またまた中学時代の話から
こんにちは〜😄
感謝してます♪
夏はまだですね!
残暑も体調を整えて
体を大切にして
楽しく生きてくださいね笑顔
今日は、中学校時代の話をまた書いてみたいと思います。
中学校の時に怪我を多くしてました。
それは
好きだった野球が
厳しい野球となり
好きよりも厳しいに変わり
楽しいより鍛錬や練習努力ばっかりになり
自分に厳しくなったからだと思っています。
父親の知ってる
霊能者の方に見てもらうことになりました。
(この話を父親に話したら覚えてないといいました笑い)
えっ?!って思ったのと同時に
あぁこれは
神計らいだなぁとも思いました。
その霊能者の女性の方にあって
方角や生年月日などから
ぼくの実家の家のぼくの方角のラインに
大きな石🪨があるね?と
あ、何が重たいものがありますね?と聞かれた。
そして
確かに
庭石がありました。大きな石でした。
それをどかしたらいいですよ。と言われてどかしました。
その時に
他にも
あなたにお姉さんが見守っています。
そのお姉さんは
あなたの兄妹を凄く見守ってくれていますよ。
ぼくはその時
うわぁって
ふわふわした気持ちになりました。
何故だかその事に
すごい安心して
守護霊さまの存在を感じたからです。
そして
ずっと怪我ばかりしていたのがすっかりしなくなりました。
すごいなぁと思いました。
ほかにも気功の方の『光』のカードを腰の下に敷いて寝たら汗ビッチョリかいて
腰が軽くなって良くなったこたなど
やはり不思議体験はたくさんしてましたね。
中学校の時
気絶させてる事が一時流行って
喉の所を数秒押してると
いわゆる落ちること。をやってました。
(今考えると危ない事やってたな🤭)
格闘技の寝技やノックダウンの時のような
気絶して落ちること
それは一種の臨時体験ですね。
その時のこと覚えてて
すごい気持ちいいんです。
空を飛んでて
ふわふわと雲のよう
雲になった☁️感じでした。
空から自分たちを見下ろしていましたね。
今
八大龍王の九字切りや
書き下ろしや
天照大神スピリチュアルカウンセリングなどしてますが
その体験は、一つも無駄はないなぁと改めて感じてます。
高校生になり
野球部に入り
また厳しい野球体験をするのですが
もう我慢できないと言うか
野球がそれほど好きになれないと言うか
燃え尽きている感じてました。
学校の勉強も楽しくなくて
寝ていましたね笑い
授業🟰寝るみたいな🤭
辞めたいとも思ったし🏫学校やめて働きたかったなぁと思った。
それは中学校の同級生で競馬🏇の仕事してて
中学生の時も仕事して
そのまま社会人となり
競馬🏇の仕事で稼いでいたから友達がいたからです。
おれも稼いで楽しく過ごしたいって
ぼくはお小遣いで一緒に遊んでました。
それも大人の遊び🤭
早稲だったんだねぇ(笑)
専門学校は東京の土木建設科にはいります。
その時も
ほとんど遊び。
遊びの毎日。
ぼくの一人暮らしの部屋は毎日のように
友達が遊びに来てました。休みの日は飲み会や朝まで飲んで遊んでましたね。
よーく遊ばせてもらいました。親には感謝してます。
マンションの一階でやっていた焼き鳥屋さんでアルバイトもしました。
そこの
焼き鳥屋のおじいちゃんとおばあちゃんと夫婦に気に入られて
継いでくれないかと相談もされました。
焼き鳥屋のバイトも楽しかったなぁ。
そして社会人となり
就職
その一年前に
結婚します。
子供を授かります。
そして入社したら一年くらいして結婚式。
子供を抱きながらの結婚式でした。
結婚して会社勤めしての毎日。
楽しいのと
子供との生活は本当に愛に幸せに満ちていたなぁと楽しい思い出です。
2人目の子供が産まれて
ぼくも仕事も慣れて来て
もう少し稼ぎたいと思うようになって来ました。
そして
思い切って独立。
すぐ行動の行動が早すぎ笑😆
すぐ名刺を作って
会社を辞めました。笑笑
何の不安も計画もしなかったなぁ(笑)🤭🤭😆
仕事仲間の後輩が一緒に働いてくれて
2人で
現場をこなして
家族のことも
会社のこともやりながら。
けど
それから
外で遊ぶようになり
お酒の付き合い
飲み会
頻繁に行くようになりました。
ぼくの心は
家庭より
仕事して飲みに行くのが楽しかったのかなぁ
子供は妻に任せていましたね。
まだ若い妻でしたから
負担や悩みなど話しすれば良かったです。
ただ
気持ちも少し離れて行きました。
そこから
別居して
離婚となりました。
少し時間がかかりました。
それは
お互いの気持ちが納得行かないとかもありましたけど
良い経験でした。
その経験は
あとあととても勉強財産になって来ました。
時間が解決してくれました。
もちろん苦しかったし、悩みました。
ただ
時間が解決してくれましました。
そして
ぼくの会社に来ていた久保さんから
ツキを呼ぶ魔法の言葉の小冊子をいただき。
言葉が変わり人生が変わり
斎藤一人さんとであい
まるかんのお店オーロラきみ花先生、ひできさんと出逢い
スピリチュアルカウンセラー高津りえ先生と出逢い
会社も続けました。が
てんつくマンとのご縁で
路上詩人に。
高木善之先生の講演会で地球環境🌏の事をしり
コンクリートを使っての仕事を辞めて
木を植える🌲仕事をしようとか
農業でも無農薬農家になろうとか
あとは
精神的なことを追求して
『自分の機嫌は自分でとる』ことをやり
機嫌の良いひと【上気元】な人を増やそうとか
人には内なら神(天之御中主や天照大御神)がいる事を伝えて行こう(一人さんから聞いたお話【フヤシガミ計画】をしよう!!と思った。
旅が出来て楽しいし
人に喜んでもらえるから素晴らしいなぁと感動しました。
地元のショッピングモールスマーク伊勢崎でやらせていただきましました。
イベントやお店や会社など沢山呼んで頂くようになりました。
一人さんの本やCD、いまならYouTube
一人さんの実践道は、とっても面白くてためになる。
霊の話や神事
たくさんたくさんやりました。
おかげさまです。
陰徳と陽徳をこれからもいっぱい積んでいく事が神様の道
一人道だと思っています。
人生を楽しみましたか?
人に親切にしましたか?
この質問は
肉体から
光の国へ行く時に神様から聞かれることだそうです。
楽しみましたか?
親切にしましか?
人にも自分にも
はいと
今この瞬間瞬間答えられるようにいきたいです。
くだらない話しでも笑顔になって
幸せって
小さいこと
もちろん大きなものも
今ここで
幸せ
笑顔😃を
意識して
しあわせだなぁーーーとニコニコ😀
時間が解決してくれる問題や悩み
もちろん
やりたいことや
やることをやる。
今できる事をやる。この星は行動の星🌟
自分の機嫌は自分でとる。
天照大神スピリチュアルカウンセラー高津群信としても
インスピレーションで言葉を書いている
言霊書道家龍光としても
楽しく
親切に
行きたいと思っています。
これからもよろしくお願いします。
ぼくの師匠斎藤一人さんを語っていいですか?
感謝してます。
今日は
【ぼくの師匠斎藤一人さんを存分に語っていいですか?】のお題目です。
よろしくお願いします。
2005年に斎藤一人さんを知りました。
きっかけはぼくの会社で働いていた久保さん。
久保さんはお寺の義理の息子でお坊さんの仕事の傍らぼくの会社に働いてくれていました。その久保さんから頂いた【ツキを呼ぶ魔法の言葉】五日市剛著の小冊子をいただき、その内容の中に斎藤一人さんが載っていました。久保さん、五日市剛さんに心から感謝です。それと離婚して子供と離れ離れてでぼくの人生は「何のために生きているのか?」と自問自答した日々。辛く苦しかった経験の中で、この小冊子を神様から頂いた光。
そう思っています。心より
感謝申し上げます。
そして
斎藤一人さんの本を本屋さんで見つけて読みました。
その時のCD「地球が天国になる話」を何回も聞いて、大きな転機を得る事が出来ました。
前橋のオーロラさん(銀座まるかんオーロラ)を知り、なんと奇跡的に銀座まるかんのパーティに行ける事になり
斎藤一人さんご本人にお会いすることが出来ました。
その時の第一印象は、『カッコよ過ぎる』でした。
まさに男の中の男。
ふわふわの高級感のあるコート?のように黒い装いで艶々な波動満載で
大きな龍神様と実際に会ったような感じで
その斎藤一人さんを取り巻く方々もめっちゃすごい波動を持っていて
うぉーって感動しました。握手を求めたらすぐ握手してくださいました。
なんと
そのあと
一緒に
一人さんのグッズのブースを一緒にまわった覚えがあります。
一人さんはニコニコして
『えーこんなのもあるんだぁ』と笑いながら
自分のひとりさんグッズを見て楽しんでました。
ぼくはその手に取った一人さんのグッズをすぐ購入。(笑)
そして
そのパーティは、「心は傷つかない」のお話をくださった記憶があります。
そして
パーティでもアイタッチしたりとても縁があるなぁと心の中で感じました。
そのパーティ(斎藤一人銀座まるかん出陣式)の時も大きな龍神様を感じます。ぼくは大粒の涙😭を流しました。
それから
群馬県では
毎月ハッピーリーダー塾という寺子屋お茶会を開催していました。
そこで
20分の講演会をさせていただきました。
それから
もう
斎藤一人さんどハマりで
その時は
ひとりさん青汁を普及する会が発足されて
ぼくもこのひとりさん青汁をたくさんの人におすすめ致しました。
そして
【大宇宙エネルギー療法】が始まり
大宇宙エネルギー療法士になり
たくさんの人に大宇宙エネルギー療法をさせていただきました。
その事がきっかけで
ぼくは路上詩人になることになりました。
まるかんのお店もやらせていただきました。
斎藤一人さんご本人にも何回か生でお会いする機会があり
お話を聞きました。
ぼくは若い頃の斎藤一人さんに似てるとも言われました。
とても嬉しかったです。
そして
仁義という一人さんが神様から降りて来た詩をみんなで覚えて何回も叫びました。
一人さん自身もその仁義の詩を読んで間違えてました(笑)
みんな大笑い🤣
ぼくも何回も唱えるうちに覚えていきました。
この詩を読んで叫べば叫ぶほど
自分が見えて来た
やりたいことをやれるようになりました。
今も大切にしてます。
この詩を斎藤一人さんの前で言ったこともありました。
斎藤一人さんは
この詩をどれだけ本気で叫んでいるか
ジーっと見てました。
叫んで泣く人
本気で叫ぶ人
なんとなく本気でなく口で言っている人
全力な人
様々な人がこの詩を読んで
魂が輝いてました。
もう書き切れないほどたくさんあるので
また今度
パート2を書いて行きます。
よろしくお願いします。
あなたにすべての良き事が雪崩の如く起きます。
感謝してます。
中学校の経験が今の自分の宝物
感謝してます♪
前回の続きを書いていきたいと思います。
中学生なころの経験が今の自分に重なる部分が多く見られるので
その気づきも含めて書いていきたいと思います。
中学生のリトルシニアの野球の話と中学生時代の自分の思いを書いて行きたいと思います。
中学生リトルシニアは、硬式野球クラブで
桐生の梅田町に室内練習場があって
そのに
週三か週四かよっていました。
土日は
菱町にある
群馬大学の野球グランドで練習。
中学校の授業が終わって
部活はやらずに
すぐ帰って
練習に向かう。そんな毎日。
室内練習では
トレーニングもしながら
バッティングや守備練習をこなして
何時までやってたかな?
そこから自転車で1時間半かけて
家に帰ります。
そして
ご飯を食べて
また自主練習。
素振りやダッシュや縄跳び、シャドウピッチングなど
とにかく練習練習。
お風呂に入っても
手首を鍛える練習。
よく練習してたなぁ
手に出来る豆はある意味
練習の勲章のよう
野球が好きで
夢中でやってたなあ
父親が
トスバッティングの編みもマシーンを買って来てくれたり
裏の広い場所に
バッティングの練習場を作る計画をしてくれていた。(実際には基礎工事してたけど建てられない場所だったようで計画は中止)
などなど
とてもありがたいし
本当に
今思うと
応援してくれて
本当に感謝だなぁと感謝でいっぱいです。
そうなんですよね。
感謝なんですよね。
リトルシニアでは、とにかく
厳しくて
殴る蹴るのお仕置き(笑)
いや
それが当時の監督の愛情?教え方だったんだ。
怒鳴るは
引っ叩くは
試合中も構わずやっていた🤭
連盟の人に注意されていまよ笑笑
もう
昭和も昭和。
でも
それが
ぼくの人生をこんなにも
幸せな世界に導くことになるとは
当時は
何もわからなかったから
練習練習の毎日を
一生懸命にがんばる自分が
限界を感じ
プロ野球や甲子園を
夢見る気持ちが
薄れて行ったように思います。
今思うと
それで良かった。
得したなって
変換している。
中学校の学校生活も
勉強に身が入らず(でも一応やることやってたけど)←偉かった
いい友達もたくさんいたし
楽しかった。
モテたし(笑)←自称
これが
実は
女の子と話しするのが
すごく苦手で(何故か)
なんなんだこの気持ちは?と
疑心暗鬼のような感じで
なかなかのシャイでした。
ただ
スポーツや体は鍛えていたから
体は強かったよ。
腕相撲も強かったよ。
(高校行ったらもっと強い奴はいっぱいいたけど)
ぼくの心は、ピュアだったようだ🤭
野球もケガが多くなった
足の捻挫
腰痛
肘痛
肘痛によう疲労骨折
股関節の疲労骨折
指の骨折
など
こんなにもケガするかぁってくらい
治ったらケガ
治ったらケガでした。
監督も
医者の有名なところに連れて行ってくれたり
いろいろなところに行って治療した。
これは
心理的に
自分を、追い込み過ぎでもあるけど
野球が好きで楽しくやっていた頃と違う
楽しいより
厳しい😥
厳しいから楽しいと感じない。
だから
結果ケガややる気も削がれて行った。
なので
キャプテンに任命されたけど
ケガが多く
試合にも出ないことが多いなり
やる気も削がれて
キャプテンを降りた。
正直ほっとしたけど
もう野球はやりたくないくらいな気持ちもあった気がする。
本当は
辞めたかったのかも
こんなにも親が応援してくれて
やってくれていたのに
この期待に応えられない自分。
そよ悔しさで
心は泣いていたのかも😢
今から10何年前に
斎藤一人さんにこの話をした時(野球でケガして辞めたかったこと)
一人さんから
「お兄ちゃんは、野球で挫折したんじゃないんだよ。それは野球が向かないって分かった、成功なんだよ」
「自信だけは無くしちゃいけないよ」
そう言ってもらえて
すごい驚きと言うか
『そうかぁ』と
心のつかえが取れたように気持ちになりました。
悔やんでいたような気持ちと
やりきれない気持ち
後悔や悔しさ
または
親の期待を裏切ったような罪悪感または劣等感。
そう
地球が天国になる話は
斎藤一人さんの話しでとても有名です。
少し長いけど(聞いて見ると長くない)
とても素晴らしい話しで何回も聴きました。
それが『そうかぁ!』って腑に落ちたのも
この経験が大きかったなぁと感じます。
勉強もまぁまぁ
そして
大好きだった野球も
あきらめモード。
さぁ
隆悟さんのこれからの未来は?
そう
好きな事が
なくなると
やる気生きる気って
小さくなるって思い込んでいたのかもね。
ずっと野球ばっかりやってたから
それがやる気がなくなった時
他にもあれば良いけど
やはり時間が必要だ。
そんな中学校生活は、野球と言う道場で意外にも精神的の修行の場所でした。
ここまでにしましょう。
いかがでしたか?
(笑)
色んな学校の頃の思い出ってあると思います。
振り返ると
今と重なる部分が沢山あって
それも
今だから
こう言う【目線】で見れる。
今の自分、幸せな自分だからこそ
「あの時の経験は、今の自分にとって素晴らしい経験だったなぁと肯定することが出来ます」
少しずつですが
出来るようになりました。
高校に行くと
今度は
野球の名門校前橋工業高校に入部します。
それがまたまた
今の自分に影響してくるお話があります。
また次回
書いていきたいと思います。
健康が何より大切
もちろん心の健康も大切
言葉も笑顔も大切
そしてありのままの自分を愛し許し受け入れ認める事。そして
褒める事。鏡を見て『いい男だなぁ』または『しあしいい男だなぁ』と心こめて褒める。
少しずつ
やって行く
最近は自分を認めること。あるがままを認める事がとても大切だなぁと感じてます。
この命が生まれてくる確率は、宝くじの一等が100万回続けて当たる確率だそうです。(笑)
ありえないこと
ありえないくらいことが有る。
ありがとうの語源。
感謝してます。この言葉の波動は、ありがとうの言葉の千倍だそうです。
ありがとうももちろん大切ですが
感謝してます。
この言葉が広まって感謝がいっぱいし会える世の中に社会に
人間関係になったら素晴らしいなぁと
思います🧡
感謝してます。
読んで頂き
心から
感謝申し上げます。
あなたにすべての良き事が雪崩の如く起きます。











