沖縄移住 コーヒー栽培 ブルーボトルコーヒー
【コーヒー苗木】

「丹精込めた農産物は美味しい」
とか
「一生懸命に仕事をする」
と、よく言ったり、耳にしたりします。

なんとなく意味が似ているようにも感じますが、
内容はまったく違うのです。

当たり前のことですが、
仕事は一生懸命にしなければいけません。

でも、
「一生懸命に仕事をする」
のは、ただひたすら頑張ればいいだけのことで、
特別、難しいことではないのです。

「丹精込めて仕事をする」
には、
ただ一生懸命に頑張るだけでは不十分なのです。

「丹精を込める」
言い換えれば、
「心を込める」
「気持ちを込める」
「愛情を込める」
ことだと思うのです。

例えば、母親が子供に作った
「心のこもった料理」
あるいは、
妻が旦那さんのために作った
「愛妻弁当」
は、
真心を込めて、丁寧に、丁寧に作ることで、
美味しく、また感謝の念も生まれ、
思い出深くなるのだと思うのです。

「丹精込めて作られた農産物は美味しい」
というのは、
生産農家が、どんな気持ちで苗を植えたのか、
どんな気持ちで天候と向かい合い、
どんな想いで農産物を育ててきたのか、
そういった熱い思いが漠然と頭に浮かび、
「農家の真心がこもった生産物だからこそ、
 ありがたく美味しく頂きたい」
「だから美味しい」
のだと思うのです。

「丹精を込める、邪心の無い真摯な思い」
というのは、
子育てであろうが、モノ作りであろうが
相手に必ず通じるものだと私は信じているので、
「無心で丹精込めることは、植物に届いている」
と私は考えたいのです。

「丹精を込める、心を込める、愛情を込める」
といっても、そのままでは抽象的です。

その相手に
「いかに真剣に向かい合うか」
を意識しないと、
相手が喜んでいるのか、悲しんでいるのか、
怒っているのか、泣いているのか、判るはずもありません。

コーヒー栽培であれば、コーヒーの木の性質を知り、
その木を居心地の良い環境に植え、
コーヒーがストレスを感じない土壌になるように、成長を想い、
元気に育む環境を整え、
あくまで主役はコーヒー、人は世話役として
お世話をしてあげる必要があるはずです。

沖縄移住 コーヒー栽培 ブルーボトルコーヒー
【コーヒー苗木とRIN(凛)君】

沖縄に移住してから
「沖縄でコーヒー栽培が出来る」
ことを初めて知り、
「コーヒーを栽培して、自分が作った豆で飲んでみたい」
という、単純な思いだけで、
何の予備知識もなく始めたのですが、
最初は
「タネや苗木の入手」
が極めて困難で、大きな壁となったのです。

うるま市の和宇慶(わうけ)先生や
恩納村の山城武徳先生を訪ね、
5000円で苗木を譲渡して頂いたり、
赤や黄色に熟した実をひとつかみ頂いた時は
飛び上がるほど嬉しかったものです。

そのため、
「コーヒーは飲むもの」
というより、
私は
「コーヒーの実は、生きているタネ」
「タネは発芽させたら、100年は生きる命の源」
という思いが強く、愛着があり、
ついつい、コーヒーの木にも話しかけてしまうのです。

沖縄移住 コーヒー栽培 ブルーボトルコーヒー
【コーヒーの木】

「言うは易く、行うは難し」
というように、
沖縄でのコーヒー栽培は、夏季の台風シーズンで
強風により枝葉が揺らされ、こすれて
開花後に結実した緑豆が大量に落下したり、
あるいは木が倒壊されたり、
といった、他のコーヒー生産地には見られない弊害がある地域ですが、
台風を忌み嫌うのではなく、
「台風が来るのはやむを得ない。
であるなら、いかに台風を受け入れるか」
という、いわば台風と共生するような考えで、
台風が来ても暴風に堪えられる圃場づくり、
かといって、決して過保護にならないように、
常に
「原産地ではこういう環境だったんじゃないのかな?」
ということをイメージしながら、慈愛を持って接したいのです。

童話の「花咲じじい」では、
心やさしい老夫婦が丹精込めた「施し」が
「豊作になって還ってきた」
これが、
「地面からザクザク出てきた宝」
として、
表わしていると思うのです。

「たかがコーヒー、されどコーヒー」
なかなか奥が深く、やればやるほど、
判らないことだらけの自分が思い知らされますが、
コーヒーに対する慈愛の心は大事にしたいのですニコニコ

沖縄移住 コーヒー栽培 ブルーボトルコーヒー
【自宅前から太平洋を望む】