テレビは一億総白痴化と大宅壮一さんが言ってから数十年、これって一概に言えるのか?
でも、これって学校で得る知識、教科書の記述とどれくらい差があるの?って疑問を感じることがある。
知識の断片のパッチワークであることには変わりがないような気がする。
科挙の国で特質すべき人材は生まれにくくなったのと同じく、近代公教育制度が導入されて教育は近世と比べて格段質が向上したのか?といえば、なんとなく疑問が残る。、技能は資格化することで幅が無くなったように感じる。
確かに見てたら解ったつもりになる媒体である。
でも人それぞれ、テレビで見たり聴いたりして、
今はスマホやタブレット、パソコンでインターネットにつなげて、解ったつもりになっていることに警鐘をならしている人がいる。
確かに確かに……。
でも、テレビ、ラジオ、新聞時代と今との大きな違いは、取り出そうと思えば、かなりの情報ソースが得られる。データベース化が進んでいる分野ではダウンロードして、これまで手に入らなかった資料もたやすく手に入れられたりする。紙媒体ではかなり努力しないと入手困難なものでもコピーペーストで手元に置くことができる。
完璧とはいえないが、例として青空文庫から著作権が切れた文学作品を読んで楽しむことができる。
そのおかげで、動画を通じて視覚障害があっても耳で読書することも可能になった。
文学作品を朗読して、アップしてくれる人がいるからである。
全ての媒体は、諸刃の剣、1970年代には、テレビで知ったことで、書籍を渉猟して知を深める人もあり、現在のネット社会では、前述のように各データベースから、資料も得ることができる。
そう、ポルノグラフィー画像も、絶版になった近世思想の原文も、同じレベルでコピーしてメモに貼り付けていくことも可能になった。
だから、知性を得るか?痴性に染まるか?どちらも同じスキル、それぞれのスタンス次第、ということになるのだろう。
(警告!メモに貼ったエロ画像は、きっちりロックしておくこと、端末やパソコンのセキュリティもお忘れなく)
(警告!ネットの知識は、コンサバティブだろうがリベラルだろうが、多分、自分都合を発信しているものが多いから、エビデンスはきっちり取っておくこと)