佐々木圓兵衛家 ご先祖様探し
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出身地の特定

曾祖母・祖父が東京に秋田からやって来た。曾祖父も一時期大学生として東京に来ていたらしい。

祖父から先祖は秋田県本荘市小友村というところの出身だということを20数年前に聞いていた。

当時はインターネットもなくどうやって何か探せるかなどはまったく思いもよらなかった。


昨年に除籍謄本というものを遡る事が出来るということがわかった。

私からのつながりが必要ということで、まず親の戸籍を取り、祖父の戸籍を取りに行った。

祖父の戸籍から東京に変更前の戸籍の住所が判明した。昭和33年に変更してあった。

父が東京に生まれたのが昭和10年であったが、その間は戸籍は昔のままになっていたのだと思う。

場所は秋田県本荘市金山字金山○○と住所が記載されており、出生地の欄を見ると当時の名前である、秋田県由利郡小友村金山字金山○○とあった。小友村は聞いていたとおりであったが、金山という名前は初耳であった。父に聞いてみたが父も聞いたことがないということであった。


祖父はこの小友村で生まれたが、曾祖父が当時の由利郡の大正寺村の尋常小学校の教師として赴任した。

祖父はほとんどこの小友村には住んでいない。祖母がこの大正寺村出身で当時由利郡ということでとても混同してわからなかったが漸く先祖が代々庄屋をやっていた場所を特定することが出来たのである。


祖父に聞いたときにはこの様に話していた。

「曾祖父は長男であるが、東京の大学に行き、先生になる道を選び、家を継いだものの弟に譲ったということであった。弟は若かったが、村ですぐに消防団長に祭り上げられたりしたが、不作もつづいたりしたあと連絡が取れなくなり行方もわからなくなってしまった。」


曾祖母・祖父より東京に3-4代目となることもあり、秋田に佐々木、小友村方面の親戚というのは皆無であった。


この当時まで私は秋田県に行ったことがなかった。現在はインターネットがありGOOGLE EARTHがあるので大体の場所がわかった。


本荘市のウェブサイトを調べてみると「小友・石沢の民俗」という本が出版されているのがわかり国会図書館に行って閲覧してみた。 その中には村の中の現在の大字(明治時代では各村)が地図と家番号、屋号、菩提寺まで記載してあった。金山の部分を見てみると26世帯中10世帯が「佐々木」でありそれぞれ本家と分家のつながりがあるのがわかった。ほかの大字にはあまり「佐々木」はなく、小友の中では、二十六木というところにあと数世帯あるのみであった。「佐々木」の菩提寺はすべて宝円寺と記載されてあった。





佐々木圓兵衛家のご先祖様を探しはじめました。

佐々木圓兵衛家のご先祖様を探しはじめました。

20年以上前に遡りますが、祖父からご先祖は本荘(秋田県)で代々長男で庄屋をやっていたと聞きました。家紋は丸に隅立て四目結。
高祖父・曾祖父の名前を教えてもらいました。

そこから先は祖父に聞く前に祖父は他界しました。

秋田県では苗字では佐々木はナンバー3に入っていますが、佐々木の由来などのサイトや文献はあまりみたことがありません。

このブログをはじめることで何か情報など頂ければと期待しております。