ハイサイ、RIN(凛)ですニコニコ


【葉っぱが松の葉に似て、花がボタンのようだから「マツバボタン」と名付けられました】



ターシャ・テューダーの「ターシャの庭」は、

一年中、花に囲まれた庭でのスローライフ。

ターシャは、まさに究極の自己満足の世界を創り上げたのですが、

私は、花だけではなくて、食べられるものも同時に作りたい。

五感で、自然を感じられる農園作りをしたいのです。

その割には、雑草も抜かない手抜き農法ですが、

ターシャのように、1年中、花が咲くようにしたいのです。

「花は見て美しい、安らぎがあり癒される」

という観賞目的もありますが、

ミツバチや昆虫、野鳥を呼び,

農産物や果樹の交配のお手伝いをしてほしいからです。

そういう考えで、タネを撒けば簡単に生えて、花が咲き、

花も綺麗な「マツバボタン(松葉牡丹)」は、

デリケートで弱々しいポピーより、私は多用します。


【沖縄では初春~夏までにタネ撒きすれば、6月~10月ごろまで花が楽しめます】



多肉質の細い葉っぱを茂らせながら、地面を這うように伸びる「マツバボタン」は、

原産地がブラジル、アルゼンチンあたり。

炎天下の中元気に咲くけど、花は昼前にしぼんでしまう。

「マツバボタン」は一年草だけど、花は一日花で、次々につぼみが開花する。

土壌も選ばず、乾燥に強いので、別名は「ヒデリソウ(日照草)」

挿し木で 簡単に殖やせるので、長らく彩ってくれる、「マツバボタン」は身近な花。

マツバボタン(松葉牡丹)は1日草、ハツカソ(ボタン、牡丹)は二十日草、

ジニアは百日草で、サルスベリは百日紅(ヒャクニチコウ)、

ダルマソウは千日紅(センニチコウ)、ハマユウは浜万年青(ハマオモト)…、

いろんなのがあるんだね~。


【自生するオキナワマツバボタン(沖縄松葉牡丹)、残念ながら今日は花が咲いてないね~】



オキナワマツバボタン(沖縄松葉牡丹)は、

南西諸島(奄美大島~沖縄諸島)固有種。海岸の石灰岩上に自生しています。

太平洋から直線距離で1kmの我が家の庭にも、

「オキナワマツバボタン」自生しています。

地下の根と地上茎が越冬する多年草で、直径約1cm程度の小さい黄色~橙黄色の花を


不定期に咲かせますが、

晴天の日の数時間しか開花しないので、目立たない。

環境省レッドリストの絶滅危惧II類(VU)に指定されているけど、なんでかね~?


【ターシャもいいけど、恵みに対する多謝(たしゃ)でありたいものです】



マツバボタン(松葉牡丹)というと、正岡子規の短歌を想い出します。

「庭もせに 昼照草の咲きみちて 上野の蝉(せみ)の 声しきるなり」

「庭狭しとばかりに昼照草がいっぱいに咲き満ちている。

上野の森には蝉(せみ)の声がしきりである」

「庭もせに」の「「せ」は「狭く」、「もせに」で「いっぱいに」という意味で、

「昼照草」はマツバボタン(松葉牡丹)」のことです。

当時の住居は夏目漱石の下宿で根岸、上野の森はすぐ近くでした。

この短歌を詠んだのは1898年(明治31年)8月、正岡子規が32歳の時です。

子規は、1895年(明治28年、29歳)に日清戦争に従軍(従軍記者)し、

中国から帰国途中で喀血、重体になり入院、

退院後は松山中学教員夏目金之助(漱石)の下宿で一時療養後、上京。

喀血したことから「鳴いて血を吐く」といわれるホトトギスと自分を重ね合わせ、

ホトトギスの漢字表記の「子規」を自分の俳号とします。

翌1896年(明治29年、30歳)結核菌が脊椎を冒し、

脊椎カリエスを発症していると診断され手術、以降臥床(がしょう)の日が多くなる。

1897年(明治30年、31歳)俳句雑誌「ホトトギス」を創刊し、

俳句分類や与謝蕪村などを研究、俳句の世界に大きく貢献。

漱石の下宿に同宿して過ごし、臥床(がしょう)のまま俳句会などを開く。

1898年(明治31年、32歳)2月~3月にかけて、

新聞に「歌よみに与ふる書」を10回連載。

この歌論は、短歌革新を目指し、万葉集や源実朝の金槐(きんかい)集を褒(ほ)め、

紀貫之(きのつらゆき)や古今集、桂園派を中心とした歌壇を批判し、

平安中期以降、綿々と続く形式にこだわらない、短歌の革新運動に着手する。

3月に新俳句を刊行し、そして8月、

「わが庭」と題した連作13首のなかの第1首目が、

前述のマツバボタン(松葉牡丹)の歌でした。

結核から来る脊椎カリエスで寝たきりの生活で苦しみながら、多くの作品を残し、

子規は、この4年後1902年(明治35年)36歳の若さで亡くなりました。


【6月25日(木曜)19時15分の北西の夕やみ】



マツバボタン(松葉牡丹)の花言葉は、

「可憐、可愛らしさ、にぎやか、無邪気、忍耐、温和」

おそらく南米だと思うけど、こんな伝説もあります。

昔 短気な青年がいて、ある暑い夏に、些細な事で喧嘩が始まりました。

青年は、相手にピストルを向けた瞬間、

つまづいて地面を見ると、松葉牡丹が笑いかけていた。

青年は、和やかな気持ちになり 穏やかになりました。

花言葉の忍耐や温和は、この青年の心理であり、

夏の暑さに耐えて、可愛らしく咲く、

そういうことが、花言葉の由来なのかもしれませんね。

マツバボタンの花をかきむしるRIN(凛)君には「温和」が必要さ~。

RIN(凛)君は、同じボタンでも唐獅子牡丹系じゃ、困るさ~ね~。


【またしても後光が差すRIN(凛)君、ホントにGODだったのかね~?】