ハイサイ、RIN(凛)ですニコニコ
【道の真ん中を悪びれずに堂々と歩くRIN(凛)君】

最近のRIN(凛)の散歩に要する時間が長くなってきていて、
今朝だけでも90分、昨夕なんか2時間散歩。
徐々に散歩時間が長くなって、この先が心配。
RIN(凛)からしたら、私はお供の付添人に過ぎない。
RIN(凛)はまだ仔犬だから、いわば終日ベビーシッターのようなもの。
今朝は、林道を東に降りて、太平洋沿岸の県道70号線に出た。
連休期間中なので車の通行量が幾分多いかと心配したけど、
山原(やんばる)の秘境地に早朝やって来る観光客なんてまずいないし、
地元の人たちは仕事が休みで早朝の外出もなく、
どこかの工事の大型ダンプと畜産飼料運搬車の2台だけしか通らなかった。
ということは、片側1車線の県道は、RIN(凛)君にとっては
「単なる広い道」
でしかない。
なのでRIN(凛)君は、追い越し禁止の中央線付近、
つまり道路の真ん中を堂々と闊歩(かっぽ)してしまうのも当然のこと。
私は出来る限り、左か右の端を歩いてしまうクセ、
というか半世紀も前に、小学校で
「道路の端を歩け」
という教えによる習慣で、日本人の小学生以上であれば
ふつう誰でもそういう意識を持っているはずだ。
今春12歳で天寿を全うしたラブラドール・レトリーバーのRIU(琉)君も
道路を散歩する時は、堂々と道の真ん中を歩きたがっていた。
犬は道路交通法は知らないのだから、
車が来ない道路の端を歩くなんて、せせこましいと思っているに違いない。
そう考えると、道路って何のためにあるんだろうね?
車が通るための道?人は道路を歩くとジャマ?
【RIN(凛)君が道の端を歩くのは、気まぐれの一時的なもの】

道路や車道の路端寄りに引かれている白い実線(区画線)のことを
「車道外側線(しゃどうがいそくせん)」
といい、
車道外側線は、車両が道路を通行するときに、
車両が端に寄りすぎると危ないから、この線より右側を通ってくださいね、
というような目安を示すこと目的とする区画線で、
道路交通法第2条第1項3の4
路側帯 
「歩行者の通行の用に供し、又は車道の効用を保つため、
歩道の設けられていない道路又は道路の歩道の設けられていない側の
路端寄りに設けられた帯状の道路の部分で、
道路標示によって区画されたものをいう。」
県道70号線の片側1車線道路では、道路の端に白い実線(区画線)があり、
道端は約50cmほどあり、歩道はない。
つまり、県道70号線では、この約50cm部分を、人が歩いていいということになる。
私は一応人間なので、この法律に基づいた教育を受けたことで、
ついつい道路の端を歩いてしまうのだけど、
RIN(凛)君からすると、
「車がほとんど来ない道の、どこを歩こうが勝手でしょ?」
と思うのも一理ある。
車が来ない道路の端を歩くのは、なんか変な気分になる。
それで、ついついRIN(凛)君につられて、私も道路の真ん中を歩くと、
それは実にすがすがしい気分に浸れて、ニヤついてしまう。
【道路中央付近で止まったり、寝転んだりすることも度々あるRIN(凛)君】

「横断歩道を渡る時は、手を上げて」
なんてことも、幼稚園や小学校低学年では教えている。
けど、小学生の高学年以降になると、99%以上の人は手を上げないはず。
東京の渋谷駅前のスクランブル交差点でも、
横断時に手を上げる人なんて、ひとりもいないはずだ。
もしいたら、今どき変質者と思われて職質を受けてしまうかもしれない。
【車が近づく気配を感じると、「しょうがないな」と、ゆっくりと端に向かうRIN(凛)君】

横断歩道を渡る時に手をあげるべき理由は、
幼稚園児や小学校低学年児では身長が低くて、車両の運転手から見にくいとか
「これから横断するよ」という合図だとか、
止まってもらった車両の運転者に「停止してくれて、ありがとう」という
お礼の意味でもある、とかいろいろいわれるけど、
幼稚園児や小学校低学年児も、横断歩道で誰も手を上げていないとか、
あるいは横断歩道ではない道路を勝手に横断してしまったり、
中には信号が赤なのに、車が来ないので
横断歩道を渡ってしまう悪しき大人たちを見たりするうちに、
「なんだ、わざわざ手を上げるなんてしなくていいのか」
となってしまうのだ。
私にも半世紀くらい前には、横断歩道を渡る時に
手を上げたことがあったような記憶がある。
第一、幼稚園児や小学校低学年児に「手を上げる」教育をしている先生や警察官だって、日常の生活の中で、横断歩道で手を上げて渡っているかというと
そんなことしてないに決まっている。
【ヤンバルでは生類憐みの令で人間よりヤンバルクイナ様の地位が高い】

RIN(凛)君は3月14日のホワイトデーから我が家の家族に参入したけど、
外は蚊が多いので室内飼いになっている。
RIN(凛)君は与那原(よなばる)町の新垣先生宅では、
広大な庭の鳥小屋の下で、母犬と寝起きしていたというから、
RIN(凛)君にとっては、我が家は巨大な犬舎であり、
シェアハウスに引っ越したような感覚なのかもしれない。
ということは、私はRIN(凛)君の義母であり専属家政婦ということになり、
「私はRIN(凛)君の犬小屋で暮らしている」
ということになる。
RIN(凛)君の立場から物事を考えると、なかなか気づかされることが多い。
【工事現場の海砂の山を崩して、ご満悦のRIN(凛)君】