朝レーカー♪
昨晩は冷蔵庫に豚肉が
あるのをハケーン
消費期限を見ると今日ですやん!
という訳で
放送業界用語で言うと・・・きっと
ぶしゃぶしゃ~!
けーみーでこーねーのチャンネーと
ぶしゃぶしゃ~♪
ブーコンのシーダーをベーナーにれーいて
ぶしゃぶしゃー♪
ズーポンにけーつて
ぶしゃぶしゃ~♪
そして、朝
1カメさん抜いてドーン!
レーカー♪
ナーヨカにコンシーダ
レーカー♪
らーだかにゴイスー
レーカー♪
るーひーのシーメーも
レーカー♪
しーたあのシーメーも
レーカー♪
番組押しちゃってるから
ろ~そろ~そハケます
訳)
しゃぶしゃぶ
三毛猫のねーちゃんと
しゃぶしゃぶ
昆布ダシを鍋にいれて
しゃぶしゃぶ
ポン酢につけて
しゃぶしゃぶ
そして朝
1番のカメラさんアップにして
ドーン
カレー
夜中に仕込んだ
カレー
体にいい
カレー
お昼ご飯も
カレー
明日のご飯も
カレー
番組の時間が無いので
そろそろ消えます
ただの独り言
今回はスゲー独り言です、だからスルーしてください(笑)
え~と、みなさん
「北斗の拳」
は好きっすか?
俺はめちゃめちゃ好きなんですよぉ~
何がええって、アレは格闘漫画ではなく壮大なスケールの愛の物語だからです
ちょくちょく「北斗の拳」ネタが出てくるので読んでいない方がいれば一応オススメします
で、
北斗の拳といえば有名な人物
「ラ王」・・じゃなくて「ラオウ」
半端無い強さを持った、覇権に生涯をかける男です
で、今回注目したいのはまったく目立たなかった役の
「シン」
そう、ケンシロウに7つの傷をつけた南斗聖拳の使い手
サウザー、カイオウと共にケンシロウに勝利した数少ない人物
北斗の拳を読めば読むほど、この男の存在が自分の中で大きく大きくなっていきました
シン・・・彼は南斗聖拳を使って、次々と敵を倒し
とうとう「サザンクロス」というビッグシティーを作り上げてしまった
欲しいモノは全て手に入れたという感じだが
彼が最後まで手入れられなかったもの
それは
「ユリア」
「ケンシロウ」も「ラオウ」も「トキ」も「シン」も「ジュウザ」も愛した人
シンはケンシロウの北斗百裂拳を食らって絶命するに
「俺が欲しかったのはユリアだけだぁ~」
的なことを言って塔から飛び降りて絶命
シンにとっては「ユリア」を手にいれられなければ、その他のものは何の意味をもたなかったんですねぇ~
それはラオウも同じ事で、ほぼ覇権しているにもかかわらず、ケンシロウとの壮絶なユリア争奪バトルを繰り広げて、一時ケンシロウに殺されかけてます
昔 藤原道長 が
「この世をば我が世とぞ思う望月の欠けたる事も無しと思えば」
と自分の覇権ぶりを歌いましたけど
ラオウにとってもシンにとっても、ユリアがいなければ虚無の世界
世の中には様々なサクセスストーリーがありますけど
それが意味のある事かどうかの尺度は人それぞれ、本人次第だという事です
我々は藤原の道長の時代よりもはるかに美味しいモノを食べて遙かに楽をして、そして様々な自由に恵まれています。
それから考えたら、今の現代という尺度で幸福を測るという行為も無意味なのかもしれません
結局、人間の根本というのは昔も今も変わっておらずただライフスタイルが変わっているだけ
だから、お金持ちの人も貧乏な人も何が違うって
きっとライフスタイル
そのスタイルがお金のかかるものであればお金持ちになればいいし、それにお金がかからなければそれなりでいい
人からどう思われる事に意味はあるのか、なにが欲しいのか、、それは虚無ではないのか??
シンのエピソードは
なんというかそういった事を考えされられるきっかけになりました
自分の生き方は自分の中に・・・人の生き方に左右される事なかれ
十人十色あれば百人百様
人には人の尺度がある
価値観というのはお金の話ではなく、尺度の長さの事を言うのであろう
その価値観という尺度が似通った人々が近づきあう
しかし、尺度の違う人を馬鹿にする事なかれ
尺度は違ってあたりまえ
常に尺度は自分の中に
蓼(たで)食う虫も好き好き
まぁそういう事です




