ハイサイ、RIN(凛)ですニコニコ


【枯れ枝をくわえて、狂気の疾走でストレス解消をするRIN(凛)君】



サン・テグジュペリの名作

「星の王子さま」

というと、

故・三遊亭圓楽師匠が

生前、笑点で自身のキャッチフレーズに使われていたことが想い出されます。

だいぶ昔のことだから、若い人は知らないかもね。

著者のサン・テグジュペリは、作家でありながら戦闘機のパイロットでした。

祖国フランスがナチス・ドイツに講和したことに嫌気がさして

アメリカに亡命してしまうのですが、

第二次世界大戦の終戦3年前(1942年)に

クリスマス用の子供の絵本の創作を出版社から依頼されて、

それまで書きとめていた、

おとぎの国の王子たちの話をまとめた物語が

「星の王子さま」

です。

「星の王子さま」は終戦2年前(1943年)に出版されるのですが、

彼は本がベストセラーになることを知らずに

1944年7月31日、彼は単独で北アフリカ方面の偵察飛行中に

地中海でドイツ空軍主力戦闘機メッサーシューミットに遭遇して撃墜され、

44歳で亡くなってしまいました。

・1944年6月6日ノルマンディー上陸

・1944年8月25日パリ解放

ですから、

ナチス・ドイツが連合軍の侵攻で劣勢になった時期でもあり、

残念なことです。


【RIN(凛)君が自由奔放に走り回りたい時は、ロープを持たないのさ~】



「星の王子さま」は、

飛行機が故障して砂漠に不時着した飛行士(ぼく、作者本人)と、

不思議な金髪の少年(王子さま)の出会いを綴(つづ)った物語です。

王子さまの小さな星には、たった一本、薔薇(バラ)が咲いていて、

王子さまとその薔薇は恋をしていたのに、

薔薇は我がままで高慢だったため、

二人の恋はうまくいかないまま、王子さまは自分の星を離れ、

旅に出てしまい、星を転々と渡り歩いて最後の星・地球にやってきて、

地球でいろいろな生物や人間に出会い、

王子様の星に戻っていく、という単純なSTORYです。

「子供の頃、読んだけど、あまり面白くなかったよね~」

と思われる方が多いはず。

素直で真摯に美しく、人生を深くみつめて、生きる意味を問いかける、

人生でいろいろな経験を積まないと、理解しがたい内容で、

子供より、むしろ大人が読むべき哲学書なのです。

ぜひもう一度、電車内で、堂々と

「星の王子様」の本を読み返してみて下さい。

本のタイトルを見て、隣の人が

「ヘヘン、いい大人が子供の本なんか読んじゃってさ…」

なんてニタニタ薄笑いを浮かべたら、

その人こそ厚顔無恥なのです。


【追いかけっこで、MY SAND HILLの周りを逃げ回るRIN(凛)君】



なぜRIN(凛)君を見て、

「星の王子さま」を思い浮かべたのか、というと、

王子さまがキツネに出会い、別れる場面が、

なかなか感慨深く印象的で、

「無邪気に走り回るRIN(凛)君と過ごす時間こそが大切なんだ」

と、星の王子様の、このハイライト部分とRIN(凛)君が重なって思ったからです。

この場面は、

「TBS新訳・星の王子さま」

「ペンネーム:はつよさん」の訳を、以下にコピペさせて頂きました。

(文が長いので、興味がない方はスルーして下さい)

第21章

きつねが現れたのは、そのときでした。

「こんにちは」

きつねが言いました。

「こんにちは」

星の王子さまは、礼儀正しく返事をして振り向いたのですが、何も見えません。

「ここだよ、りんごの木の下だよ…」

その声が教えてくれました。

「きみ、だあれ?とってもきれいだね」

王子さまは言いました。

「ぼくは、きつねっていうんだ」

きつねが言いました。

「ここに来て、一緒に遊ぼうよ」

王子さまは誘いました。

「ぼく、すごく悲しいんだ」

「きみとは遊べないな。飼いならされていないから」

きつねは言いました。

「あっ、ごめんね」

王子さまは言いました。

でもよく考えて、こう付け加えました。

「『飼いならす』って、どういう意味?」

「きみは、このへんの子じゃないね。何を探してるの?」

きつねは言いました。

「人間を探しにきたんだよ」

王子さまが言いました。

「ねえ、『飼いならす』ってどういう意味?」

きつねは言いました。

「人間ってやつは!銃を持って、狩りをするんだ。まったくうっとうしい!

 でもにわとりを育てているんだよね。それだけが人間のいいところ。

 きみは、にわとりも探してる?」

「探してないよ。ともだちを探してるんだ。『飼いならす』って、どういう意味?」

「このごろあまり思い出してもらえないことなのだけど」

きつねがいいました。

「結びつきをつくる、という意味なんだよ」

「むすびつきをつくる?」

「そうさ」

きつねは言いました。

「ぼくにとって、きみはまだ、十万人の男の子によく似た、ひとりの男の子でしかない。

 ぼくはきみのことなんて必要じゃないんだ。きみだって、ぼくを必要としていない。

 きみにとってぼくは、十万匹のきつねと区別がつかない、一匹のただのきつねだからね。

 でも、もし、きみがぼくを飼いならしてくれたら、ぼくたちはお互いに、

 なくてはならない者同士になれるんだ。

 きみはぼくにとってこの世でたったひとりの男の子になる。

 ぼくはきみにとって、この世でたった一匹のきつねになる…」

「わかるような気がするよ」

王子さまは言いました。

「お花があるんだ…。そのお花は、ぼくを飼いならしたのだと思う」

「そうだと思うよ」

きつねは言いました。

「地球にはいろいろなことがあるさ」

「ううん、地球じゃないんだよ」

王子さまは言いました。

きつねは、その言葉に惹かれたようでした。

「別の星なの?」

「そうだよ」

「その星に、狩人はいる?」

「いないよ」

「よしっ!じゃあ、にわとりは?」

「いないよ」

「完全なことなどないものだねえ」

きつねはためいきをつきました。

それでもきつねは、また話を始めました。

「ぼくの毎日は単調なんだ。ぼくがにわとりを狙い、人間がぼくを狙う。

 どのにわとりも似たりよったりだし、どの人間も似たりよったりだ。

 だから少し退屈していた。

 でも、もしきみがぼくを飼いならしてくれたら、

 ぼくの毎日は太陽にあたったように、光り輝くよ。

 ぼくは、ほかの足音とは全然違う、きみの足音を聞き分けるんだ。

 普通の足音が聞こえてきたら、ぼくはあわてて土の中にもぐり込む。

 でもきみの足音は、ぼくを巣穴から外へと誘い出す。まるで音楽のようにね。

 それに、見てごらんよ。あそこにほら、麦畑が見えるだろう?ぼくはパンを食べない。

 麦なんて、ぼくにとっては意味のないものさ。麦畑は、ぼくの心に何も言ってこない。

 それはすごく悲しいことだよね。だけど、きみは金色の髪をしているじゃない。

 だから、きみがぼくを飼いならしてくれたら、すばらしいことになるんだよ。

 麦は、金色だもの、きみのことを思い出させるよ。

 そしてぼくは、麦畑を渡る風の音まで好きになるんだ…」

きつねは言葉を止め、星の王子さまをしばらくみつめていました。

「お願いだよ…。ぼくを飼いならして!」

きつねは言いました。

「いいよ」

星の王子さまは答えました。

「でも、ぼくには、あんまり時間がないんだ。

ぼくはともだちをみつけなけりゃならないし、知識もたくさん身につけないと」

「飼いならしたことしか、知識にはならないんだよ」

きつねは言いました。

「人間たちには、もう何か知識を身につける時間もない。

 お店の人に、出来合いのものを売ってもらうだけさ。

 でも、ともだちを売ってる人なんかどこにもいないから、

 人間にはもう、ともだちができないんだ。

 もし、きみがともだちをほしいと思うなら、ぼくを飼いならして!」

「どうすればいいの?」

王子さまは言いました。

「辛抱強さが必要だよ」

きつねは答えました。

「きみはまず、ぼくからちょっと遠いところに座る。そんなふうに、草の上にね。

 ぼくはきみを、横目でちらっと見るけれど、きみは何か話してはだめだよ。

 言葉は誤解のもとだ。でも毎日少しずつ、近づいて座っていいからね…」

翌日、星の王子さまはまたやってきました。

「同じ時間に来てくれたほうがよかったんだけどな」

きつねは言いました。

「きみがもし、たとえば、午後の四時に来るとしたら、

 ぼくは三時になったらすぐに、幸せになり始めるんだ。

 時間が近づくにつれて、幸せが大きくなるよ。

 四時にはもう、そわそわ落ちつかず、気になってたまらない。

 そうしてぼくは、本当の幸せを味わうんだよ。

 でも、きみが時間にかまわず来てしまうと、

 ぼくは何時に心をよそいきに替えていいかわからない…。決まりが必要なんだよ」

「決まりって、なに?」

「これもまた、すっかり忘れられてしまったことだ」

きつねは言いました。

「ある一日を、ほかの日と全然違う日にしたり、あるひとときを、

 ほかの時間と全然違う時間にしてくれるものだよ。たとえば、狩人にも決まりがあってね。

 木曜日は村の娘たちとダンスをする日、っていう決まりなんだ。

 だから木曜日はごきげんな日さ!ぼくはぶどう畑まで散歩に行ける。

 もし狩人たちがいつとは決めずにダンスをしたら、

 毎日はどれも同じで、ぼくには気の休まる日がなくなってしまう。」

こうして星の王子さまは、きつねを飼いならしました。

でも、旅立ちの時が近づくと…

「あぁ、ぼく、涙が出てしまう」

きつねはそう言うのです。

「きみのせいだよ」

星の王子さまは言いました。

「ぼくはきみを困らせるつもりなんかなかったのに、きみが飼いならしてって言ったんだよ…」

「そのとおりだよ」

きつねが言いました。

「でもきみは涙が出ちゃうんでしょ!」

星の王子さまは言いました。

「そのとおりだよ」

きつねは言いました。

「じゃあ、きみは何もいいことがなかったじゃないか!」

「いいことはあるさ」

きつねは言いました。

「麦の色のおかげでね」

そしてこう続けました。

「バラたちをまた見に行ってきてごらんよ。

 きみのバラが、この世でたったひとつのものだということがわかると思うよ。

 お別れを言いに戻ってきてくれるね。そしたら、きみに、秘密のいいことを教えてあげるよ」

星の王子さまは、もう一度バラを見に行きました。

「きみたちは、ぼくのバラとは、全然違うんだね。

 きみたちは、まだどうでもいいバラなんだ」

王子さまはバラに言いました。

「誰もきみたちを飼いならしていないし、きみたちも誰も飼いならしていない。

 きみたちは、昔のきつねと同じだ。

 あのきつねも、前は、十万匹のきつねと区別のつかないきつねだった。

 でもぼくは、きつねをともだちにした。

 だから、きつねは、今ではこの世でたった一匹のきつねになったんだよ」

バラたちは、とても恥ずかしそうにしていました。

「きみたちはきれいだ。でもそれだけなんだよ」

王子さまはバラたちに、なおも言いました。

「誰もきみたちを、生命より大切だとは思っていない。

 もちろんぼくのバラだって、ただの通りすがりの人にとっては、

 きみたちにそっくりなバラに見えると思うよ。

 でも、あのバラ一本だけでも、きみたち全部よりもぼくには大切なんだ。

 だって、ぼくがお水をあげたのは、あのバラなのだもの。

 ガラスの覆いをかけてあげたのも、あのバラ。

 風よけをしてあげたのも、あのバラ。

 虫を(蝶の幼虫ふたつ三つ残して)取り除いてあげたのもあのバラ。

 愚痴や、うぬぼれや、時にはずっと黙っていることにつきあってあげたのも、あのバラ。

 だって、あれは、ぼくのバラなのだもの」

そして王子さまはきつねのもとに戻りました。

「さよなら」

王子さまは言いました…

「さよなら」

きつねも言いました。

「秘密を教えるね。とても簡単なこと。心でないと、よく見えない、ということだよ。

 一番大切なことは、目には見えない」

「一番大切なことは、見には見えない」

しっかり憶えておくために星の王子さまは繰り返しました。

「きみのバラが、こんなにかけがえのないものになったのは、

 きみがバラのために一所懸命使った時間があるからなんだよ」

「僕がバラのために一所懸命使った時間…」

しっかり憶えておくために。王子さまは言いました。

「人間たちは、この真実を忘れてしまった」

きつねは言いました。

「でも、きみは忘れてはいけないよ。

 きみはきみの飼いならしたものに、いつまでも責任があるんだ。

 きみのバラを、最後までめんどうみるのだよ」

「ぼくのバラを最後までめんどうみる…」

星の王子さまは繰り返しました。

しっかり憶えておくために。


この21章では、キツネが王子さまと別れるときに

「心で見ないと、物事はよく見えないってことさ。

 肝心なことは目には見えないんだよ」

というのです。

私はもともと、特に植物に接するときの気持ち、心のあり方を重要視しているので、

植物や動物には敬意をもって接するように心がけています。

なので、

「心で見る」「心の目」

という部分には深く共鳴してしまうのです。

RIN(凛)君を見ていて思うのは、

「肝心なこと、大事なことは目には見えない」

つまり、

「お金で買えないものを大事にしよう」

ということです。

お金は、生きるためには、もちろん大事です。

お金があれば、欲しいものが買えるし、行きたいところに行けるし、

食べたいものも食べられるし、身体の検査や治療も出来る。

お金があると、「心が安心」といってもいいし、

お金で、ある程度の幸せが買えると思ってもいい。

お金で買えるものと、買えないもの…。


【今どきの町の公園の砂場はネコトイレで汚染されているけど、この砂山は安心】



欲しいものといったら、

・マイホーム

・地位や名誉

・高級車

・高級時計

・高級食材

・宝石

・医療

・旅行

・エステ

…、

お金で「マイホーム」は買えるけれど、「家族や家庭」は買えない。

お金で「高級時計」は買えるけれど、「時間」は買えない。

お金で「本」は買えるけれど、「知識と経験」は買えない。

お金で「最高の医療」は買えるけれど、「健康な身体」は買えない。

お金で「地位や名誉」は買えるけれど、「尊敬」は買えない。

お金で、豪華クルーズなど、「ファーストクラス待遇の旅行」は出来るけど、

「想い出」は買えない。

「なぜ、お金を払って幸せなものが欲しいのか」

を、考えてみると、

例えば「マイホーム」の場合は、

「家族と共にゆったりくつろげるから」

と答える人が多いはず。

まあ、一部には「夢」とか「ステイタス」とか、

「対面や見栄」もあるかもしれない。

では、さらに

「家族でゆったりくつろぐためのマイホームが、なぜ欲しいのか」

と考えると、

「家族と、愛情のある、温かく幸せな時間を過ごしたいから」

ということじゃないのかな?

とすると、欲しいのは、マイホームではなく、

「愛情」や「幸せ」を実感したいことになりますよね。

言い換えれば、

「マイホームは幸せな家族のイメージ」

「高級時計は充実した時を刻めそうなイメージ」

をお金で買わされているような気もします。

「これさえ手に入れば、自分の人生が変わる」

と思い込ませるような「錯覚」を、

巧妙なCMや雑誌などから、好奇心がくすぐられ、

洗脳されているのかもしれません。

本当に自分や家族に必要なモノは何なのか、

シンプルに考えてみる必要がありそう。

もちろん、価値基準や尺度がお金であって、

「自己満足をお金で買う、それが何か!?」

そういう生き方の人がいても、

それはそれで、その人が後悔しない生き方であれば

誰からも文句を言われる筋合いはない。

人それぞれ価値観が違うのですから。


【とにかく全力疾走したいRIN(凛)君。梅雨は困るさね~】



お金で買えるものは、目に見えるものが多い。

私たちがやがて死を迎えた時に、お金で買った財物は天に持って行けない。

財物は現世に置いていくことになり、

換金性の高い故人の財物は、遺族と国が奪い合うことになる。

故人が天に持って行けるのは、思い出だけ。

もし、論語で

「お金で買えるものと、買えないもの、君子様はどっちが欲しいか?」

を子弟が問うたとするなら、

人の道を説いた孔子は

「お金で買えないもの」

を選ぶに違いない。

RIN(凛)君に、例えば100万円の札束を渡したらどうなるでしょう?

おそらく、札束は数秒でビリビリに破かれるはず。

「RIN(凛)君は、人間じゃないのだからお金の価値がわからない」

というより、

RIN(凛)君は神の使いでもあるのだから、

「お金で買えない、良き想い出作りをしよう」

「お金は、生きるうえで、必要最低限あればいいのさ」

と、教えてくれているに違いない。

お金で買えないもの、

・愛情

・友情

・信頼

・尊敬

・敬愛

・慈愛

・感謝

・誠実

・真摯

・真心

・想い出

・夢

・健康

・幸せ

…、

お金で買えない、本当に大切なものは、目に見えないものばかり。

人生は、時と共にマイコレクションギャラリーに、

お金で買ったもの、お金で買えないものを陳列していく。

「worthlessは、価値のない、役に立たない、くだらない、つまらない」

「pricelessは、お金で換算できないほどの、大変価値あるもの」

「お金で買えないものをどれだけ積み上げられたか?」

私は、そういうpricelessな人生でありたいのです。

星の王子様は、

「いくら他にたくさんのバラがあろうとも、

自分が美しいと思い、

精一杯世話をしたバラはやはりいとおしく、

自分にとっては一番のバラなんだ」

と言ったのだけど、

槇原敬之さん作詞・作曲の、SMAPの名曲

「世界に一つだけの花」

の歌詞は、

「№1にならなくてもいい

 もともと特別な Only one

 花屋の店先に並んだ いろんな花を見ていた

 ひとそれぞれ好みはあるけど

 どれもみんなきれいだね

 この中で誰が一番だなんて 争うこともしないで

 バケツの中、誇らしげに

 しゃんと胸を張っている

 それなのに僕ら人間は

 どうしてこうも比べたがる?

 ひとりひとり違うのに、その中で

 一番になりたがる?」

なんか、星の王子様の言葉と似てない?

かけがえのない大切な人、大切なものには時間をかけたいものです…。


【枯れ枝を引き裂いてストレスを発散させるRIN(凛)君】