ハイサイ、RIN(凛)君です
この前「カニの標識」を見たのは、5月9日(土曜)だから、
ちょうど1週間ぶりになります。
昨日5月16日(土曜)は、
前回見れなかった「カニさんトンネル」を見に行ってきました。
国頭(くにがみ)村から、西沿岸を走るの国道58号線を
沖縄本島の北部最大の都市・名護市方面に南下して、
国頭村から大宜味(おおぎみ)村に入って、
100mほど進んだ左側の、古い墓地の前に、
「カニさんトンネル」
が、ありました。
駐車場脇に
「カニさんトンネルについて」
という、古ぼけした石標があり、
この石標の裏側にトンネルが1つ。
駐車場の、石標の反対側(南側)に1つ、
2本の「カニさんトンネル」がありました。
トンネルから海側を覗くと、
見えるのはテトラポット。
「カニさんトンネルだったら、海側は産卵するための砂浜じゃないの?」
という素朴な疑問が湧き出てきますよね。
そのため、カニさんが産卵するという海岸がどうなっているのか
海岸を見に行ったのです。
カニさんトンネルから見えたテトラポットは、
産卵すると思われるビーチから、数十メートルも離れていて、
「カニさんに、不親切なトンネルさ~ね~」
と、思えて、なんだか少しガッカリ。
しかも、「カニさんトンネル」自体がとても判りにくい。
「人が判りにくいトンネルを、カニさんがどうして判るわけ?」
と思ってしまいました。
以下、私の勝手な邪推。
おそらく国道58号線の道路建設工事をする、ずっと前は、
山がなだらかな斜面で、テッポウユリや月桃(げっとう)など、在来植物が生い茂り、
サンゴや魚が棲みやすい、きれいな海…、というみごとな景観の海岸線が広がっていた。
1853~1854 年(尚泰6~7)年、アメリカ合衆国海軍M.C.ペリー提督は、
浦賀に現れる2か月前には琉球国に滞在していて
ペリー提督の私設秘書・ベイヤード・テイラー(Bayard Taylor)が
「いまだかつて、これほど美しくて優しい景色を見たことがない」(ペリー日本遠征記)
と、大絶賛したほどですから、当時は相当な自然美だったことがうかがい知れます。
カニさんの祖先たちは、4月から10月までの満月の夜になると、
妊婦のカニさんが山から下りて、海岸で産卵をして、また山に帰る、
ということを永い間繰り返していました。
戦後、沖縄は米軍の占領下になり、米軍が、那覇から国頭村まで
Highway No.1として未舗装で道路を整備し、
1972年の沖縄返還後、沖縄振興開発計画特別措置法で
インフラが最優先に使われて、国道58号線が一気に舗装化し、
やがて国道58号線は沖縄本島の大動脈になり、
それに伴い、本島の西海岸が都会化していきました。
人間が、人間のために海岸線を削り、道路を建設、
そのため、赤土が海に流出してサンゴが死滅、当然魚も激減、
道路工事などで、海岸もずいぶん変化してしまったけど、
カニさんのDNAは、そんな事態が読み取れず、
古来から繰り返されている満月の夜の産卵イベントのために、
元あったであろう海岸を求めて、山から下りてくるのです。
けど、そこにあるのは人間が作ったコンクリートの道路で、
多くは通行する車にひかれてしまう。
運良く道路を横断したカニさんは、高さが80cmもある防波堤には
よじ登れない。
ほんの一部のカニさんが、国頭村と大宜味村の境に流れる川まで
約100mほど迂回して、何とか海岸にたどりついて産卵し、
無事に山に帰れる産後のカニさんはさらに、その一部。
こうして山のカニさんは激減の一途をたどりつつ、
自然保護を考える人たちが、カニさん保護化を訴え始め、
風林火山の「動かざること山のごとし」の行政を動かし、ついに
「カニさんトンネル」
を造らせ、満月の夜の産卵イベントを有志のボランティアの方々が細々と手伝っている。
以上、私の勝手な推測です。
「カニさんトンネルについて」
という石標を見ていると、
行政主導で作り上げた、行政の自画自賛的な、上から目線、薄気味悪さを感じます。
もし「カニさんトンネル」が行政だけの発案であるなら、
もっともらしい理由付けで、好き放題税金を使える行政権で、
もっとカニさんに優しい、カニさんのためのトンネルを造れたはずだと思うのです。
現在の、2つの「カニさんトンネル」は、
とてもカニさんに優しくないですよ。
「カニさんのためにトンネルを造ってやったさ~」
1996年、アトランタ五輪の女子マラソンで銅メダルを取った有森裕子さんが
「自分で自分を褒めたい」
と言ったように、
自他ともに評価されたいための石標にしか見えません。
「道路に出てしまったカニさんのために、ネットを張って、
海岸で産卵できるようにしてあげてるよ」
といっても、
海側のネットが破れていたら、
ちっともカニさんに優しくないさ~。
「カニさんトンネル」
は、なんか違和感だらけ。
「カニさんトンネル」
って、
カニさんの産卵に対する助成のための目的だと思うけど、
「カニさん専用のトンネルが、無いよりかは、まだあるだけマシ」
といった印象で、少しガッカリでしたね。
ふつうの人は、
「なんて、カニさんに優しい配慮なんでしょう」
なんて思うのかな?
誰か、「カニさんトンネル」に行って、直接見て感想を下さい。
満月の夜に、カニさんたちがどうしているのか、
ボランティアの方たちがどんな活動をされているのか、
本当は、私もそれを確認したいのですが、
東シナ海に面する、この「カニさんトンネル」から、
山原(やんばる)の山脈を越えて、太平洋側の我が家までは、
車で片道40分はかかるし、
RIN(凛)君が留守番出来ない、というか、
留守番させると、網戸を破るとか、電気のコンセントを壊すとか、
どんな恐ろしいことをしでかすか心配で、
しばらくは夜は家から出られません。いつか、カニさんの産卵を見てみたいな。
我が家に隣接するバナナ園などにいるオオガニさんたちも、
満月の夜に海岸に産卵に行ってるのかどうかも、確認は困難。
夜間は、ハブさんの活動時間帯だから、
夜間バナナ園に行くのは自殺するようなもの。
RIN(凛)君の散歩コースの海岸に満月の夜に行ったとしても、
妊婦のカニさんを車でひいたり、私が誤ってカニさんを踏んでしまう可能性もあるし、
海岸ではカニさんの産卵だけでなく、カメさんの産卵もあるので、
カニさんの産卵は見てみたい気持ちはあるけど、
しばらくは行かない方が良さそうです。
私が住む集落には、海岸でカメさんの産卵場所の保護活動をされている方がいるので、
今度、お話を伺い、カメさんの産卵の現場も見てみたいと思います。
【関連記事】
【美ら島沖縄】カニの標識ってなにさ~?(2015年05月09日(土))

この前「カニの標識」を見たのは、5月9日(土曜)だから、
ちょうど1週間ぶりになります。
昨日5月16日(土曜)は、
前回見れなかった「カニさんトンネル」を見に行ってきました。
国頭(くにがみ)村から、西沿岸を走るの国道58号線を
沖縄本島の北部最大の都市・名護市方面に南下して、
国頭村から大宜味(おおぎみ)村に入って、
100mほど進んだ左側の、古い墓地の前に、
「カニさんトンネル」
が、ありました。
駐車場脇に
「カニさんトンネルについて」
という、古ぼけした石標があり、
この石標の裏側にトンネルが1つ。
駐車場の、石標の反対側(南側)に1つ、
2本の「カニさんトンネル」がありました。
トンネルから海側を覗くと、
見えるのはテトラポット。
「カニさんトンネルだったら、海側は産卵するための砂浜じゃないの?」
という素朴な疑問が湧き出てきますよね。
そのため、カニさんが産卵するという海岸がどうなっているのか
海岸を見に行ったのです。
カニさんトンネルから見えたテトラポットは、
産卵すると思われるビーチから、数十メートルも離れていて、
「カニさんに、不親切なトンネルさ~ね~」
と、思えて、なんだか少しガッカリ。
しかも、「カニさんトンネル」自体がとても判りにくい。
「人が判りにくいトンネルを、カニさんがどうして判るわけ?」
と思ってしまいました。
以下、私の勝手な邪推。
おそらく国道58号線の道路建設工事をする、ずっと前は、
山がなだらかな斜面で、テッポウユリや月桃(げっとう)など、在来植物が生い茂り、
サンゴや魚が棲みやすい、きれいな海…、というみごとな景観の海岸線が広がっていた。
1853~1854 年(尚泰6~7)年、アメリカ合衆国海軍M.C.ペリー提督は、
浦賀に現れる2か月前には琉球国に滞在していて
ペリー提督の私設秘書・ベイヤード・テイラー(Bayard Taylor)が
「いまだかつて、これほど美しくて優しい景色を見たことがない」(ペリー日本遠征記)
と、大絶賛したほどですから、当時は相当な自然美だったことがうかがい知れます。
カニさんの祖先たちは、4月から10月までの満月の夜になると、
妊婦のカニさんが山から下りて、海岸で産卵をして、また山に帰る、
ということを永い間繰り返していました。
戦後、沖縄は米軍の占領下になり、米軍が、那覇から国頭村まで
Highway No.1として未舗装で道路を整備し、
1972年の沖縄返還後、沖縄振興開発計画特別措置法で
インフラが最優先に使われて、国道58号線が一気に舗装化し、
やがて国道58号線は沖縄本島の大動脈になり、
それに伴い、本島の西海岸が都会化していきました。
人間が、人間のために海岸線を削り、道路を建設、
そのため、赤土が海に流出してサンゴが死滅、当然魚も激減、
道路工事などで、海岸もずいぶん変化してしまったけど、
カニさんのDNAは、そんな事態が読み取れず、
古来から繰り返されている満月の夜の産卵イベントのために、
元あったであろう海岸を求めて、山から下りてくるのです。
けど、そこにあるのは人間が作ったコンクリートの道路で、
多くは通行する車にひかれてしまう。
運良く道路を横断したカニさんは、高さが80cmもある防波堤には
よじ登れない。
ほんの一部のカニさんが、国頭村と大宜味村の境に流れる川まで
約100mほど迂回して、何とか海岸にたどりついて産卵し、
無事に山に帰れる産後のカニさんはさらに、その一部。
こうして山のカニさんは激減の一途をたどりつつ、
自然保護を考える人たちが、カニさん保護化を訴え始め、
風林火山の「動かざること山のごとし」の行政を動かし、ついに
「カニさんトンネル」
を造らせ、満月の夜の産卵イベントを有志のボランティアの方々が細々と手伝っている。
以上、私の勝手な推測です。
「カニさんトンネルについて」
という石標を見ていると、
行政主導で作り上げた、行政の自画自賛的な、上から目線、薄気味悪さを感じます。
もし「カニさんトンネル」が行政だけの発案であるなら、
もっともらしい理由付けで、好き放題税金を使える行政権で、
もっとカニさんに優しい、カニさんのためのトンネルを造れたはずだと思うのです。
現在の、2つの「カニさんトンネル」は、
とてもカニさんに優しくないですよ。
「カニさんのためにトンネルを造ってやったさ~」
1996年、アトランタ五輪の女子マラソンで銅メダルを取った有森裕子さんが
「自分で自分を褒めたい」
と言ったように、
自他ともに評価されたいための石標にしか見えません。
「道路に出てしまったカニさんのために、ネットを張って、
海岸で産卵できるようにしてあげてるよ」
といっても、
海側のネットが破れていたら、
ちっともカニさんに優しくないさ~。
「カニさんトンネル」
は、なんか違和感だらけ。
「カニさんトンネル」
って、
カニさんの産卵に対する助成のための目的だと思うけど、
「カニさん専用のトンネルが、無いよりかは、まだあるだけマシ」
といった印象で、少しガッカリでしたね。
ふつうの人は、
「なんて、カニさんに優しい配慮なんでしょう」
なんて思うのかな?
誰か、「カニさんトンネル」に行って、直接見て感想を下さい。
満月の夜に、カニさんたちがどうしているのか、
ボランティアの方たちがどんな活動をされているのか、
本当は、私もそれを確認したいのですが、
東シナ海に面する、この「カニさんトンネル」から、
山原(やんばる)の山脈を越えて、太平洋側の我が家までは、
車で片道40分はかかるし、
RIN(凛)君が留守番出来ない、というか、
留守番させると、網戸を破るとか、電気のコンセントを壊すとか、
どんな恐ろしいことをしでかすか心配で、
しばらくは夜は家から出られません。いつか、カニさんの産卵を見てみたいな。
我が家に隣接するバナナ園などにいるオオガニさんたちも、
満月の夜に海岸に産卵に行ってるのかどうかも、確認は困難。
夜間は、ハブさんの活動時間帯だから、
夜間バナナ園に行くのは自殺するようなもの。
RIN(凛)君の散歩コースの海岸に満月の夜に行ったとしても、
妊婦のカニさんを車でひいたり、私が誤ってカニさんを踏んでしまう可能性もあるし、
海岸ではカニさんの産卵だけでなく、カメさんの産卵もあるので、
カニさんの産卵は見てみたい気持ちはあるけど、
しばらくは行かない方が良さそうです。
私が住む集落には、海岸でカメさんの産卵場所の保護活動をされている方がいるので、
今度、お話を伺い、カメさんの産卵の現場も見てみたいと思います。
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