ハイサイ、RIN(凛)ですニコニコ


【オジロシジミのメスです。とてもエレガントで小ぎれいな蝶。胴の白い縞模様が特長】



オジロシジミというのは、貝のシジミではなくて、南西諸島特有の蝶です。

シジミチョウ科の蝶は、

「シジミ貝の形に似た羽根の形から名付けられた」

というのですが、

何度見ても、どうも似てるようには思えない。

全世界に15,000~20,000種いる、といわれる蝶のうち、

シジミチョウは、その4割も占め、

南極大陸を除く全ての大陸に分布しているのだそうです。

それでも「オジロシジミ」は南西諸島特有の蝶らしい。

体長は15~25mmと小さい。

・1円硬貨 直径20mm

・5円硬貨 直径22mm

・10円硬貨 直径23.5mm

・100 円硬貨 直径22.6mm

ですから、だいたい100円硬貨以下の大きさです。

沖縄の蝶図鑑では、本種を「普通種」、

つまり「普通にどこでも見かけられる蝶」とされていて、

レッドデータなどの指定はないのですが、

「前は多かったけど、最近は見かけなくなった」

ような蝶なんじゃないかな。

「冬以外の、春~12月に成体が見られる」

とも図鑑に書いてありますが、

薄紫色で綺麗な蝶なので、けっこう目立つはずなのに、

私が気にかけてない、見落としてる、というより、実際あまり見かけないさ~。

こういう図鑑や、いろいろなダメ文献は、

オリジナルの研究内容よりコピペが多い、再編集もので、

現実離れしちゃってることも訂正されてないことが多く、

図鑑といっても、名前や識別は正しくても、

生態などは参考程度で見といた方が無難さ~ね~。

コピペに頼りすぎると、すでに絶滅した動植物や、

あるいは「雪男は実在した」なんて、SF誌から誤ってコピペするなんて

有り得るかもしれないさ~。

学者は、安易にコピペせず、自分が研究したことを堂々と書いてほしいものです。

「オジロシジミ」の「オジロ」は、

尾状突起が白いので「尾白」と命名したのだと思うのですが、

尾状突起は短かすぎて、白さは目立たない、

どころか、白いかどうかさえよく判らない。

蝶の研究家であれば、識別可能なんだろうけど、

素人の私では、名前の由来とか、他の蝶との識別方法、

オスとメスの違いなど、よくわからないことが多い。

素人にも、納得できる命名とかにしてほしい。

「オジロシジミ」と姿がそっくりの「ウラナミシジミ」という蝶も

マメ科植物のあたりを一緒に飛んでいることが多く、

100円以下の硬貨と同程度の大きさしかない、小さな蝶なので、

飛んでいる時には、どっちが「オジロシジミ」で

どっちが「ウラナミシジミ」なのか、という識別は出来ません。

今回は、たまたま、紫の度合いが強いのが

「ウラナミシジミ」のメスだと判っていたし、

画像の紋様の並び方と、胴に白い縞模様があることで

「ウラナミシジミ」のメスに間違いなさそうだ、と確信出来たのです。




紀元前300年頃、古代中国の戦国時代の宋の国(現在の河南省)に生まれた思想家で、

道教の始祖の1人とされる荘子(荘周)は、

書物としての「荘子」33篇を書き残しました。

そのうち最初の2篇、

「逍遥遊(しょうようゆう)」篇と「斉物(せいぶつ)論」篇が中核をなしていて、

「逍遥遊」篇は序論めいた内容なので、

人物としての「荘子」の思想を端的に表しているのは

「斉物論」篇ということになります。

この中に、

「胡蝶の夢(こちょうのゆめ)」

というのが出てきます。

うらうらとした春の日のことだった。

荘子はうつらうつらと夢を見ていた。

ふと気がつくと、自分がふらふらと胡蝶(蝶の美称)になっている。

胡蝶となって空を翔び、花から花を上から眺めて遊んでいる。

荘子は夢で胡蝶になったのです。

夢のなかでは胡蝶そのものが荘子となってひらひらと飛んでいる。

そのうち、その夢の中の胡蝶の目が覚めて、荘子はふたたび荘子自身に戻っている。

荘子がすぐに目をさましたのではない。

胡蝶がまず目を覚まし、そうしたら、荘子の目が覚めていた。

はたして荘子が胡蝶の夢を見ていたのか、

それとも胡蝶が荘子の夢を見たのであった、のか。

どちらともいえないし、そのどちらともいえるようで…。

という、禅問答のような説話です。

この説話は「無為自然」「一切斉同(せいどう)」といった

荘子の考え方がよく現れているものとして有名で、

荘子が他の説話で説いた

「是と非、生と死、大と小、美と醜、貴と賎」

などの、現実に相対しているように見えるものは、

人間の「知」が生み出した結果であり、

荘子はそれを「ただの見せかけに過ぎない」といっています。


【野山を駆けずり回り、満足して家路につくリトルサタンRIN(凛)君】



もともと夢を見るのは荘子は得意なようで、

33篇の「荘子」にも、夢の話が何度も出てきます。

例えば、荘子の先輩格の列子から聞いた話だと思うのですが、

ある宰相に仕えている下僕がいた。

その下僕は一刻も休む間もなく働き、夜にはぐったり疲れが出て毎晩夢を見る。

その夢では、自分が宰相になって、実際の宰相を下僕に使っている。

これでは下僕の白昼の労働の苛酷が本物だか、

夜陰の夢の日々の快楽が本物だか、よくわからない。

という、何だかよくわからない説話。

荘子は「それでいいではないか」というのです。

考えてみれば、私たちはいつだって夢うつつのようなもの。

誰かに会いたい、どこかに行きたい、夕食は美味しいものを食べたい、

いつかお金を儲けたい。出世したい…。

そう思っているときは、まさに夢うつつにいるだけなのかもしれない。

それが思想といったって、哲学といったって、芸術といったって、

結局は夢うつつの行ったり来たり、にほかならない。

思想も芸術も経済も、最初からあったわけがない。

どこかで誰かが夢うつつになった結果なのだ。

こういった、漠然とした考え方をには、世間からは

「夢うつつだなんて、いいですね」

と、言われるものの、

そこには侮蔑や軽視、いやみ、

あるいは「おバカさんなんだね」というあわれみが満ち溢れて、

「そんな甘っちょろい考えでは、世間に通用しないさ」

と、言われるのがオチ。

だけど荘子は、

「ちょっと待ちなさい。その夢うつつにこそ通用があるのさ」

というのだけど…。

なんか、荘子の良さがちっとも理解できない。

いちいち、禅問答のような哲学っぽい説話ばかりで、

強力な眠り薬が仕込まれているようで、

読んで理解しようと思うと、必ず睡魔に襲われるのさ~。


【ナガサキアゲハのメス。近畿以南、東南アジアに分布しているので、珍しくはないけど】



平安時代後期の公卿、儒学者・大江匡房(おおえのまさふさ)は、

「詞花和歌集」(しかわかしゅう)で、

「百(もも)とせの 花に宿りて過ぐしてき

この世は蝶(てふ)の 夢にぞ有りける」

と、詠み、

「蝶になって百年の間、花の上で遊んでいる夢をみた。

でも、自分が夢のなかで蝶になったのか、

蝶が夢をみて、いまの自分になっているのか疑心する」

という和歌や、

江戸時代になると、俳諧には胡蝶のイメージを使う句がかなり多くあり、

胡蝶のイメージはいつも「夢」、あるいは「眠」という共通点があり、

例えば、松永貞徳(貞門)の俳句、

「ちる花や 胡蝶の夢の 百年目」

「胡蝶の夢」とは、夢と現実が、釈然としないことや、はかない夢を意味し、

「胡蝶の夢の百年目」

は、

「そんな夢のような人生が終わる百年目」

「晩年に人生を振り返って、夢のようだったと思うこと」

「死期が近いことを覚って、今までの無駄に過ごした人生を後悔すること」

という、人生のはかなさをいうそうです。


【オオスカシバ。うぐいす色で胴体が太く、透明の翅。蜂みたいだけど蛾です】



ちなみに、「胡蝶」の「胡(こ)」は、

漢民族が、中国の北部や西部の異民族(とくに遊牧民族)を

卑しんで呼んだ言葉だったり、

「西胡」を「胡」とする場合もあります。

紀元前5世紀頃,現在のイラン北部付近の地に栄え、シルクロードを支配した、

西方のペルシャ系民族(ソグド人)の国。

中国から遠い「胡」は、胡弓の幽玄な音色のように

ミステリアスな異文化国として知られ、

「胡」から、トルキスタン(中央アジア、現在の新疆(しんきょう)ウイグル自治区)の

シルクロードを通って中国に運んだ文物、風俗は「胡風趣味」として愛好され、

胡麻【ゴマ),胡瓜(キュウリ)、胡豆¥8ことう=エンドウ)胡服、胡笛、胡舞など

「胡」のつく様々なものが中国で一文化として根付き、

胡麻の原産地はマレーシアのサンダ諸島、

胡瓜はインドのヒマラヤ山脈南麓、胡豆は西南アジアから北アフリカ。

漢代の海路貿易はそれほど発達していなかったので、

どれもシルクロード経由で中国に入った可能性が一番高い。

それらが、やがて中国や朝鮮半島から日本に入ってきたのです。

中韓の反日の根幹には、こういった

「古来、文物や文化を教えてやった恩を忘れたのか」

という、「誰のおかげで」的な基本的な考え方があるのかもしれない。

だとするなら、中国は親、韓国が兄で、弟が日本という構図になり、

「弟が親や兄に盾突くとは何ごとだ」

という、歪んだ考えが根幹にあるのかもしれないさ~ね~。