ハイサイ、RIN(凛)です
沖縄では、伝統行事は、標月でもお盆でも、
そのほとんどは「旧暦」で行われています。
5月30日(土曜)に行われた「アブシバレー」という風習は、
「アブシ」は田んぼや畑のあぜ道、
「バレー」は、お祓(はら)いの「祓(はら」)う」。
つまり、
「あぜ払い」
という意味の行事で、
旧暦4月中旬ごろ行われる農作物への害虫除けと豊作祈願の行事です。
アブシバレーが行われた土曜日は旧暦では4月13日になります。
アブシバレーの日は、各集落ごとに、
旧暦4月中旬の範囲内で決められています。
薩摩に支配された琉球王国時代、農民には重い税が課せられ、
生かさず殺さず的扱いを受けていたため、
各集落では、「結(ゆい)」という互助システムを創り上げていきました。
集落ごとに、田畑を管理し、収穫物を分配していたのでしょう。
沖縄の「ゆいまーる」は、
「結(ゆい)」と「まーる=丸=円」
つまり「みんな結びついている」という互助、助け合い精神のことをいいます。
ウチナーンチュ(沖縄人)が野外で5人以上集まると、
自然に円座するのも、そういったことが根底にあるのだと思います。
沖縄には「模合(もあい)」という、
仲間で毎月お金を出し合い、まとまったお金を貸し出すシステムが
現在も広く行われているのですが、
その「模合(もあい)」も「もあう」という、
「船と船をつなぐ」という意味です。
「結(ゆい)」も、「髪を結う」とか「ロープを結ぶ」という意味ですから、
かつての琉球が、東アジアの交易港だったことが偲(しの)ばれます。
「田畑の畦(あぜ)を祓(はら)い清める」という「アブシバレー」は、
「集落内のノロといわれる女性の祭司(神女)が、
神を拝む拝所(うがんじゅ)で神様に祈りをささげ、
集落内の田畑の畦(あぜ)の雑草を刈り取り、
農作物につく害虫(バッタやネズミなど)を捕らえ、
ワラと葉っぱで作った笹船に乗せて、浜辺や川から海へ流し
集落の人が豊作祈願をする」
という行事ですが、
現在は、集落の共同の田畑はないので、
各自、自分の田畑で草刈りをしながら害虫駆除を行い、
浜辺に下りて、豊年祈願や、
前年のアブシバレー以降に集落内で産まれた子を祝い、
無病息災祈願を併せて、懇親を深める行事に変化しています。
本土にも、死者の魂を弔って灯籠(とうろう)やお盆の供え物を海や川に流す
「灯籠(とうろう)流し」
という行事がありますが、
アブシバレーで「害虫を海に流す」というのも、これに似て、
「ニライカナイ(神の住む国)へ送り出す」
という意味があるようです。
そのためか、集落の古老は、
「アブシバレーの日は、仕事をしてはいけない」
と言いますし、
梅雨時期の行事なのに、アブシバレーの日は、毎年不思議と雨が降らず、
沖縄の先祖崇拝とも、深い関係がありそうなこの風習は、
おごそかで崇高(すうこう)な感じがします。
ふだんの生活で使うカレンダーは、
太陽の周期をもとにした太陽暦、いわゆる「新暦」ですが、
沖縄の行事が行われる「旧暦」は、
月の満ち欠けを基本にして、太陽の周期を取り入れた
「太陰太陽暦」のことです。
沖縄の年中行事の多くは、
沖縄の社会が琉球王国時代の農耕中心だった頃に出来たので、
作物の成長に影響する季節の節目に行われているのです。
「ムーチービーサー」と言われる旧暦十二月八日の頃には、
沖縄は最も寒くなるように、
旧暦は不思議と、沖縄の季節の流れと合っています。
農業は、「きつい」「汚い」「かっこ悪い」というのもありますが、
農耕が中心だった時代では、そんなことを考える余裕もなく、
ひたすら、穀物を食べられるように、一生懸命に働いたはずです。
一生懸命に働くのを「精を出す」と表現し、
お米が食べられるようにするのに「精米」をします。
民俗学的な意味での「精」は、「精霊」や「精神」のことをいいますから、
「精を出す」「丹精を込める」というのは、
神に通じるところがあるのかもしれません。
穀物の出来は「天気」に左右されます。
すなわち「天」の意思に左右される。
そのため天に祈り、感謝を捧げる…。
天の恵み、大地の恵み、自然の恵みに感謝する。
何でも「当たり前」に思える時代だからこそ、
ありがたみを感じる生き方をしないといけませんね。

沖縄では、伝統行事は、標月でもお盆でも、
そのほとんどは「旧暦」で行われています。
5月30日(土曜)に行われた「アブシバレー」という風習は、
「アブシ」は田んぼや畑のあぜ道、
「バレー」は、お祓(はら)いの「祓(はら」)う」。
つまり、
「あぜ払い」
という意味の行事で、
旧暦4月中旬ごろ行われる農作物への害虫除けと豊作祈願の行事です。
アブシバレーが行われた土曜日は旧暦では4月13日になります。
アブシバレーの日は、各集落ごとに、
旧暦4月中旬の範囲内で決められています。
薩摩に支配された琉球王国時代、農民には重い税が課せられ、
生かさず殺さず的扱いを受けていたため、
各集落では、「結(ゆい)」という互助システムを創り上げていきました。
集落ごとに、田畑を管理し、収穫物を分配していたのでしょう。
沖縄の「ゆいまーる」は、
「結(ゆい)」と「まーる=丸=円」
つまり「みんな結びついている」という互助、助け合い精神のことをいいます。
ウチナーンチュ(沖縄人)が野外で5人以上集まると、
自然に円座するのも、そういったことが根底にあるのだと思います。
沖縄には「模合(もあい)」という、
仲間で毎月お金を出し合い、まとまったお金を貸し出すシステムが
現在も広く行われているのですが、
その「模合(もあい)」も「もあう」という、
「船と船をつなぐ」という意味です。
「結(ゆい)」も、「髪を結う」とか「ロープを結ぶ」という意味ですから、
かつての琉球が、東アジアの交易港だったことが偲(しの)ばれます。
「田畑の畦(あぜ)を祓(はら)い清める」という「アブシバレー」は、
「集落内のノロといわれる女性の祭司(神女)が、
神を拝む拝所(うがんじゅ)で神様に祈りをささげ、
集落内の田畑の畦(あぜ)の雑草を刈り取り、
農作物につく害虫(バッタやネズミなど)を捕らえ、
ワラと葉っぱで作った笹船に乗せて、浜辺や川から海へ流し
集落の人が豊作祈願をする」
という行事ですが、
現在は、集落の共同の田畑はないので、
各自、自分の田畑で草刈りをしながら害虫駆除を行い、
浜辺に下りて、豊年祈願や、
前年のアブシバレー以降に集落内で産まれた子を祝い、
無病息災祈願を併せて、懇親を深める行事に変化しています。
本土にも、死者の魂を弔って灯籠(とうろう)やお盆の供え物を海や川に流す
「灯籠(とうろう)流し」
という行事がありますが、
アブシバレーで「害虫を海に流す」というのも、これに似て、
「ニライカナイ(神の住む国)へ送り出す」
という意味があるようです。
そのためか、集落の古老は、
「アブシバレーの日は、仕事をしてはいけない」
と言いますし、
梅雨時期の行事なのに、アブシバレーの日は、毎年不思議と雨が降らず、
沖縄の先祖崇拝とも、深い関係がありそうなこの風習は、
おごそかで崇高(すうこう)な感じがします。
ふだんの生活で使うカレンダーは、
太陽の周期をもとにした太陽暦、いわゆる「新暦」ですが、
沖縄の行事が行われる「旧暦」は、
月の満ち欠けを基本にして、太陽の周期を取り入れた
「太陰太陽暦」のことです。
沖縄の年中行事の多くは、
沖縄の社会が琉球王国時代の農耕中心だった頃に出来たので、
作物の成長に影響する季節の節目に行われているのです。
「ムーチービーサー」と言われる旧暦十二月八日の頃には、
沖縄は最も寒くなるように、
旧暦は不思議と、沖縄の季節の流れと合っています。
農業は、「きつい」「汚い」「かっこ悪い」というのもありますが、
農耕が中心だった時代では、そんなことを考える余裕もなく、
ひたすら、穀物を食べられるように、一生懸命に働いたはずです。
一生懸命に働くのを「精を出す」と表現し、
お米が食べられるようにするのに「精米」をします。
民俗学的な意味での「精」は、「精霊」や「精神」のことをいいますから、
「精を出す」「丹精を込める」というのは、
神に通じるところがあるのかもしれません。
穀物の出来は「天気」に左右されます。
すなわち「天」の意思に左右される。
そのため天に祈り、感謝を捧げる…。
天の恵み、大地の恵み、自然の恵みに感謝する。
何でも「当たり前」に思える時代だからこそ、
ありがたみを感じる生き方をしないといけませんね。