
夕方、バナナ園の作業中に、
バタバタバタバタ…というヘリの大音量が聞こえました。
ヘリや戦闘機、オスプレイの騒音には慣れていますが、
いつもよりかなり近くを飛んでいるのが、その大音量から判りました。
我が家の近くには、国頭村と東村にまたがる米軍の北部訓練場があります。
新基地建設予定地の辺野古はキャンプシュワブといって、
名護市と宜野座村にまたがるエリアなので、北部訓練場とは、また別で離れています。
沖縄における米軍基地の面積は、沖縄本島の18%、約2割を占めています。
北部訓練場は、ひと言でいえば、アメリカ海兵隊の実戦訓練基地ですが、
陸軍や空軍、海軍が利用することもあるらしい。
専門家は軍服や装備などで海兵隊や陸軍などの識別が出来るのでしょうけど、
私たち一般人には識別は出来ないし、する気もなく、米軍というひとくくりで十分。
ここは、対ゲリラ訓練基地として活用され、
歩兵演習、ヘリコプター演習、脱出生還訓練、救命生存訓練、
砲兵基礎教練などが行われているようです。
パラシュート降下訓練も時々見れます。
ベトナム戦争(1960年~1975年)当時は、
ここでベトコンの攻撃訓練が行われ、
東村の近隣住民をベトナム人に扮させ(もちろん基地内の仕事として募集)、
ベトナム風の集落をわざわざ造り、集落での組織的攻撃や守備、
ベトコンなどの殺戮(さつりく)など、実戦さながらの演習が、
この北部訓練場で展開されたようです。
当時の演習では、東村の高江周辺などに枯葉剤の散布も行われていたようです。
北部演習場は、とにかく広い。
総面積約78.33km2、といっても、これだけではよくわからないですよね。
・63 km2 山手線の内側
・69.52 km2 八丈島
・70.7 km2 洞爺湖
・78.4 km2 支笏湖
・79.75 km2 屈斜路湖
東京ドーム(46755㎡)と比較すると約1675.3個に相当する、広大な区域で、
沖縄県における最大の軍事演習場なのです。
ちなみに、2700mの滑走路がある普天間基地の面積は約4.8km2なので、
北部訓練場は、普天間基地の約16.3倍。
東京国際空港の面積は15.22km2、大田区全体の面積のおよそ3分の1を占めていますが、
北部演習場は、東京国際空港の約5.2倍。
けっこう広いということがわかるでしょう。
北部演習場が近いこともあるし、沖縄県の制空権は米国に握られていることもあって、
オスプレイやヘリコプター、戦闘機などは、時々間近で見られます。
いいことじゃないけどね。
夕方見た2機のヘリコプターは、超低空で国頭村東沿岸を旋回していました。
低空なので、若い兵士の顔もはっきり見えたのですが、
兵士は機銃に手をかけているのです。
もちろん訓練場外なので実射はしませんが、
実弾が装着されているはずだから、
私が標的にされているようで、なんか薄気味悪い。
撃つなら撃ってみたらいいのさ~!
この機種は「HH-60 ペイブ・ホーク(HH-60 Pave Hawk)」
遭難した兵士や戦争地帯で孤立した人の救助などを目的とした、
米空軍のコンバット・レスキュー機で、
機銃は付いているものの攻撃ヘリではありません。
犬でいえば救助犬のセントバーナードみたいなもの。
このヘリは嘉手納基地所属の機種です。
昨年2014年8月5日、金武(きん)町や恩納(おんな)村にまたがるキャンプハンセンで、
このヘリが基地内で墜落炎上大破(乗員1名死亡)、
2013年8月にも、宜野座村のキャンプ・ハンセンで、この機種が墜落しています。
ちなみに、2004年8月13日午後2時過ぎ、普天間基地所属のヘリコプターが、
沖縄国際大学1号館北側に接触、墜落、炎上しましたが、
この機種は大型輸送ヘリCH-53Dでした。
沖縄の米軍基地には数種類のヘリがあり、
機種をみると、どこの米軍基地から飛来したかわかるのです。
こういうのにけっこう詳しい人が多く、ひと目見ただけで、機種や性能、定員、
航続距離、所属基地などをスラスラ言えるヲタクも近所にいます。
ヘリの墜落は8月が多い、暑いからかな。
2機のヘリは、我が家周辺を2周、上空30mくらいの低空で旋回したので、
あわててデジカメを取りに行ったのですが、
撮影できたのは、ヘリが中央山脈に消え去る直前の1枚だけでした。
デジカメは持ち歩いていないとダメですね。
ヘリ旋回中に、昔観た映画を想い出しました。
フランシス・フォード・コッポラ監督の1979年製作のアメリカ映画。
「地獄の黙示録」
内容はイマイチでしたが、
「殺さなければ殺される」
という、戦争で頭が病んでしまうことは理解できました。
ベトコンの前哨基地を襲撃する陸軍ヘリ部隊、
イカレた指揮官率いる9機の武装したUH-1ヘリ部隊が、
ワーグナーの「ワルキューレの騎行」を大音量で鳴らしながら、
敵の拠点である村落を攻撃していくシーンを想い出したのです。
PLAYBOY誌のグラビアモデルたちが戦地を慰問するシーンと、
この映画で覚えているのはこれくらいですが、
ヘリの若い兵士は私と目が合い、
私を撃つ気はないだろうけど、機銃に手をかけていたのは、
とても不愉快な気分です。