ハイサイ、RIN(凛)ですニコニコ


【石垣島の仲野さんから頂いたラオスの山岳地帯のトウモロコシ、年に3回収穫できるらしい】


(前半)に書いたように、日本原産の野菜は、ふだんスーパーで買わないような

1月7日の人日(じんじつ)の節句の七草のような葉っぱや根菜類ばかり。


海外原産の野菜は、それぞれが世界中を廻り、世界の歴史に深く関わっています。

トウモロコシやジャガイモ、トマトなどは中南米原産ですが、

例えばジャガイモは、アダム・スミスが「国富論」で

「小麦の3倍の生産量がある」と評価したように、瞬(またた)く間に

麦、米、トウモロコシに並ぶ「世界四大作物」としてその地位を確立し

その後のヨーロッパ飢饉や天保の大飢饉を救ったとか、

トマトはイタリア食文化に欠かせないものとなったとか、

野菜は世界を廻り、世界史に深く関わっているのです。


【パパイヤの雄で観賞用だと思っていたら実が出てきました。ラッキーです!】


室町時代中期の「わび・さび」「幽玄」を特長とした東山文化で

足利義政が京都東山に銀閣寺を建てた3年後の1492年、

ラピンタ号というカラベル船(大型帆船)に乗ったコロンブス一行は、

その当時まだ知られていなかった大陸を発見したのです。

スペイン王朝がこの航海を支援したその意図は、新大陸を発見することではなく、

陸路ではなく海路による東方への最短経路を探し出すことでした。

その目的はインドであり、インドの香辛料だったのです。

15世紀当時は食糧の保存状況が悪く、食材の味を引き立てたり、

料理を食べ易くするために、香辛料の存在はヨーロッパ料理にとって

不可欠なものだったからです。

アメリカ大陸の原住民は、後にヨーロッパ人によって

インディオとかインディアンと呼ばれるようになるのですが、

この呼び名は、大航海時代に、アメリカ大陸をインドだと勘違いした

当時のヨーロッパ人が、「インドの人々」という意味で用いたのがその由来でした。

現在でもカリブ海の島を「西インド諸島」といいますが、

それも同じ理由で名付けられているのです。

最近の考古学調査では、紀元前6700年頃に、メキシコ西部の遺跡から

トウモロコシとカボチャが人間の手により栽培されていた証拠が発見され、

紀元前5000年頃には、トウモロコシが大規模に栽培され、

焼き畑農業もされていたことが判ったそうです。

紀元前1000年頃、日本では縄文時代後期から弥生時代にあたる頃、

メキシコ湾岸地方に存在したのがオルメカ文明。

今のところ、アメリカ大陸で最も初期に生まれた文明といわれていますが、

トウモロコシ栽培は、この文明より、ずっと前にはもうすでに行われていたのです。

歴史って、考えると不思議なところが多すぎる。

例えば、倭国の女王・卑弥呼の時代は、中国では三国志の後期。

卑弥呼が魏に使者を送り親魏倭王に封じられたのが238年。

この3年前には蜀(しょく)の諸葛亮(孔明)が、

五丈原で魏(ぎ)の天才軍師・司馬懿(しばい)と対峙中に病死しているのです。

周瑜(しゅうゆ)が曹操の大軍を火計で退けた赤壁の戦い(208年)で

諸葛亮が祭壇を築いて祈祷し、偏西風の風向きを変えた、というのは、

小説「三国志演義」のフィクションにしても、

卑弥呼は太陽に使える巫女(日巫女)。

人の生きる道を説いた孔子、徳を説いた老子は紀元前500年で、

卑弥呼の、実に700年以上昔ということになり、

文明の開きが大きすぎるようなところが、不思議に感じます。

さて、トウモロコシは南北アメリカ大陸へ渡り、主要主要農産物となり、

オルメカ文明からテオティワカン文明と受け継がれ、

コロンブスによるアメリカ大陸への到達以後、

スペイン人はアメリカ大陸の征服と開拓を中心とする植民活動を行い、

マヤ文明とアステカ文明、インカ文明を次々に征服してしまいます。

トウモロコシが世界に広まったのは、コロンブスが新大陸(アメリカ大陸)から

スペインへ持ち帰ったのがきっかけといわれています。

1492年10月28日、コロンブス隊がキューバ島に上陸した際に、

現地のカリブ人が栽培していたとうもろこしを持って帰ったと、

乗員の日記の中に記録があります。

「人間ほどの背の高さがあり、腕の太さほどの穂をつけ、

えんどう豆ほどの大きな粒をつけていた。」

と記述されているので、

この頃には今日のトウモロコシに近い姿となっていたと思われます。

コロンブスがトウモロコシをアメリカ大陸からヨーロッパへ持ち帰って以来、

食用や飼料用、工業用としてスペインを皮切りに

西ヨーロッパ諸国、北アフリカ、中近東に急速に広まりました。

1500年にはセビリアで栽培され、1500年代半ばには地中海に広がり、

後半にはイギリス、東ヨーロッパまで栽培が広がりました。

その後、トウモロコシがアジアへ伝播されたのは16世紀初めのことで、

海路ではポルトガルからインドへ渡り、チベットを経由して

中国、東インド諸国へと伝わりました。

また、陸路で伝わった可能性もあり、トルコ、アラビア、イランなどの中近東を経て

シルクロード経由で中国へ渡っていったとの説もあります。

アフリカに伝わったのは16世紀~17世紀といわれています。

そして1579年、織田信長の全盛時代にポルトガル人から

長崎または四国にフリントコーン(硬粒種)が伝わりました。

トウモロコシは,漢字で書くと「玉蜀黍」。

日本にも、古来から穀物の黍(キビ、鳥のエサで売られている黄色い粒)は

あったのですが、三国志の魏、呉、蜀(しょく)の三国時代の「蜀の黍(キビ)」が、

中国から日本に渡来して「蜀(モロコシ)の黍(キビ)=モロコシキビ」といわれ、

「ポルトガル人が持ち込んだトウモロコシとよく似ている」

というので、

「唐のモロコシ(「唐」は舶来という意味)」=「トウモロコシ」

となった、といわれています。(その後、キビは省略された)

また、ポルトガル人が南蛮船で運んできた、というので

「別名を南蛮黍(ナンバンキビ)」ともいわれていました。

唐の蜀黍(モロコシ)だと「唐蜀黍」ですが、

「唐」と「蜀」は、ともに中国の国名で重複するし、

トウモロコシの実が黄金色に美しく並んでいる「玉黍(タマキビ)」の

「玉」と「唐」を換え、「玉蜀黍」に至った、というのです。

明治時代初期、廃刀令で侍は刀を鍬(くわ)に持ち替え、

苦難の北海道開拓が始まるのですが、北海道農事試験場が、

スイートコーン(甘味種)である「ゴールデンバンタム」という品種を

アメリカから導入し、第二次大戦後には「ゴールデンクロスバンタム」を導入、

昭和40年代には「高糖型(スーパースイート種)」の「ハニーバンタム」、

昭和60年代には「ピーターコーン」が登場し、国内需要も急増しました。

トウモロコシは北海道から南下して日本全土でのとうもろこし栽培が始まりましたが、

気温差の大きい北海道が美味しいというのは、理にかなっていますよね。

長々と書きましたが、

「たかがトウモロコシ、されどトウモロコシ」

コロンブスは新大陸発見もすごいけど、

同時にトウモロコシもスペインに持ち帰ったことで、

世界中に広まり、現在私たちが気軽に食べられる。

そう思うと、コロンブスに感謝しないわけにはいきませんよね。

栽培する農産物に適した環境を知るということは、

とりもなおさずその原産地の環境を知ることです。

あまり資料がなくて、その野菜や果樹、花の性質がよく判らないときには、

原産地の気候や風土にあった環境を与えてやれば、

たいていは元気に育つはずです。

私はコーヒー栽培では、アラビアの原種が育っていた山地、

といっても見たことはありませんが、その環境などをイメージして、

それに近い環境を創り上げたい、と考えるようにしています。

【家庭菜園】(前半)ペルー原産のトウモロコシを、コロンブスに感謝しつつ食べる


【工事現場の迷惑よりも、野良犬の警戒を最重要視するRIN(凛)君】