昨日の続きです。親しい住職さんから頂いた会報から文字お越しをしました。
「きずなの会」と浄光寺との遺り取りは、Aさんが「自分の遺骨は浄光寺に散骨してくれ」と言ったところから始まったのです。この故人の願いはいったいどうなってしまったのでしょうか。
ネットで調べますと「きずなの会」とは相当に大きな組織のようで、直に運営しているのでは無く、色々な集団をフランチャイズ方式で傘下に組み込んでいるようなのです。弁護士さんもいらっしゃるようですから、成年後見人のことも遺漏は無いでしょう。
それにも拘わらず、本人の「浄光寺に散骨してほしい」という希望を無視して、自分たちの提携しているところに、安いからという理由だけで埋葬してしまうとは、どういうお考えなのでしょうか。
こちらの団体って、どんなの?とついググります。
サイトには会員さまの意志を尊重しますと明記がありました。
Aさんがお金を持っていなかったならまだしも、「きずなの会」の担当者が、浄光寺にお金を預けておくと言ったのですから、Aさんがお金を持っていなかったわけでは無いでしょう。
各人が「きずなの会」に入会するときには、何らかの契約すると思います。私は契約書を見たわけではありませんが、それが守られないのであれば、人生の最期を迎える人にとってはあまりにも悲しすぎます。
多死高齢化社会となって、この「きずなの会」のような組織は、沢山出来ているようです。大きな組織に依頼しておけば安心という事はありません。大きければ大きいほど目が届かないのです。
自分の最期を依頼できる人がいないのは残念なことですが、身内に限らず友人知人でも良いですから頼んでおくことです。
以前、浄光寺のお檀家の方で、身寄りが無くて突然死したかたがおられました。警察が介入し、住職も動いたのですが、警察に行けば役所に送ったといい、役所に行けばまだ送ってこないといい、書類上のご遺体の所在が不明になった事がありました。
以前はこういう案件は船山さんという葬儀社が一手に扱っておりましたから、そこに尋ねればだいたい判ったのです。ところが最近は葬儀業界が不景気になった関係でしょうか、多くの葬儀社があつかうようになりましたので、どこに尋ねれば良いのか分からなくなってしまったのです。
その後、どのような手続きを踏んだのか知りませんが、三週間ほど遅れてお檀家の遺骨を寺まで持参してくれたのは近所の方でした。遠くの親戚より近くの他人とはよく言ったものです。
(令和4年)2月8日の読売新聞朝刊に「おひとりさま『生前契約』で安心」の記事が載りNPO法人りすシステムという組織が紹介されておりました。おそらくは「きずなの会」と同じような組織と思われます。
この記者さんはおひとり様が増える時代のことを考えて、親切心からこの記事を載せたと思われます。しかしながら、この記事が載ることにより『りすシステム』に希望者が殺到し、傘下の組織や慣れない職員も増え、組織運営上は相当な軋みが生ずるのではないでしょうか。結果として希望者の願いを叶えることができなくなる、場合によっては、希望者の遺産を掠め取るような組織が出てくるとすれば残念でなりません。
文字お越しは以上です。
都内の葬儀社は中国資本に乗っ取られ、葬儀費用が大幅に値上げとなった最近です。
故人の想いに寄り添うと言いながら、まさに裏切り行為のような話です。
こうした団体なのに、あの世を信じていないのでしょうか…
あの世から故人から見られているとの意識がないのでしょう…
今だけ、金だけ、自分だけの世の中だからこそ、お天道様から見られているという気持ちが大事ではないでしょうか。
お天道様から見られているという感覚は日本人特有のモノかしらね。
追記します。やはり、終活について関心の高いですね。
日本経済新聞 朝刊 2024年8月31日(土)