ハイサイ、RIN(凛)です
具志堅用高さんといえば、テレビタレントとして、
バラエティ番組に出演し、クイズ番組とかでは、天然回答を繰り出して
笑われていますよね。
「頭を打たれ過ぎて変になってるんじゃないの~?」
とか、世間では思われていますよね。
でも、彼は島の英雄であり、偉人なのです。
沖縄で、県知事の名前を知らない人はけっこういると思うけど、
具志堅用高さんの名前を知らない人はいないはず。
昨日の6月16日の琉球新報(沖縄の新聞)1面には、
「具志堅用高氏が国際ボクシング殿堂の殿堂入りをした」
という彼の記事が出ていました。
この殿堂入りは、日本人では1995年のファイティング原田氏以来、
20年ぶりの快挙なのだそうです。
沖縄は、ボクシング王国でもあり、
県出身のプロボクシング世界チャンピオンは、
・ライトフライ級 具志堅用高(1976年)
・スーパーフェザー級 上原康恒(1980年)
・ライトフライ級 渡嘉敷勝男(1981年)
・ライトフライ級 友利正(1982年)
・スーパーライト級 浜田剛史(1986年)
・スーパーライト級 平仲明信(1992年)
・スーパーフライ級 名城信男(2006年)
以上の7名のチャンプが誕生しているのです。
この中でも、具志堅用高さんの13度の防衛回数は、
断トツの日本人歴代最多なのです。
石垣島石垣市では、2年前(2013年12月26日)に、
石垣市出身の具志堅用高さんを称(たた)えて
石垣港離島ターミナルに彼の銅像を設置しました。
銅像はチャンピオンベルトを巻き、
グローブを付けた両手を高々と掲げたポーズ。
もちろん、テレビで見せる温和で天然な表情とは違い、
チャンプ当時の鋭い目つき。
銅像が設置された石垣港離島ターミナルは、
彼が15歳の時、沖縄本島の、高校野球で有名な興南高校に入学するため
船に乗った思い出の地なのです。
A&W(エイアンドダブリュ)は、沖縄にしかないファーストフードチェーン店です。
凋落著しいマックみたいなファーストフード店。
アメリカ人のお客さんが多い。
沖縄に上陸したのは1963年で、
マクドナルドやケンタッキーフライドチキンが日本に上陸したのより早い。
まあ、沖縄はアメリカの植民地だから、当たり前ですけどね。
A&Wの始まりは、1919年に、カルフォルニア州で、
ルートビアスタンドが開店され、それが発展してA&Wレストランが始まりました。
その後A&Wはアメリカ初のチェーン店として展開をしていきます。
A&Wの名は、創業者のロイ・アレン(Roy Allen)と、
1919年に彼と提携したフランク・ ライト(Frank Wright)の、
2人のファミリーネームの頭文字に由来しています。
1919年(大正8年)というと、
その前年に人類史上初の世界大戦(第一次世界大戦)が終わり、
アメリカは大戦中の貿易で利益を上げ、戦争の被害も少なかったことで、
「黄金の20年代」と呼ばれる空前の経済繁栄を謳歌しました。
世界の工業生産の4割を占め、世界の金の44%を保有し、
大戦中からの英仏などへの融資で世界最大の債権国にのし上がりました。
経済の繁栄は、国民の生活水準を引き上げ、大衆社会が出現。
金持ちの贅沢品だった自動車の普及がそれを象徴しています。
フォード社は組立ラインによる大量生産を考案し価格を引き下げ、
3世帯に2台の割合で自家用自動車が普及しました。
日本では1970年代末の水準です。
電気冷蔵庫やラジオも普及し、プロ野球や映画が大衆の娯楽として登場しました。
ミッキーマウスが生まれたのもこの時代です。
大量生産、大量消費、大衆文化という現代生活が出現したのでした。
日本でいえば、バブル景気や元禄文化みたいなものでしょうか。
こういう時に、A&Wは創業したのです。
1919年は禁酒法が発効されました。
シカゴ、ギャングの創始アル・カポネが暗躍するのも、このあたりからですね。
さて、A&Wですが、
ウチナーンチュ(沖縄人)は「エイアンドダブリュ」ではなくて
「エンダー」という人が多い。
理由はよくわからないけどね。
A&Wは、古き良き時代のアメリカンスタイル。
駐車場にピットインして、車から降りずに
注文窓口(メニューボード+マイク)で注文するのは、
今の日本のファーストフードのドライブスルーと同じだけど、
A&Wは、「ドライブイン」と呼ばれる特長的な駐車スペースがある。
この駐車スペース1台ごとにメニューとマイクの注文台が設けられていて、
車を降りずに注文して、女性スタッフが車まで注文の品を届けてくれる
いかにもアメリカ式のサービスなんですよ。
沖縄に旅行されたら、チープな観光施設に行くより、一度はA&Wに行くべき!
女性スタッフはボンキュッボンの峰不二子みたいなスタイルだし、
ローラースケート履いて…、
それはウソだけどね。
でも、小走りで、注文したものを車まで運んでくれるよ。
A&Wといえばルートビア。
「ビア」といっても、ビールではなくて清涼飲料水。
ドクターペッパーみたいな、甘い感じの炭酸飲料で、
不思議なことに、お変わり自由なのです!
今どき、お得さ~ね~。
フードメニューでは、ハンバーガーは、
オーストラリアとニュージーランド産100%の牛肉を使用しているので、
凋落マックより断然安心。
ホットドッグもありますよ。
私が撮影したA&Wは名護店。(今は県内に20店舗以上あるらしい)
ここは、本島中南部の人が北部に来た時に、
トイレ休憩でのひと休みとか、
待ち合わせとかで利用する、重要な拠点なのです。
アメリカ人が多く来るので、店内も広いよ。
さて、ここからがようやく本題。
具志堅用高さんが、初めて車で来訪した時の話です。
初めて来たら、どうしていいかわからんさね~。
具志堅用高さんも、戸惑っていると、
マイクから女性スタッフの声が、
「ご注文は何ですか?」
と。
具志堅用高さんは、
「何を答えたらいいの?どうしたらいいわけ?」
と。
そしたら、女性スタッフが
「名前を言ってください」
と。
具体的な注文内容を言ってくれないと、店も困るさね。
そしたら、具志堅用高さんは、
「具志堅用高です」
と、自分の名前を言った、というのです。
これは、実際にあった実話かどうかはわからないよ。
だけど、具志堅用高さんなら、やりかねんさ。
明日ケンタやマック、すき家などに行かれる方がいたら、
ぜひこれを試してみたらいいと思うよ。

具志堅用高さんといえば、テレビタレントとして、
バラエティ番組に出演し、クイズ番組とかでは、天然回答を繰り出して
笑われていますよね。
「頭を打たれ過ぎて変になってるんじゃないの~?」
とか、世間では思われていますよね。
でも、彼は島の英雄であり、偉人なのです。
沖縄で、県知事の名前を知らない人はけっこういると思うけど、
具志堅用高さんの名前を知らない人はいないはず。
昨日の6月16日の琉球新報(沖縄の新聞)1面には、
「具志堅用高氏が国際ボクシング殿堂の殿堂入りをした」
という彼の記事が出ていました。
この殿堂入りは、日本人では1995年のファイティング原田氏以来、
20年ぶりの快挙なのだそうです。
沖縄は、ボクシング王国でもあり、
県出身のプロボクシング世界チャンピオンは、
・ライトフライ級 具志堅用高(1976年)
・スーパーフェザー級 上原康恒(1980年)
・ライトフライ級 渡嘉敷勝男(1981年)
・ライトフライ級 友利正(1982年)
・スーパーライト級 浜田剛史(1986年)
・スーパーライト級 平仲明信(1992年)
・スーパーフライ級 名城信男(2006年)
以上の7名のチャンプが誕生しているのです。
この中でも、具志堅用高さんの13度の防衛回数は、
断トツの日本人歴代最多なのです。
石垣島石垣市では、2年前(2013年12月26日)に、
石垣市出身の具志堅用高さんを称(たた)えて
石垣港離島ターミナルに彼の銅像を設置しました。
銅像はチャンピオンベルトを巻き、
グローブを付けた両手を高々と掲げたポーズ。
もちろん、テレビで見せる温和で天然な表情とは違い、
チャンプ当時の鋭い目つき。
銅像が設置された石垣港離島ターミナルは、
彼が15歳の時、沖縄本島の、高校野球で有名な興南高校に入学するため
船に乗った思い出の地なのです。
A&W(エイアンドダブリュ)は、沖縄にしかないファーストフードチェーン店です。
凋落著しいマックみたいなファーストフード店。
アメリカ人のお客さんが多い。
沖縄に上陸したのは1963年で、
マクドナルドやケンタッキーフライドチキンが日本に上陸したのより早い。
まあ、沖縄はアメリカの植民地だから、当たり前ですけどね。
A&Wの始まりは、1919年に、カルフォルニア州で、
ルートビアスタンドが開店され、それが発展してA&Wレストランが始まりました。
その後A&Wはアメリカ初のチェーン店として展開をしていきます。
A&Wの名は、創業者のロイ・アレン(Roy Allen)と、
1919年に彼と提携したフランク・ ライト(Frank Wright)の、
2人のファミリーネームの頭文字に由来しています。
1919年(大正8年)というと、
その前年に人類史上初の世界大戦(第一次世界大戦)が終わり、
アメリカは大戦中の貿易で利益を上げ、戦争の被害も少なかったことで、
「黄金の20年代」と呼ばれる空前の経済繁栄を謳歌しました。
世界の工業生産の4割を占め、世界の金の44%を保有し、
大戦中からの英仏などへの融資で世界最大の債権国にのし上がりました。
経済の繁栄は、国民の生活水準を引き上げ、大衆社会が出現。
金持ちの贅沢品だった自動車の普及がそれを象徴しています。
フォード社は組立ラインによる大量生産を考案し価格を引き下げ、
3世帯に2台の割合で自家用自動車が普及しました。
日本では1970年代末の水準です。
電気冷蔵庫やラジオも普及し、プロ野球や映画が大衆の娯楽として登場しました。
ミッキーマウスが生まれたのもこの時代です。
大量生産、大量消費、大衆文化という現代生活が出現したのでした。
日本でいえば、バブル景気や元禄文化みたいなものでしょうか。
こういう時に、A&Wは創業したのです。
1919年は禁酒法が発効されました。
シカゴ、ギャングの創始アル・カポネが暗躍するのも、このあたりからですね。
さて、A&Wですが、
ウチナーンチュ(沖縄人)は「エイアンドダブリュ」ではなくて
「エンダー」という人が多い。
理由はよくわからないけどね。
A&Wは、古き良き時代のアメリカンスタイル。
駐車場にピットインして、車から降りずに
注文窓口(メニューボード+マイク)で注文するのは、
今の日本のファーストフードのドライブスルーと同じだけど、
A&Wは、「ドライブイン」と呼ばれる特長的な駐車スペースがある。
この駐車スペース1台ごとにメニューとマイクの注文台が設けられていて、
車を降りずに注文して、女性スタッフが車まで注文の品を届けてくれる
いかにもアメリカ式のサービスなんですよ。
沖縄に旅行されたら、チープな観光施設に行くより、一度はA&Wに行くべき!
女性スタッフはボンキュッボンの峰不二子みたいなスタイルだし、
ローラースケート履いて…、
それはウソだけどね。
でも、小走りで、注文したものを車まで運んでくれるよ。
A&Wといえばルートビア。
「ビア」といっても、ビールではなくて清涼飲料水。
ドクターペッパーみたいな、甘い感じの炭酸飲料で、
不思議なことに、お変わり自由なのです!
今どき、お得さ~ね~。
フードメニューでは、ハンバーガーは、
オーストラリアとニュージーランド産100%の牛肉を使用しているので、
凋落マックより断然安心。
ホットドッグもありますよ。
私が撮影したA&Wは名護店。(今は県内に20店舗以上あるらしい)
ここは、本島中南部の人が北部に来た時に、
トイレ休憩でのひと休みとか、
待ち合わせとかで利用する、重要な拠点なのです。
アメリカ人が多く来るので、店内も広いよ。
さて、ここからがようやく本題。
具志堅用高さんが、初めて車で来訪した時の話です。
初めて来たら、どうしていいかわからんさね~。
具志堅用高さんも、戸惑っていると、
マイクから女性スタッフの声が、
「ご注文は何ですか?」
と。
具志堅用高さんは、
「何を答えたらいいの?どうしたらいいわけ?」
と。
そしたら、女性スタッフが
「名前を言ってください」
と。
具体的な注文内容を言ってくれないと、店も困るさね。
そしたら、具志堅用高さんは、
「具志堅用高です」
と、自分の名前を言った、というのです。
これは、実際にあった実話かどうかはわからないよ。
だけど、具志堅用高さんなら、やりかねんさ。
明日ケンタやマック、すき家などに行かれる方がいたら、
ぜひこれを試してみたらいいと思うよ。