昨年2月まで、
沖縄県産業振興公社のインキュベートルームに、
“起業準備”として入居させて頂いたことがありました。
結果として、「撤退」しました。
「山原(やんばる)で広大な面積で行うには、
現在のテスト圃場での栽培研究を最優先するべきで、
事務所や起業はあとでよい」
「まだ機が熟していない、起業の段階ではない」
と判断したためです。
もちろん、資金的な問題もありました。
コーヒーの最大のリスクは、
「発芽後5年間をどうするか」
にあるからです。
本島北部の東村にあるヒロ・コーヒーの足立弘志さんが
5年間名護市でタクシーのドライバーで
生計を立てられたのはそのためなのです。
沖縄県は、1972年に復帰して、34年を経過しました。
人間で言えば、34歳という働き盛りの年齢ですが、
現状の沖縄県は、
若いときから生活保護から抜け出せない貧困状態が続いています。
そのため、高校や大学の新卒者であっても、
4割近くが就職出来ませんから、
県としては
「経済的自立のためには起業を促して雇用に努めたい」
という考えで、
県の商工労働部の出先機関として沖縄県産業振興公社が、
特に“起業”に力を入れるのは、当然のことなのです。
ただ、経営のプロではなく、
公務員や経営的資質に乏しい方が、マネージャーになるために、
「質より量」
を優先してしまうのです。
悪く言えば、“起業の手続き事務所”化しているのです。
私のテーマは、
「コーヒー&ハイビスカスシャンプーの生産・販売事業」
という長たらしいものでした。
本当はコーヒー事業1本で臨みたかったのですが、
“コーヒー=農業”として捉えられる可能性が高いので、
防風林のハイビスカスの葉を
シャンプーにする事業化と併せていました。
そのため、看板プレートでは「コーヒー」を最初に付けたのです。
こんな看板を堂々と掲げていたこともありました。
ハイビスカスについては、後日触れますが、
実はなかなかすごい薬草なのです。
沖縄では、昔ハイビスカスをシャンプーに、
ジャーカルという粘土状の南部の土をリンス代わりにして
使っていましたし、
沖縄の昔の女性の黒髪を思い出しても、
効果性があることは知られていたのですが、
あとで分かったのは特許関連が多いことで、
この事業化は難航しそうなので、あきらめました。
私は、コーヒーは単純に1次産業としてではなく、
加工・生産の2次産業化、
販売・観光・サービスの3次産業化も加えた
6次産業的に捉えています。
私は“起業”に対しては、かなり慎重に考えています。
手続きさえすれば、今や1円でも起業できる時代ですが、
問題なのは、起業したあとなんですよね。
起業するのは手続きだけですから、
ここまでは誰でも出来ることなのですが、
起業後は、
・ どうやって会社を大きくしてゆくことができるのか
・ どうやって質を高められるのかn
・ 出資者や社員、お客様を満足させることができるのか
・ 地域社会に貢献できるのか
が問われるはずです。
そのために、
「自信がなかったり、機が熟していないときは、
起業するべきではない」
というのが私の考えで、
産業振興公社では異端的に見られていました。
創業支援準備室
当時はデスク1つだけの6人共同部屋でしたから、
パソコン1台だけを置いた、
“拠点”という考え方しかできませんでした。
常駐しても、中座しても、デスク1つでは中途半端でした。
「3ヶ月期限の、更新申請」
という決まりなので、申請・継続していました。
何と言っても、県の施設に入れて戴いているのですから、
信用力だけはありました。
企業化支援オフィス
6坪~8坪くらいの間仕切りか個室で、
デスク4つや書棚までも貸し与えして戴けます。
「どっちの料理ショー」からの取材は、
ここに入居していたおかげなのです。
入居は3年が期限で、
その間に起業をしなければいけない約束ですから、
「起業には慎重で時期尚早」
という考えでは、
いくら私でも、さすがに居づらかったのです。
“起業”の気力は少しも衰えてはいませんので、
あとは資金的な問題なのです。
沖縄県産業振興公社のインキュベートルームに、
“起業準備”として入居させて頂いたことがありました。
結果として、「撤退」しました。
「山原(やんばる)で広大な面積で行うには、
現在のテスト圃場での栽培研究を最優先するべきで、
事務所や起業はあとでよい」
「まだ機が熟していない、起業の段階ではない」
と判断したためです。
もちろん、資金的な問題もありました。
コーヒーの最大のリスクは、
「発芽後5年間をどうするか」
にあるからです。
本島北部の東村にあるヒロ・コーヒーの足立弘志さんが
5年間名護市でタクシーのドライバーで
生計を立てられたのはそのためなのです。
沖縄県は、1972年に復帰して、34年を経過しました。
人間で言えば、34歳という働き盛りの年齢ですが、
現状の沖縄県は、
若いときから生活保護から抜け出せない貧困状態が続いています。
そのため、高校や大学の新卒者であっても、
4割近くが就職出来ませんから、
県としては
「経済的自立のためには起業を促して雇用に努めたい」
という考えで、
県の商工労働部の出先機関として沖縄県産業振興公社が、
特に“起業”に力を入れるのは、当然のことなのです。
ただ、経営のプロではなく、
公務員や経営的資質に乏しい方が、マネージャーになるために、
「質より量」
を優先してしまうのです。
悪く言えば、“起業の手続き事務所”化しているのです。
私のテーマは、
「コーヒー&ハイビスカスシャンプーの生産・販売事業」
という長たらしいものでした。
本当はコーヒー事業1本で臨みたかったのですが、
“コーヒー=農業”として捉えられる可能性が高いので、
防風林のハイビスカスの葉を
シャンプーにする事業化と併せていました。
そのため、看板プレートでは「コーヒー」を最初に付けたのです。
こんな看板を堂々と掲げていたこともありました。
ハイビスカスについては、後日触れますが、
実はなかなかすごい薬草なのです。
沖縄では、昔ハイビスカスをシャンプーに、
ジャーカルという粘土状の南部の土をリンス代わりにして
使っていましたし、
沖縄の昔の女性の黒髪を思い出しても、
効果性があることは知られていたのですが、
あとで分かったのは特許関連が多いことで、
この事業化は難航しそうなので、あきらめました。
私は、コーヒーは単純に1次産業としてではなく、
加工・生産の2次産業化、
販売・観光・サービスの3次産業化も加えた
6次産業的に捉えています。
私は“起業”に対しては、かなり慎重に考えています。
手続きさえすれば、今や1円でも起業できる時代ですが、
問題なのは、起業したあとなんですよね。
起業するのは手続きだけですから、
ここまでは誰でも出来ることなのですが、
起業後は、
・ どうやって会社を大きくしてゆくことができるのか
・ どうやって質を高められるのかn
・ 出資者や社員、お客様を満足させることができるのか
・ 地域社会に貢献できるのか
が問われるはずです。
そのために、
「自信がなかったり、機が熟していないときは、
起業するべきではない」
というのが私の考えで、
産業振興公社では異端的に見られていました。
創業支援準備室
当時はデスク1つだけの6人共同部屋でしたから、
パソコン1台だけを置いた、
“拠点”という考え方しかできませんでした。
常駐しても、中座しても、デスク1つでは中途半端でした。
「3ヶ月期限の、更新申請」
という決まりなので、申請・継続していました。
何と言っても、県の施設に入れて戴いているのですから、
信用力だけはありました。
企業化支援オフィス
6坪~8坪くらいの間仕切りか個室で、
デスク4つや書棚までも貸し与えして戴けます。
「どっちの料理ショー」からの取材は、
ここに入居していたおかげなのです。
入居は3年が期限で、
その間に起業をしなければいけない約束ですから、
「起業には慎重で時期尚早」
という考えでは、
いくら私でも、さすがに居づらかったのです。
“起業”の気力は少しも衰えてはいませんので、
あとは資金的な問題なのです。