大老毛利家の家臣の僧侶・安国寺恵瓊(あんこくじ えけい)などと
家康打倒の計画を立案し、1600年7月、三成 は「徳川討伐」の挙兵を宣言、
「内府ちかひの条々」を交付して諸国の大名に集結を呼びかけた。
「内府」とは家康のことで、「ちかひ」とは「誓い」ではなく 「違い」、
つまり「家康は間違っている」という意味。
内容は、家康 が勝手に婚姻や知行(領地)の斡旋を行ったとか、
無実の前田家や上杉家を攻撃しようとしたとか、
家康の悪口ざんまいと、その罪状、家康討伐の正当性を訴えた檄文(げきぶん)。

【重機にマーキングするRIN(凛)君】

三成は、五大老の毛利輝元(毛利元就の孫)を総大将として軍勢を整え、
関所を封鎖して西側の大名家が徳川軍に参加できないようにし、
さらに大阪城内にいる東軍の武将の家族を人質に取って、戦闘体制を整えた。
その翌日、徳川軍の駐留部隊がいる京都の伏見城を総攻撃した。
伏見城には徳川家の重臣・鳥居元忠ら、1800の兵と鉄砲200丁があった。
【子犬軍団の住む小山も切り開かれて、子犬たちも安住ではなくなってきたね】

鳥居元忠は、この伏見城で亡くなってしまうので有名ではないけど、
1545年、尾張の織田信秀(信長の父)が三河に侵攻、
三河の松平広忠は今川義元を頼り、
嫡男・竹千代(後の家康、当時2歳)を人質として駿府に送る。
この6年後、13歳になった鳥居元忠は駿府で、竹千代の近侍になっているから、
家康と鳥居元忠は、深い信頼関係にあったのは明白。
桶狭間で信長が今川義元を破ると、松平元康(=竹千代=家康)は今川家から独立。
家康は三河を統一すると、その後の家康の戦では
三河武士として大活躍をして武勲を立てて行くのだけど、
褒美を受け取らないのでも有名だった。
「褒美は、信頼関係が乏しい人にこそ与えるべきだ」
と。
【長い朝散歩の途中で休憩するRIN(凛)君、ご機嫌みたいだね】

家康は、自分が上杉家討伐に出陣している時に、
三成が挙兵したら、わずかな兵しかいない伏見城を攻撃するはず、と予想したうえで
忠臣・鳥居元忠を伏見城に残した。
鳥居元忠は家康に
「この城には自分と松平近正の二人だけで十分、
兵は一人でも多く城から連れ出してほしい」
と進言し、家康と鳥居元忠は深夜まで酒を酌み交わして
別れをしのんだと伝えられている。
【オコエ選手やサニブラウン選手のように俊敏なRIN(凛)君】

家康が奥州を目指すと、三成は宇喜多秀家を総大将として
4万の大軍が伏見城を包囲するも、約2週間近く陥落できない。
五奉行・長束正家が伏見城内の甲賀衆の妻子一族を捕縛したため、
甲賀衆が伏見城に火を放ち、伏見城は炎上、落城してしまう。
鳥居元忠ら多くの家臣が城内で切腹した。
約300人が自刃後、約2ヶ月も、そのまま放置されていたらしい。
【国頭マージの赤土だと、RIN(凛)君はカメレオンみたいに擬態してるみたいだよね】

関ヶ原の戦いを制した家康は、血染めの畳は鳥居元忠の忠義を称える形で、
江戸城・伏見櫓(やぐら)の階上に設置している。
明治維新に、勝海舟と西郷隆盛により江戸城明け渡しになった際、
その血染めの畳は栃木県下都賀郡の精忠神社脇に埋められて供養されている。
伏見城内の血染めの床板は「血天井」として、
京都の源光庵だけでなく、養源院、宝泉院、正伝寺、
宇治市の興聖寺の天井に使われ、供養されている。
長々と書いたけど、単なる「血天井」なんだけど、
「されど血天井」、どういう曰く付きがあるのか
知っているのと知らないのとでは、その価値観も違うだろうし、
無念の思いで切腹した人たちの生き様を少しでも知ってあげることが
供養になるんじゃないかな、と思う。
【太平洋側の景観地を勝手に進むRIN(凛)君、崖から落ちちゃうよ~!】

円窓は、鎌倉の、アジサイ寺で有名な明月院(めいげついん)の本堂にもある。
私が東京在住時には、JR横須賀線で鎌倉には何度も行ったので、
明月院にも5~6回は行っていると思う。
私が鎌倉に行った頃は20年以上前のことだから、
今のように6月のアジサイの開花シーズンに、
北鎌倉駅あたりから行列するとか入場規制になるという大混雑はなく、
午前中早めに行けば、ゆっくり落ち着いて観賞出来た。
鎌倉三大アジサイ名所は明月院、長谷寺、成就院なので、
アジサイ観賞が目的なら、大混雑の明月院は避けるのも手だよね。
【2000坪以上の放牧場跡、重機で開拓して何か植えるのかな?】

平成25年の鎌倉の延入込観光客数は 2,308万人、平成24年は1,974万人、
年間約2000万人が鎌倉を訪れる。
この1割が明月院に行くと仮定すると、年間200万人の入場者数が見込める。
明月院の拝観料は、通常300円、アジサイ時期は500円に跳ね上がり、
本堂後庭園の入場にはさらに500円が必要という、ボッタクリ営業。
拝観料平均を500円と仮定すると、年間200万人だと10億円。
神社仏閣の拝観料は、一般的には入場料というより、
宗教上の「お賽銭」とか「喜捨金」としての性格のものなので、
お布施、戒名料、玉串料等の葬儀、法要等に伴う収入と同様に、
宗教活動に伴う費用ということで課税売上とされていない。
(おみくじやお守りは営業収益なので課税対象)
私は凡人なので、僧侶ビジネスマンの寺業計画みたいな
「坊主丸儲けなんじゃないの?」
と思ってしまう。
まさか織田無道のようにフェラーリやランボルギーニは買ってないと思うけどさ。
明月院では、アジサイ時期以外にも集客を増やそうと、
ハナショウブや鎌倉に多いイワタバコの花も植え出しているらしい。
なんか経文を読むより、そろばんを弾いているようでイヤ~な感じ。
しまいに、保育園経営とかレストラン併設とか、やらないでよ~。
【悟りを開いて清々しい顔で出て来たRIN(凛)君】

この明月院の本堂入口には、
「照顧脚下(しょうこきゃっか)」の札が掲げられている。
学校であれば、
「自分の足元を良く見なさい」
「靴をきちんと揃えたか見直しなさい」
ということだろうけど、ここは臨済宗派のお寺だから、もっと奥が深く、
「自分の立っている処、脚下をよくかえりみなさい」
「現在を大切に生きなさい」
と説いているらしい。
【夕方米軍ヘリがバリバリ爆音を鳴らして東へ。救援ヘリだね。最近空軍の演習が多い】

円窓の「円」の同音に、「縁」がある。
私たちは、縁によって人生を歩み、縁によって成長している。
自分にとって良いと思う縁、悪いと思う縁があり、
それは、前世からの因縁で、
「現在の自分に一生のうちに出会う人は前世より決められている」
というのが仏教でいう「仏縁」。
なので、逢うべき人と出逢い、出会うべき人と出会う。
それは必然であって偶然ではない、だから「一期一会」を大事にしなさい、と。
私は寺社仏閣に行ったり、年始には初詣に行ったりするけど、
仏教徒ではないし、はっきりいえば無宗教。
実家が浄土真宗派だったので、葬儀では一応「南無阿弥陀仏」と唱える。
私が住む山原(やんばる)では、自然の中で生活しているので、
「人間は自然によって生かされている」
「自然は私たちに恵みを与えてくれるけど、時には恐怖も与えられる」
といった、自然崇拝の方が気持ちが傾いてしまう。
【県道70号線の中央を堂々と闊歩するRIN(凛)君】

RIN(凛)君が土管の中に入る姿を見て、
円窓の他に、もうひとつ思い出したことがある。
私が中学生の頃だったかな、アメリカのSFーTVドラマで
「タイムトンネル」というのがあった。
アリゾナ砂漠の地下に、膨大な国家予算を投入した科学センターに
「タイムトンネル」が作られ、過去や未来に人間を送ることが出来る、
いわば時空間旅行が可能な装置なんだけど、
旅行者を転送する年代や回収の制御が困難で未完成の状態、
そういう状況下で、若い技師がトンネルに入り、
それを追いかけてもう1人の科学者が入って、
この2人が現在に戻れず過去と未来をさまよう放浪者になるという設定。
【県道70号線の側溝、希少動物が落ちた時に自力で上がるという階段。でもまた落ちるはず】

タイタニック号とか、カスター将軍の最後、真珠湾攻撃の前夜、アラモの砦、
リンカーン暗殺、古代ギリシャやローマ帝国、恐竜など
歴史の有名な場面に現れて、歴史の当事者を説得したり、
ハラハラドキドキの危険な場面になると、
時代が変わるご都合主義の内容だったけど、毎週楽しみだったよ。
結局、二人は現在に帰還できずにドラマは終了したはず。
この「タイムトンネル」も懐かしく想い出した。
RIN(凛)君、ありがとう!
それより、ここまで全部読んだ人っているの?
ダラダラ長くてごめんね!
【円窓に何度も入って、サタン化が減ればいいけどね~】