ハイサイ、RIN(凛)ですニコニコ


【夕方になると、黄色く、淡い、可憐(かれん)な待宵草の花があちこちに咲き出します】



「夕方を待って咲き始める小さい花」

というと

「月見草」

と思いがちですが、

白い月見草は、今やかなり希少種のようで、

一般に月見草と思われているのは、

「待宵草(まつよいぐさ)」

です。

江戸幕府大1代将軍・徳川家慶(いえよし)の晩年、

ペリーが浦賀沖に黒船で現れた2年前の

1851年(嘉永4年)、

チリ原産の「待宵草(まつよいぐさ)」は、月見草とともに、

メキシコからオランダ戦で長崎・出島に入って来て、

庭園での観賞用に植えられ、その後、

「北海道を除く温暖地域に野生化した」

といわれています。


【夕方に咲いて、朝になるとっしぼんでしまう、もの静かだけど芯が強そうな花です】



RIN(凛)君との夕方散歩で、我が家の近辺の、あちこちに黄色い花が咲き誇り、

明日への架け橋として、癒してくれるのです。

「待宵草(まつよいぐさ)」は、

明治時代にも北米原産タイプが渡来していますが、

こっちは花が大きく「大待宵草」と名付けられているようですが、

沖縄では見たことはありません。

花がピンクがかった琉球月見草も沖縄には自生していますが、

我が家近辺では見かけません。

そのため、我が家近辺に咲くのは、花径約1円玉よりひと回り大きな

「小待宵草(こまつよいぐさ)」

です。

太宰治の短編小説「富獄百景」には、月見草が出てきます。

1938年(昭和13年)当時の太宰は、

河口湖近くの御坂峠の茶屋に滞在する井伏鱒二(いぶせますじ)に会うために、

実際に河口湖に訪れました。

その頃の太宰の数年間は、太宰の自殺未遂や不眠、鎮痛剤パビナール中毒による妄想、

愛する妻の裏切りなど、トラブルばかりを起こしていて、

太宰は精神的にかなり病んでいたために、心配した井伏鱒二が

自身が滞在先の河口湖に太宰を招いたのです。

太宰は、深く傷ついた心を癒し、思いを新たにするために、

ワラにもすがる思いで、河口湖にやってきたのです。

太宰は井伏と三ツ峠に登りますが、残念ながらその時富士山は見えず、

井伏は帰京しますが、太宰は現地に約3か月間滞在し、

太宰は三つ峠山頂の茶屋の娘さんをはじめ素朴な人々とのふれあい、

毎日眺める富士山、井伏の紹介で二番目の妻となる甲府の石原美知子と出会いもあり、

太宰は立ち直り、「走れメロス」や「御伽草子(おとぎぞうし)」などの

中期作品を次々と生み出してゆくのです。

この「富嶽百景」の作中に、御坂峠の茶屋の娘さんとのやりとりに、

(以下、作品原文のコピー)

私は、どてら着て山を歩きまはつて、

月見草の種を両の手のひらに一ぱいとつて来て、

それを茶店の背戸に播まいてやつて、

「いいかい、これは僕の月見草だからね、来年また来て見るのだからね、

 ここへお洗濯の水なんか捨てちやいけないよ。」

娘さんは、うなづいた。

ことさらに、月見草を選んだわけは、

富士には月見草がよく似合ふと、思ひ込んだ事情があつたからである。


【可憐で淡い花だけど、見れば見るほど魅力的な花で、夕方によく映えて目立ちます】



作品に登場する名文句「富士には月見草が良く似合う」は、

大きくそびえたつ孤高の「富士」に対し、

それとは対極に、ある小さいながらもしっかり大地に根を張る、

素朴な「月見草」に、今の自分を重ね合わせ、

立ち直る希望に満ちた心境を、的確に表現した名文句と評されているのです。

ただ、この時の「月見草」は、「大待宵草」だといわれています。

太宰治のことですから、そんなことはおそらく承知の上で、

万人が判りやすい「月見草」としたのでしょう。

「月見草」であれば、花は白ですから、

作品中に富士山頂の雪景色に対するのは、白対白の白い花ではなく、

黄色い可憐な花である必要があったので、

あえて「月見草」としながら、黄色の「待宵草」を選んだ、と思うからです。

大正ロマンを代表する画家・竹久夢二が、

明治45年に雑誌に発表した「宵待草」。

待てど暮らせど 来ぬ人を

宵待草の やるせなさ

今宵は月も 出ぬさうな

竹久夢二が「待宵」草とすべきところを

「宵待」草と字を間違えてしまった、というのですが、

これも、竹久夢二が、故意に字を入れ替えたように、

私は思うのですけど…。

「待宵草」の花言葉は、

「ほのかな恋、移り気、静かな恋」

夕方に咲いて、朝になるとしぼむ、内気でネガティブで可憐な花、

なんかピッタリな感じですがしますね。

「待宵草」は「月見草」とともに、

はるばる太平洋のかなたからオランダ船に乗って日本にやって来ました。

「富士によく似合う」という太宰治の決め文句で、

「待宵草」や「月見草」は、悠久の昔から

しっかりと根づいているようなイメージがありますが、

まだ164年前に日本にやってきた新参者だったとは…。

季節は巡り、風光は変わりゆく。

私たちの感性も、つねに新しいものを取り込んで変わっていくんですね。


【可憐な待宵草も、RIN(凛)君にとってはゴロン太する緑の絨毯(じゅうたん)さ~】