琉球漆器は世界と繋がっている | あなたの知らない沖繩と琉球舞踊

あなたの知らない沖繩と琉球舞踊

観光や日常生活では気づかない知っているようで知らない沖繩や琉球の歴史や文化、華やかな琉球舞踊の事を徒然と書いていきます。

 

美は余分なものの浄化である

ミケランジェロ

 

 

 

 

●ヨーロッパを魅了した漆黒と金

 


シェーンブルン城をご存知でしょうか?

 


オーストリアのウィーン観光の目玉といえばシェーンブルン宮殿です。よくフランスのベルサイユ宮殿にも引けを取らないような美しさと言われます。

 


ただ、シェーンブルン城という名前だけではよく分からない方もいるかもしれませんね。

 


この城はオーストリアで絶大な権力を握ったハプスブルク家の夏の離宮として使われていたそうです。

 


ハプスブルク家は元々、現在のスイス領に暮らしたドイツ系の小貴族でした。しかし13世紀後半にルドルフ1世が神聖ローマ帝国の皇帝に選出されたことから領地を拡大してきたそうです。

 


政略結婚を繰り返す事でヨーロッパの地位を確かなものにしていったそうです。フランスに嫁いだマリア・テレジアの娘がマリーアントワネットと言えばどれくらいすごい貴族か分かるかもしれませんね。

 


このマリー・アントワネットの母であるマリア・テレジアは「私は、ダイヤモンドより漆器よ」と言い、シェーンブルンの宮殿に「漆の間」創った事をご存知ですか?

 


「漆器???」漆器って日本のものというイメージですよね。それがヨーロッパの貴族それもマリー・アントワネットの母が愛好していたとは驚きです。

 


シェーンブルン宮殿の「漆の間」は下記のようなきらびやかな部屋になっています。


Photo by demarsay - Chinesisches Zimmer in Schloss Sch?nbrunn
 

 

当時、まだラッカー塗装などありませんのでこの漆黒と金色はヨーロッパの人にとってさぞかしエキゾチックで魅力的に見えたのでしょう。

 


余談ですが、この漆をきっかけにヨーロッパに漆黒が生まれます。何だと思いますか?それはピアノです。

 


17,18世紀はピアノは黒ではなく木目でした。

 



しかしドイツでピアノが漆黒に塗られるとそれはまたたく間に拡がり、ピアノの色は漆黒というスタンダードを生み出しました。漆黒は古今東西、人々の心を掴むものだと言えるのではないでしょうか?

 


 

 

●そもそも漆器とは?


まずは漆から見ていきましょう。漆はウルシ科ウルシ属に分類されます。有名なところではウルシ科の植物は70属約600種に及び、ヤマウルシ、ツタウルシ、ハゼノキ、ヌルデなどはよく知られています。

 

 

他にも意外ですがあのマンゴーや、カシューナッツも同類であることは意外と知られていない事です。マンゴーで口の周りが赤くかぶれる人がたまにいます。しかしながらウルシ科の植物がこれだけあるのに、日本で漆が採れるのは、ウルシという木だけだそうです。


漆器は、木や紙などに漆を塗り重ねて作る手法です。現在、日常品から高級品、食器、根付、または車体[と色々な用途があります。

 


漆器の肝になる漆はウルシから採れる加工した樹液の事です。これを加工された素地に塗り重ねていきます。その工程ですが細かく挙げると30から40になる手順になるそうです。日本人らしい細やかな技法といえると思います。

 


参考までにその丹念な仕事を動画でご覧下さい。(約6分)


 


なぜ漆を塗るのか?

 


実は漆には様々な働きがあるのです。
まず、木の表面を保護する働きがあります。漆器など木で出来た物に対して漆は熱気・湿気などの温度変化や酸にもアルカリにも強い特性を活かし保護します。また、防虫効果もあります。四季の季節差のある日本においては重宝なものです。

 


また、建物や漆器など塗料として漆が塗られた面は何と!網目状に高分子結合されているそうです。ハイテク素材なんですね!

 


さらに、網目状の塗膜を職人さんが何度も何度も塗り重ねていくので水分は通さず空気は通るという状態になっています。そのため「木地」と呼ばれる木製の器に漆を塗り重ねた漆器は、木が呼吸できるという理想的な環境を生み出すそうです。

 


他にも強力な接着剤の働きもあります。その接着剤効果で時には、割れやヒビの補修素材として。またある時は金箔などを貼り付けるための接着剤として働きます。
 

 


●漆は太古から使われていた?


現在、世界最古の漆の出土品はおおよそ7000年前といます。しかし、証拠が無いだけでそれよりも前から使われていたとする説が有力です。

 


世界最古の漆塗りを施された道具は7000年前の中国長江の浙江省の遺跡から出土したそうです。


日本で現在、発見された最古の漆の製品は縄文時代のおおよそ6500年前の福井県の鳥浜遺跡から発見されている櫛(くし)とされています。

 


しかし一説では北海道の南茅部町の垣ノ島B遺跡からの漆器が9000年前であったされこれが世界最古の漆器とのことですが、残念ながらこの漆器は正確な測定前に焼失しています。惜しいですね!

 


でも、近年では1万1000年前の漆の木そのもののが鳥浜遺跡から発見されています。更にDNA鑑定の結果日本の漆の木は中国大陸のものとは別種で固有のもであると判明しています。

 


これらの事実からこれまで漆の技術は大陸伝来とされていましたが、実は漆文化は日本発祥ではなかったかと唱える人たちもいます。

 


いずれにしても日本人は有史以前から漆を日常の中に取り入れていたことになります。

 



代表的な日本の漆器

 


日本では、色んなところで漆器が作られています。しかしながら「四大漆器」と呼ばれる有名な漆器があるのをご存知でしょうか?

 

 


①山中漆器

石川県は輪島塗に代表されるように日本で1番有名な漆器の生産地です。その中で漆器製品全体の生産額を上回るのが山中漆器です。

山中漆器は漆塗りもさることながら、その木地作りに特徴があるそうです。

 

 

②越前漆器

越前漆器は日本で最古の生産地と言われています。年代にして1500年前!すごいですよね。
金粉や銀粉を使って漆の上に、様々な模様や絵を描く蒔絵が特徴とされています。

他にも明治頃から、お椀などの丸物だけでなく、菓子箱や重箱などの角物も作られ始めます。伝統工芸ですが前向きなのが特徴です。



 

 

③会津漆器

福島県の会津漆器は、16世紀頃の安土桃山時代に、当時の会津領主が産業として奨励したのが始まりだそうです。

江戸時代には歴代藩主が技術革新を推し進め、中国やオランダなど海外への輸出もされました。

外国人の目も楽しませたであろう会津漆器。


 
 

④紀州漆器

和歌山県で作らている漆器です。紀州漆器で有名なのが根来塗りという技法で塗られた漆器です。この根来塗りの始まりが紀州漆器の始まりで、根来寺の僧たちのために作られたそうです。

この根来塗の特徴は、黒色の漆の上に朱色の漆が重ねて塗られた、真っ赤な漆器になります。本来は、経年変化で黒色が見えてくるのが良いのですが、最近は最初から見えるように加工されています。


 


新しい動きはまたもやヨーロッパ?

 


会津漆器をつくる企業が、遠くヨーロッパの老舗ブランドで受け入れられています。坂本乙造商店では有名ブランドとコラボした漆器を多数作成しています。

 

 

 

 

器の芯となる木地に段ボールを用いた塗り皿のエピソードです。国内では段ボールが素材と聞くだけで敬遠されました。しかし、海外では高く評価され、89年のフランクフルトメッセでデザインプラス賞を受賞しました。また、この塗り皿は、ニューヨーク近代美術館(MOMA)のパーマネントコレクションにも選ばれてたそうです。これからの日本の漆器も楽しみですね。

 



琉球漆器について

 


以下、日本大百科全書より引用 

琉球漆器とは沖縄県で生産される漆器です。14~15世紀ごろから製造が始まったとされ、国の伝統的工芸品に指定されています。

 


沖縄県首里(しゅり)市を中心とした琉球諸島で発達した漆器で古記録には「応永(おうえい)34年(1427)中国明(みん)の宣宗(せんそう)が琉球から生漆(きうるし)を購入」した旨の記述があるそうです。しかし

 


漆芸創始の経緯は明らかでないです。琉球王朝時代の1612年(尚寧王24)には後述の貝摺奉行(かいずりぶぎょう)についての記録があるので、そのころには活発化していたとみられています。

 


ゆがみや狂いの少ない沖縄特産の木地を用い、デイゴは大盆に、シタマギは椀(わん)木地に使用する。下地には速乾性を利用した豚血(とんけつ)と、特産の粘土(クチャ)粉にボイル桐油(とうゆ)を混合したものを用いるそうです。

 


この桐油を混ぜることで上塗りの朱漆(しゅうるし)をより鮮明に発色させる効果があるそうです。高温多湿な沖縄の風土は漆の乾燥に適し、本土では困難とされる油を混ぜた朱漆の乾燥も、ここでは容易な環境です。


加飾法には堆錦(ついきん)、螺鈿(らでん)(青貝)、沈金(ちんきん)、箔絵(はくえ)、漆絵などがあるが、とくに堆錦に特色があります。

 

まず漆に鉱物性の顔料を混ぜ、金槌(かなづち)で打ちながら練り合わせて堆錦餅(もち)をつくる。これに熱と圧力を加えて薄く圧延したのち文様を切り抜き、上塗りを終えた器面にそれを貼(は)る技法です。

 

1715年(尚敬王3)首里の比嘉乗昌(ひがじょうしょう)が発明したもので、今日では琉球漆器の主流を占めています。また、琉球海床産の夜光貝を利用する螺鈿は螺殻(らかく)といい、古くから大陸や本土へ輸出され、首里王府内には貝摺奉行所を設置して螺鈿器を製造しました。このように、琉球では螺鈿のことを貝摺または青貝といっていました。

 

沈金は中国の鎗金(そうきん)が伝わったもので、江戸時代に朱塗沈金が盛行し、今日も本島の各地で多く行われています。[郷家忠臣]

『荒川浩和・徳川義宣著『琉球漆器』(1978・日本経済新聞社)』
日本大百科全書より引用

 

 


 

 


琉球漆器と琉球舞踊

 

琉球漆器と琉球舞踊は一見、何の関係も無いようにも見えます。

 


しかし、小国でありながら独自性のある立ち位置や文化を育んできた琉球王国の歴史の中で王朝文化の中でお互いが昇華していきます。

 

 

 

古典女踊りのひとつで、「かせかけ」という演目があります。かせかけという演目はの小道具である枷と枠は琉球の漆塗りで仕上げられています。

 

黒塗りに七色の糸が巻かれていて、素敵です。

また、踊る前に枷枠の入った箱を開けると、漆の香りがなんとも言えません。

「かせかけ」は愛しい人に蜻蛉の羽のような薄くて極上の織物を織るために、丁寧に糸を巻く所作に心配ります。古典女踊りで唯一紅型打掛の右片袖抜きの扮装で踊ります。

 

 



 

 

漆器は繊細な工芸品です。大量生産出来ない事や、作成に手間暇がかかる事、職人の技術力が必要な事で高価です。ですから日常使いには少し躊躇してしまう事もあります。

 


琉球舞踊もなんだか似ています。カラオケで踊るものでもないですし、衣装も簡易では魅力も半減します。踊り手、演奏者、衣装、舞台・・・日常的ではないように見えます。

 


でも、共通しているのは長い年月を経ても尚、輝き続けそして未来に繋がっているという事です。

 


そこには「普遍の美」があるからだと思います。琉球舞踊も琉球漆器もこれからも「琉球の普遍の美」をこれからも世界中に伝えてくれると思います。

 

あなたはどう思いますか?

 

 

今回も最後までお付き合いいただきありがとうございました!

■ポチッと押していただくと嬉しいです!■

ダウン             ダウン

にほんブログ村 地域生活(街) 沖縄ブログ 沖縄県情報へ
にほんブログ村