当時は反抗期だったのかもしれませんが、今になって非常に後悔しています。
ところで、私はオカリナを趣味としています。
仲間とボランティア演奏をすることで「恩送り」が出来ると考えました。
これまでに何度も、老人施設や障害者施設、小学校などに演奏に出かけています。
そのうちに分かったことがあります。
演奏を聴いて涙された方も何人もおられます。
最初は私たちは“ボランティアをする”という気持ちで出かけていました。
そのうちに「演奏をすることで、勇気や感動をもらっているのはむしろ自分たちなんだ」ということに気づかされたのです。
昨年から知的障碍者の人たちにオカリナを教えてほしいと頼まれて月に一度教えに出かけています。
はじめてから、「大変なことを引き受けてしまった」と思いました。
緊張すると指がこわばってしまう人や、持病の発作が起きる人などがいて、思うように進みません。
ドからソまでしかない“ちょうちょう”を選んで教えたのですが、オカリナを習うことを希望した8人のうち3人だけが何とか吹けるようになりました。
後の人はどうしてもうまくいきません。
それでも、本当に辛抱強く、習おうという気持ちが強いことがこちらに痛いほど伝わってきます。
オカリナには12個の穴が開いています。
“ちょうちょう”では使わない穴をテープで塞いだり、あれこれ工夫したりしたのですがそれでもうまくいきません。
正直すごく悩みました。
ほかの楽器を考えもしたのですが、ひょっとしたら、うまく吹ける人をうらやんだりしてはいけないのではないかとか、挫折感を味わうのではないかとか、そういうことを思ったのです。
8ヶ月目に「このままでは、この人たちに苦痛を強いているのではないか」と考えてミュージックベルを持たせてみました。
意外と明るい表情でベルを鳴らしている姿を見て、あれこれ悩んでいたことが杞憂であったと胸をなでおろしました。
ミュージックベルも決して楽ではありませんが、それでも何とかオカリナと同じ曲をいくつか演奏が出来るまでになりました。
今年になってその人たちと一緒に演奏する場を持つことが出来ました。
その人たちの誇らしそうな笑顔をみてようやく"良かった"という実感がわいてきました。
何よりも私たちの喜びの方が大きかったように思います。
後になって、その人たちのお母さんが「皆の前で演奏できるなんて夢にも思わなかった」と言っておられたということを聞いてつくづく良かったという思いがしました。
障害の一つに、色んな音が無差別に耳に入ってくるという障害があるということも知りました。
私たちは、無意識のうちに必要なおとだけを選んで聞いているのですが、それが無差別に耳に入ってきたら本当に雑音に悩まされることは想像できます。
時々耳を塞いでいる姿を見かけていましたが、そういうことだったのだと後になって知りました。
その人もオカリナを吹くようになってから少しずつ良くなってきているようです。
ボランティアをするということは、結局は自分たちのためなんだとそう考えるようになりました。
でもそれでいいのだと思います。
自分たちが喜んですることが、ほかの人の喜びにもなればそんないいことはない、そう考えています。
「恩送り」とはそういうことだと今は考えています。
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